第21話 暗雲未だ晴れぬまま
「お嬢様、おはようございます」
こと、と食器を用意しながら、影吉は純蓮を見やる。そんな彼に、ごきげんよう、と返事をしつつ、純蓮は食堂へと足を踏み入れた。すると、彼は不思議そうに首を傾げる。
「お嬢様……、何かございましたか? なんだか顔色が優れないようですが……」
ぎくりと肩をふるわせる。なぜ、アルマといい影吉といい、そんな細かいことに気が付くのだ。
「いえ、何もございませんわ! ……強いて言うなら、少し怖い夢を見てしまったのでそれが原因でしょうか」
そうですか、と少し眉を下げながら彼は答える。そんな彼の反応に内心でたらりと冷や汗をかきながら、彼女は席へと向かう。その時だった。
「ところでお嬢様、その鞄につけている物は何ですか?」
彼の視線の先にあるのは、通学鞄でチャリと揺れるうさぎを模したキーホルダーだ。
「あ、これはですね……。お友達と遊びに行った遊園地でのお土産なのです! かわいらしいでしょう?」
ふふんと胸を張りながら、純蓮は自慢げに笑う。純蓮の表情に目を細めつつ影吉は言葉を続けた。
「確かにこれはかわいらしいですね。……おや? ですが、どうやら糸がほつれているようですよ」
「え?」
まじまじとキーホルダーに目を凝らすと、確かにぬいぐるみの首元の辺りから糸がひとすじ垂れている。まだもらったばかりなのになぜ、と純蓮がショックを受けていると、彼はそんな純蓮に向かい手を差し出した。
「よろしければ私が直しておきますよ。このくらいであればお嬢様が朝食をとっている間に直せるでしょうし」
「よいのですか? それでは……、お願いいたします」
鞄から取り外したキーホルダーを、彼にそっと手渡す。キーホルダーを受け取る彼の手は、なぜかひどく冷たく感じた。
◇◇◇
カランカランと軽い音が響く。それと同時にカウンターの向こうの彼は、くるりと純蓮へ振り返った。
「おー、お嬢サマ! もう調子は大丈夫そうか?」
「えぇもちろん! ばっちり、ですわ!」
放課後、純蓮は今日もルミナリクへと訪れていた。一日を学校で過ごしたことで大分気持ちは落ち着いてきており、きっと今日は大丈夫だ、と純蓮は胸を張る。
「それならよかったわ。にしても、よく来れたな」
過保護な執事サンがいるから来れないかと思ってた、と彼は軽口を叩く。
「確かに影吉は少々過保護ですけれど……、わたくしのやることなすこと全てに反対するというわけではないのですよ?」
ぷぅと唇を尖らせながら彼女はアルマに反論する。そんな文句に動じることも無く、彼は、そっか、と答えてみせた。
実際、今日もお友達と遊ぶから迎えは大丈夫だ、と伝えたときも影吉は一切表情を変えることなく了承していた。きっとアルマと影吉は面識がないから認識に多少の齟齬があるのだろう。
カウンター席に着いた純蓮を見て、彼はあ、と声を漏らした。
「あ、お嬢サマ。もしかしてそれこの前のやつか?」
「……! え、えぇそうですわ」
鞄につけたキーホルダーを本人に指摘されたことで少しの気恥ずかしさを感じつつも、純蓮はこくりと小さく頷く。するとアルマはうれしそうに顔をほころばせた。
「はは、ほんとに気に入ってくれてんのな」
「まぁ、わたくしこのキーホルダーを宝物にすると言ったではありませんか。まさか……、疑っておられたのですか?」
いやそういうわけじゃねーけど、とバツの悪そうな顔をするアルマを見て純蓮はおもわず、ふふと声を漏らす。ただ、次の瞬間にはしょんぼりと眉を下げてしまった。
「ですが……、なぜか糸がほつれていたようで。今朝、影吉に直してもらったんですの」
「……糸が?」
「えぇ、そうなんですの。あ、でも! 乱暴に扱ったわけではないのですよ……?」
そろりとアルマを見上げると、彼はしおしおと萎れた純蓮に対し、いつも通りの笑顔を見せた。
「大丈夫だって。んなことハナから疑ってねーよ。ま、そんなことより計画の話だ。事件のことも気になるけど、まずはお嬢サマの父さんについての復讐からだな」
「お父様の……」
昨日アルマが言った「ホントにお嬢サマのこと嫌ってんのかな?」という言葉が頭をよぎり、純蓮がおもわず言葉を詰まらせていると、アルマはぐいと純蓮に顔を寄せた。
「お嬢サマ。まさか昨日の話で復讐なんかもうやめよう、なんてこと考えてねーだろうな」
「え、えぇもちろん。そ、そんなわけありません……わ?」
視線を四方八方に泳がせて、しどろもどろに答えた純蓮に向かい、アルマは力強く言葉を続ける。
「だいたいなぁ、お嬢サマは優しすぎんだよ。たとえお嬢サマの父さんがお嬢サマのこと嫌ってなかったとしても、アンタのことずっとほっといたのは事実だろ? お嬢サマには復讐する権利があるんだ」
「……ふ、復讐する権利」
彼の言葉をおもわず復唱する。そんなひどい権利が本当にあるのだろうか。
「ほら、言ってみ? アノヤロー。バーカ、どアホー、最低ヤロー! って」
「な、なんですの、そのひどい言葉の羅列は!?」
純蓮がおもわず声をあげると、アルマはにやりと笑った。
「大丈夫。そもそもお嬢サマはいつもいつも自分の気持ち押し殺しすぎてんの。少しぐらい本音出してみろって」
「ほ、本音……」
俺しか聞いてねーし大丈夫、と笑うアルマにつられて、純蓮はすぅと息を吸い込む。もともと殺し屋に依頼なんてことをしている身の上なのだ。これくらいの反抗、些細なものではないか。
「……あ、あのっ。あのや――」
カランカラン。と音が響いた。
突然の出来事に喉元まで出かけた声をぐっと腹の奥に押し込めて、純蓮はドアの方向へと視線を向ける。
その瞬間だった。
ドアの前に立つ人影に、純蓮はおもわず息を呑む。そこに立つのは、純蓮がよく知る人物だった。
「影、吉……?」
丁寧に撫で付けられた黒い髪と鋭く光る眼光が特徴的な彼は――、純蓮も知らない黒く濁った瞳をしていた。
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