第7話 何者かの影
光を抜けた先、目の前に突然現れたのは、灰色のコンクリートの地面。
つま先が地について、今度こそこけないようにと踏ん張る。でも、わたしの後に入ってきたシズクに押されて、結局こけた。
「もうっ、シズク!」
「不思議なところだね、アイ。さっきも不思議なところだったけどさ」
わたしの言葉が無視されて、少しいら立ちつつ……立ち上がり、周りをゆっくりと見渡した。
雲一つとない真っ青な空、目の前に広がるのは、ただただ白い光景。というのも、無数の物干しざおから垂れた、白くて大きなシーツが、ゆらりと風になびいているんだ。
『そこは、真っ白な空のもと、干されたシーツたちの並ぶ場所』
「なんにも見えないね」
とシズク。
物干しざおはわたしの背丈の倍近くあり、その上シーツも大きくて……。
ここがどんなところにあるのか、はたまたどれくらいの広さなのか、周りにはほかになにがあるのか、全くわからない。
さっきまでの騒がしさとは一変、ここは静かすぎるくらいで、またちがう不思議な雰囲気。
虫が話しだす、なんてこともないのに、その静けさがわたしには少し不気味に感じて。
「シーツの迷路みたいだ」
シズクは楽しそうにそう言うと、しっぽをふりふりさせて、つかつかと進み始めた。
「ちょっと、自分勝手に行かないで!」
わたしは慌てて青いコートの袖を掴む。
こんな場所で、ひとりぼっちになったら……。
考えただけで身震いする。
もう迷子にはなりたくない!
でもわたしを振り返ったシズクは、むすっと頬をふくらませて。
「自分勝手、なんかじゃないもん」
白い髪を逆立て、わたしをにらむ。
なに、怒ってんの?自分勝手って言っただけで?
「迷子になったら困るでしょ!離れて歩かないで」
意味がわからないけど、負けじとわたしも言い返す。
シズクはそっぽを向いちゃって、あたりはたちまち静けさに包まれた。
とりあえず離れないようにコートの袖は掴んだまま、シーツをかき分け歩き始めた。
「……」
う、なにか話した方がいいかな?シズクを怒らせちゃったみたい。
「シズク、怒ってる?」
「……もう怒ってない」
シズクはまだむすっとしていて、そっけなく言う。
ぜったいうそじゃん……。
この短い時間でシズクについてわかったこと、それはおしゃべりな性格だということ。
……シズクのことだし、話してるうちに機嫌直してくれるんじゃ?それに、会話はお互いをよく知るいいきっかけになる。……よし。
「あのさ、シズクって、今いくつ?わたし十一だけど、年下だよね?」
精一杯の明るい声でたずねる。
答えられやすい質問を、気さくに。
「え、いや……知らない」
……は?
ぽかん、と目をぱちくり。
「誕生日は?」
「知らない」
「兄弟とかいるの?」
「知らない」
「どうしてそんなに強いの?」
「知らない」
「とぼけないでよっ」
たえきれなくなって、声を荒らげた。
「とぼけてなんかない!わからないし、覚えてないんだもん。でも、ぼくはぼくだから……獣人の世界で、生まれたから……」
シズクは胸に手を当て、悲しそうにうつむいた。
「そ、そう……」
理解できてないけど、一応うなずいとく。
なにかほかに話せることないかな、とか考えていると、シズクがちらちらと、わたしを見ていることに気づいた。
「……大声出した、ごめん。アイはいるの?家族」
シズクは口をもごもごとさせると、青いマフラーに顔を埋めながら言う。
家族、と聞かれて、思い出さずにはいられないお父さんとお母さんの顔。
「……いるよ。お父さんとお母さんとわたし、三人暮らしなの。でも……」
二人は、今……。
「家よりも、学校の方が好きかな。友だちもいるし」
わざと明るい声を発して、気持ちを紛らわす。
今は思い出さなくていい、家のことは、なにも。
「友だち⁉︎」
シズクは急に立ち止まり、わたしの顔にぐっと顔を近づけた。
その青い瞳は、キラキラと輝いていて。
「そ、そうだけど?」
「へぇ〜、友だち。そっか、友だちかぁ、いいな~」
シズクは空を仰ぎながら、うんうんとうなずく。
……あれ?
「シズクも友だちいるって、獣人の街で言ってなかったっけ?」
「い、いるよ!あったりまえじゃん、百人はいるよ」
シズクはぎくりと肩を震わせると、早口にまくしたてた。
うわ、目がすごく泳いでる、うそだな。
ほんとは友だちなんていないんじゃ?そういえば、はじめて会ったときも、扉を見たってうそついてたし。なんなら、そのせいでこんな目に合ってるんだよね。
「友だちっていうのはあれでしょ?離れてたって、ずーっと切れない絆で繋がってるんだ。あ!なんだよ、そんな薄目でぼくを見て……信じてないだろ!」
「いーえいえ、信じてますよ~」
「ほんとかなぁ?そんなアイは、何人友だちいるんだよ?」
友だちの数?そんなの数えたことないけど。
「うーん、クラス全員の子とは、まんべんなく話すよ」
「何人くらいなの?」
「三十人」
「うぇっ⁉︎」
シズクは聞くなり、目を真ん丸にして、頭を抱え……そして、今度は目をきりっとさせてわたしを見る。
「い、一応聞くけど、アイはどうやって友だち作るの?」
なんだその質問。
だれもいないのに声をひそめて、なのに目はキラキラしていて……素直に教えてって言えばいいのに。
――でも、そうだな、友だちをどうやって作るか、か……。
「……空気を読む。みんなに合わせてればいい。簡単でしょ?そういう努力をしてるから、わたしには友だちが多いの」
そう、嫌われないための努力。
笑われないための努力。
傷つかないための努力。
どれも大切な努力でしょ?
「えぇ?でも、それ……」
「もういいでしょ、そんなの。別の話しようよ」
シズクはなにか言いたげに口を開いたけど、わたしは無理やりさえぎって、さらにそっぽを向いた。
この話に、これ以上触れてほしくない。
「わ、わかった。別の話……」
シズクは、人差し指でおでこをつんつんとつつき、その人差し指をわたしに向けた。
「そういえば……アイがさ、なんで獣人の世界に来たのか、詳しく聞いてなかったや。迷子なんだよね?」
あ、そうだ。わたし、シズクになんにも話してない、すっかり忘れてた……。
シズクも獣人の街に帰らなきゃいけないわけだし、教えなきゃダメよね。
シズクのコートを掴んで、再び歩き始めながら、わたしは簡単に、今の世界がどうなっているのかを話した。
「ふーん、その哀の保管庫っていうのも探さなきゃ、世界は元に戻らないんだ。でも、フウって子がいなきゃ直せないと」
意外にもシズクはわたしの話をすぐに理解し、受け入れた。
「そうなの。フウさんは、自分の魔法をたどれるって言ってたから、大丈夫だと思う。一番やばいのは、わたしたちよ……」
「あはは、迷子だからね~」
あきれた、なんてのんきなのよ。
付き合ってらんない、とため息をついたとき……。
シーツの向こう側で、影がすうっと通った……気がした。
わたしが止まっても、ずかずか進んでいこうとするシズクのしっぽを思いきり掴む。
「痛っ!しっぽはやめて!」
「今、なにかいた」
「え?」
途端、シズクの顔にさっと赤い影が差した。
驚いて空を見上げる。
さっきまで真っ青だった空は、みるみるうちに赤くなり、シーツに地面、わたしたちをも、同じ色に染め上げていく。
キャハハハハ
呆然と空を見上げるわたしたちの耳に飛び込んできた、幼い子供の甲高い笑い声。
「な、なに?」
小さな影が、シーツの向こうを走り回ってる。
一人、二人、三人。
キャハハハハ
無邪気な声は楽しげに笑う。
「だれなの?」
問いかけるけど、わたしよりも小さなその影は、なにも答えない。
ただ走り回る姿が、シーツ越しに見えるだけ。
歳も、女の子か男の子なのかもわからない。
なんなの?この状況……さっきまでの、真っ青で静かな空間とはまるでちがう!
戸惑う中、影がすばやくわたしのおでこをかすった。
驚いて、しりもちをついてしまう。
「大丈夫?」
差し出されたシズクの手を握り、立ち上がりながら、影のかすったおでこに手をやると……あっ!
「ヘアピンがない!」
まさか、影に取られた⁉︎
影は今もなお、わたしたちの周りを走り回ってる。
「大事なものなの、返して!」
キャハハハハ……
声を上げるけど、三人の影は笑うばかり。
「アイ、話は通じなさそうだよ」
そんなこと言われても、簡単にはあきらめられない!
「そこだ!」
捕まえようと、シーツとシーツの隙間を狙って手を伸ばす。でも、次の瞬間にはもう別の場所を、影は走っていて。
速すぎて捕まえられないと、やきもきしていた、そのとき。
ドスン!
地響きとともに、背後で大きな音がした。
途端、三人の影は声を静めて、ぴたりと走るのをやめる。
えっ、どうして急に……?
振り返ると、そこには大人くらいの身長の、ずんぐりとした頭の大きい、真っ黒な人が立っていて(よく見たら、コートを着てる?)
人の形をしているから、わたしはそれを人だと思ったんだけど……。
まるであれは、この三人と同じ、影?
そんなことを考えていたら、その影は両腕をものすごいスピードで伸ばしてきた!
「うわっ」
とっさに身構えたけど、その腕が掴んだのは、わたしたちの周りにいた三人の影。
うそでしょ、わたしとその大人の影とは十メートルは離れてる。
なのに、ここまで腕が伸びるだなんて!
そいつは三人の影を掴んだ腕を元通り縮めると、影を自分の体の中に押し込んだ。
三人の影は抵抗もせず、みるみるうちにそいつの中に沈んでいく。
まるで、吸収してるみたい……。
影をすべて自分の中に取り込んだそいつは、体を震わし、どんどん大きくなっていく!
そして、とうとう見上げるほどの巨大な影になった。
四メートル、いや五メートル以上あるよね⁉︎
頭や体も、わたしの何倍もの大きさ、わたしたちは豆粒サイズ。
「か、かいぶつ……」
かいぶつはわたしたちの方を向くと、その右腕を勢いよく伸ばし……。
あれは捕まったら、まずい!
わたしは、あっけに取られているシズクに力いっぱい体当たりし、その勢いのまま、二人地面に倒れ伏した。
腕はわたしたちの頭の上を空振りし、そばにあったシーツたちを倒していく。
激しく腰を打ったけど、そんな痛みは気にしてられない。
かいぶつはカクカクと首を傾けて、腕を縮めながら、ゆっくりとわたしたちを見た。
その仕草はあまりにも不気味で。
に、逃げなきゃ!
「シズク!」
そう叫んだけど……シズクはうずくまって、震えていた。
耳を垂らし、荒い息で、目を大きく見開いている。
「どうしたの?」
「怖い……なんでかわからないけど、すごく怖いんだ!」
「わたしだって怖いけど、逃げなきゃ!早く立って……」
そのとき、かすかにかいぶつの方から、声が聞こえた。
「……ぶ。丈夫。大丈夫……シズク」
え?今、シズクの名前を……。
ぽかんと立ち止まったわたしに、再びかいぶつは、右腕を伸ばしてくる!
ぼーっと突っ立ってる場合じゃない!
わたしは渾身の力で、シズクを引っ張り立たせる。
「走るわよ!」
目の前にはかいぶつ、向かってくる腕。
わたしは左へ走り出した。
シズクの腕を、抱え込むようにして引っ張りながら。
シズクの体は、力が抜けたようで、すごく重たい!
しっかりしてよ!
必死にシーツを手で払いながら進む。
あのかいぶつ、腕を伸ばすのは速いけど、伸ばしたら元通り縮めてる。うまくかわせたら、縮めてる間で逃げる時間はかせげるはず!
ちらりと後ろを確認すると……うわぁ、シーツを踏み荒らしながら追ってきてるよ!
でも、走るスピードはそこまで速くないな……なんて気をゆるめていたら、今度は両腕が伸びてきた!
「しゃがんで!」
言いながら、シズクを地面に引っ張り倒すと、わたし自身も前へ倒れ込んだ。
腕はまたしても、わたしの髪をかすって空振り。
間一髪……。
早く立たなきゃ、かいぶつに追いつかれる。いやでもでも、走り回ってるだけじゃいずれ捕まる、あの三人の影みたいに吸収されてしまう!
ヒントがないか周りを見渡すと、あるものが目に入った。
そびえ立っていたシーツたちはかいぶつによってなぎ倒され、ぐしゃりと地面に広がり……そしてわたしたちの数メートル先、その真ん中にぽつんと佇んでいる、縦長の物体。
赤く染まりきったそれは、周りと同化して一瞬なにかわからなかったけど……あれは、スライド式の扉だ!
「シズク、扉が!」
シズクはいまだに、ぺたんと地面へ座り込んだまま。
「がんばって!」
わたしはシズクの腕を掴むと、急いで扉に向かい走り出した。
後ろから、かいぶつが追って来てるのがわかる。でも、振り返らない!今振り返ったら、ぜったいに腰が抜けて走れなくなる!
わたしは扉を開けると、シズクの腕を強く掴んだまま、渦の中へ駆け込んだ……。
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