第33話 氷と炎が交わる日

 カランカランと聞き慣れたドアベルの音が響き、アルマは店の入り口へと視線を向ける。時刻は午前九時を回った頃。今日が水曜日で平日だ、ということを考えると、きっと純蓮ではないだろう。


「いらっしゃいませ……。ってお前は!」

「……客に対してお前、とは教育がなっていないようですね」


 おもわず張り上げた大声に、目の前の彼は不快そうに眉をひそめる。そこに立っていたのは黒い髪に鋭い目つきをした一之瀬家の使用人、影吉依月だった。

 彼の言葉にアルマはぴくと青筋を浮かべながらも、平静を装って言葉を繋ぐ。


「そりゃ悪かったな。でも、アンタがただの客として来るなんてことねーだろ。……アンタ、何のために来たんだ?」

「……私だって、好きで来たというわけではないのですけどね。ひとまず、珈琲を一杯いただけますか?」


 ぼそりとつぶやきながら、影吉はカウンター席に腰かける。そして彼は、昨晩純蓮に頼まれたとある用件を思い起こしていた。


 ◇◇◇


「……影吉、わたくしのお願いを聞いてください!」


 火曜日の夜、純蓮は和解したばかりの影吉へそう切り出した。

 

 明日の夜、治彦は屋敷へ帰ってくる、という話だった。ただちに復讐の実行をする、というわけにはいかないまでも、現状の情報をまとめて対治彦に向けた作戦を立てる必要がある。

 そして、そのためにはおそらく放課後だけでは時間が足りない。


「……明日の朝、わたくしは一人で学校へ行きます。なので影吉には……、その空いた時間でルミナリクに行き、アルマさんと情報共有をしてほしいのです!」

「私が……、彼と……?」


 その言葉に驚くように、彼は目を見張る。しかし、そんな彼をまっすぐに見上げ、純蓮は続けた。


「はい、お願いします。影吉が……、頼りなのです」

「…………わかり、ました。協力すると言ったのは私ですしね」


 深く息を吐きながら、彼はそう告げる。彼の返答に純蓮は満面の笑みを浮かべた。


 ◇◇◇


「――というわけで、本日の午後七時に旦那様が屋敷へいらっしゃいます。それに向けた計画の勘案をお願いしたいというのがお嬢様のご要望です」


 淡々と、彼は伝言を伝えていく。その言葉に、アルマはさっと顔色を変えた。


「今日の夜って……、まじかよ。嘘だろ!?」

「仮に嘘であったとして、それは私に何の利があるのですか。これは紛れもなく事実ですよ」


 表情を変えぬままに、影吉はちくちくと棘のある言葉を吐いた。そんな彼に、アルマは半眼になりながら言い返す。


「つーか、そもそもアンタはなんで急に協力しようって気になったんだよ。来て早々にこんなもん渡してきて協力します、って言われても納得できねーんだけど……」


 そう文句を言った彼の前に並ぶのは几帳面にまとめられた一之瀬家の見取り図やイチノセ海運の有価証券報告書、そして影吉の視点から見た彼の傾向などがまとめられた資料の数々だった。

 困惑するアルマを見据えながら、影吉は言葉を放った。


「私はまだ、あなたのことを信用していません。……ですが、私はお嬢様の選択を尊重すると決めました。だから、あなたが得体の知れず、無作法で、個人的に嫌いな人種であったとしても……、ひとまずは飲み込ませていただきます」


 それはひとつも飲み込めてないのでは、と内心でぼやきながら、アルマは彼の言葉を咀嚼する。

 純蓮の話によれば影吉は頑固で融通が聞かないという話だったはずだ。それを考えればきっとこれは彼なりの精一杯の譲歩なのだろう。


 それじゃあここは俺も譲るか、とカウンターの上の資料に手を伸ばしたそのとき。ダンッという鈍い音とともに、金属製のティースプーンがアルマの手のすぐそばに振り下ろされる。ぎょっとして影吉の顔を見返せば、彼は冷たい眼光を光らせていた。


「……ただし、お前がお嬢様を傷付けることがあれば、私はお前を徹底的に排除する。あなたに……、その覚悟はあるのですか?」


 一見すると、影吉の表情は冷えきっている。だが、彼のその冷たい仮面の下では、隠しきれないほどの激情が渦を巻いていた。

 ここで選択を間違えれば影吉は間違いなくアルマの喉元に噛み付くだろう、という確信を抱くほどの威圧を受けてなお、アルマは不敵な笑みを浮かべた。

 

「そんなの当たり前だろ? 俺は何があっても……、お嬢サマのことを守るよ」

「…………そうですか。その言葉、違えないでくださいね」


 そう告げると彼は威圧感を緩め、ティースプーンをソーサーの上へそっと戻した。

 そして、もう用は済んだとばかりに珈琲のお代を支払い、席を立つ。コツコツと出口の近くまで歩を進めると、彼は後ろを振り返ってこう言い残した。


「それでは、私は別で動かなくてはならないことがあるので、ここで失礼します。放課後にはお嬢様とともにまた来ますので」


 そう踵を返そうとした影吉に、アルマは声かける。

 

「あ、悪いけど、ちょっと待ってくれ」

「はい? ……なんですか?」


 怪訝そうにアルマを見返す彼に向かい、アルマは問いかけた。


「ひとつ確認なんだけど、――――――か?」

「なぜ……、あなたがそれを……っ」


 影吉の反応は、言外の肯定だった。


 交わりはじめた氷と炎は、舞台の裏で動き始める。

 ――タイムリミットまで、あと九時間。

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