挿話 僕がすべきこと

 資料などを買い足すため、ヴェスタと共に王都を歩いていた僕は、フッと顔を上げる。


「……シュウの気配が消えた」

「どういうこと?」


 小さく呟いたのだが、隣にいたヴェスタには聞こえたようだ。彼は首をかしげながら、僕に目を向ける。


「宮殿には僕の結界が張ってあるだろう。いつもなら、シュウの魔力を感じているのだが……今はいない」

「監視みたいで気持ち悪いねって言いたいところだけど。シュウが自主的に出て行ったわけじゃない?」


 聞かれた僕は「シュウがそれを望むと思うか?」と言った。僕は彼女が望む環境を作り上げていたはずだ。それに、先ほども僕のために刺繍をしてくれていた。


「自意識過剰って言えないところが、嫌だわー」


 そう言った彼は、買い出した荷物を僕に押し付けた。落とさないように紙袋を抱えると、彼の黒い目を見る。


「おれは学会塔に行ってくる」

「シュウのことを話すのか?」


 怪訝そうに聞けば、ヴェスタは真剣な顔で頷いた。


「ソルジュさんを頼ろう」

「……」


 ヴェスタの言葉が間違っているとは思わない。ソルジュ・エルモントは味覚研究をしている学会の変人だが、貴族出身なだけあって伝手だけはある。僕のような見せかけの貴族とは違い、社交界にも積極的に出ていると聞く。


「……シュウの居場所を掴むのにも、鼻の良いソルジュは便利か」

「あのソルジュさんを犬扱いするの、きみだけだよ」

「そこまでは言っていない」


 僕が否定すると、ヴェスタは「見捨てるなよ!」と嘆いた。しかし今はそれどころではない。


「さっさと塔に行け」

「ああ、分かった」


 ヴェスタとはそこで別れ、僕はヴァンス侯爵家の元へ向かう。自分の力を疑いたい気持ちが膨れ上がる中、屋敷に辿り着く。その屋敷はどこか騒々しく、僕は何かあったことを察する。


「当主様!」

「何があったのだ」

「何者かの侵入を確認しました。しかし、痕跡は残っておらず……結界の揺らぎを感じたため、警戒にあたっているところです」

「そのまま警戒を続けろ」


 どうやら、嫌な予感は的中したらしい。狙いはきっと、彼女なのだろう。どこから情報が漏れたのか……眉を寄せながら、僕は宮殿の方へ走った。


「シュウ!」


 名を呼びかけながら、宮殿内を探し回る。彼女が居そうな場所を探しても、見当たらない。心が冷えていく感覚に、僕は舌打ちをしてしまう。


「ここを探しても、無意味だな」


 静かに息を吐き出すと、廊下を早歩きで抜ける。

 僕は学会から除籍されている。とある事件がきっかけで、学会塔に立ち入ることを禁止されたのだ。故に、よっぽどのことがなければ塔に入ることができない。

 入れたとしても、監視付きで尋問されるだけ。

 この現状を、ヴェスタは良く思っていないようだが……今までの僕は、別に構わないと思っていた。


「だが、シュウに危険が迫るのなら別だ」


 今回の件、恐らく僕のことを恨んでいる学会の人間がやったに違いない。由緒正しいヴァンス侯爵家の結界を通り抜けながら、気配だけで済ませたのだ。そんなことが出来るのは、学会の人間に違いないだろう。これは僕が学会に居たからこそ言えること。


「……ヴェスタの報告を待つしかないのか」


 僕にできることは、そんなにも少ないのか。彼女を助けることもできないのか。


「くそ……」


 ダンッと壁を叩いたところで、結界に大きな揺らぎが走った。僕が顔を上げると、そこには懐かしい女性の顔がある。


「グラニエルったら、本当にしょうがない子ね」

「……ソルジュ」

「貴方のために、飛んできてあげましたよ」


 彼女は薄黄色の髪を揺らす。赤みが掛かった肌と、尖った耳。くるりと巻かれた髪は、ロールパンのようだ、とヴェスタが言っていたのだったか。


「あんまり辛気臭い顔をしないで」

「無理な話をするな」

「貴方の大事な子は、もう居場所を掴んでいるわ」

「!!」


 朗報とも言える言葉に、彼女の肩を掴もうとした。が、ソルジュはひらり、かわして歩き始める。僕もその背を追いながら、彼女の話を聞いた。


「ヴェスタが飛び込んできたときは驚いたけど……ちょうど、私たちも王子様の捜索をしていたの」

「……どういうことだ」

「誘拐事件よ。騎士団って迂闊よね。まあ、私たちとは比べ物にならないぐらい愚鈍だから、仕方がないけど」


 ソルジュが言うには、お茶会の最中に王子と二人の令息令嬢が攫われてしまったそうだ。迂闊どころか懲戒処分を受けるだろう事件に僕は眉を寄せる。


「貴方の大事な子は、嫌がらせで誘拐されたわね」

「なぜ分かる」

「貴方のことを蛇蝎の如く嫌っていた学者がいたじゃない」

「……フェードマ・ダングスのことか?」


 僕が聞くと、ソルジュは「そう。よく覚えているわね?」と不思議そうな顔をした。


「僕に敵対意識を向けていることは知っていたが、そこまで行動的な男だとは思っていなかったな」

「そうね……彼の行方も知れていないの。文献もいくつか盗まれていたし。あ、彼が研究していた分野のものよ?」


 王子を奪われた騎士団とは違う――ということを言いたかったのだろう。僕は眉間を揉むと、ソルジュを見上げる。


「ヴェスタはもう向かっているのだな」

「ええ、騎士たちと一緒にね」

「ソルジュは場所が分かるのだろう」

「もちろん。ヴァンス侯爵家の使用人に、馬を二頭、用意させたから。それで向かいましょう」


 ソルジュの言葉通り、屋敷の前には二頭の馬がいた。普段の僕なら、馬を用意することぐらい思い付いただろうに。そこまで焦燥していたか、と苦笑をこぼす。


「とりあえず、向かいながら頭を冷やしなさい」

「ああ」


 返事をした僕は、彼女に倣って馬に跨った。

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