第5話 遠い海


 「ほ、ほなこれ知っとるか。浅草寺! めっちゃエモいやつや!」

 「行ったことある。三回くらい。ていうか、七十年経ってもあるんだね」

 「……ふ、ふふ……なら、とっておきや……ばあん! どや! 奈良の大仏! でかいやろでかいやろ! びびったかあ!」

 「修学旅行で行った、かな」

 「……最終兵器! これが本場の富士山やあああ!」

 「……ね。なんでそんな渋い感じに絞り込んできてるの」


 桃色に見える眉の尻を下げ、リンドウはかくりと肩を落とした。指先を天井のほうへ向けてくるりと回してみせる。と、ススムの目の前に展開されていた情景が掻き消えた。


 どこかに連れて行ってというススムに、リンドウは鼻をすすり上げながら頷いたのだ。わかった、ええとこ見せちゃる、驚くんやないで、と鼻息を荒くしながら、ススムの視覚野にこの時代の情景をいくつも投影してみせたのだ。

 あたかもその場所に立っているように、周囲の音も匂いも、温度すら感じる。ススムはそのことにはたいへん驚いたが、主題の選択に残念感が漂った。

 

 「おっかしいなあ……ここ何年かの十代の観光入り込み数の最上位、たったいま検索したばっかりなんやけどなあ……」

 「この時代だとそういうの、テーマパークみたいな感じになってるんだろうね。僕らの時代だとなんかおじいちゃん感あるけど」

 「そうなんかなあ。ううん、ほなどこを見せたらええんやろ……」

 「あのさ、普通に街の様子とか、見てみたいかな。どんなふうにみんな暮らしてるのかとか。ずいぶん変わったんでしょ、その、七十年……前、と」

 「……そない変わってへんと思うけど……ほな」


 映し出された情景は、たしかにススムが眠りにつく前に暮らしていた時代とそう大きくは変わっていない。街にはビルが立ち並び、鉄道も走っている。忙しそうに行き交うひとびとの表情も、公園で遊ぶ家族の様子も、ススムの記憶にある風景と似たようなものだ。

 それでもいくつかススムの興味をひく点があり、目を見開いて興味深げに周囲を見回している。気がついたことをリンドウに質問し、答えを得るたびに嬉しそうに頷いている。


 「なんや知らんけど、気に入ったんならよかったわ」

 「うん、似てるようにみえるけど、ぜんぜん違う。普通の自動車がほとんど走ってないとことか、服装とかも」

 「普通の自動車って、ええと、自家用車ってやつやな? そういうのはいまでは金持ちの道楽や。みんな、コミュバスっていう乗り合いで移動しとるで。服装は、そやな、なんかここ三十年くらいめっちゃ暑うなってな。みんな一年中、半袖や」

 「へええ」


 楽しげなススムの様子にリンドウは口元を綻ばせた。しばらく隣で同じ情景を眺めてから、ふと小さく呟く。


 「……な。外の風景、見にいくか。ほんものの、な」

 「え、いいの」

 「いくない。怒られるやつや」

 「……だめじゃん」

 「あはは。ま、一緒に怒られようや」


 そう言ってススムの方に向き直り、手を伸ばす。再生していた情景が消え、病室の中で向き合う。こくりと首を倒しながら微笑むリンドウに、ススムはおなじ表情を返して、手を握り返した。

 リンドウが片目を瞑ってみせると、ぴん、という音とともに病室の壁の一部に亀裂が入った。亀裂は長方形に結ばれ、先ほど引きずられるように出て行った扉とは別の壁に出入り口をつくった。


 「行こう!」

 「……うん」


 扉の外は上りの階段になっていた。どういう仕組みなのかススムにはわからないが、足を踏み出すたびに段が増える。息が切れたが、早足で上がっていくリンドウに必死についてゆく。

 白い天井のようなものが近づき、そこにも亀裂が入る。

 亀裂から光が差し、やがて割れ、まばゆい長方形を描いた。

 ススムは思わず目を伏せ、おずおずと見上げる。


 蒼。

 痛いくらいに蒼い空が広がっていた。

 いくつかの小さな雲、風の匂い。

 

 「おいで」


 リンドウが伸ばした手を握り、開口部から外に出る。


 「……わ」


 病院の屋上なのだろう。

 病室の柔らかな調度とはずいぶん印象の異なる、無機質で機械的な空間。

 だが、そのことが空の色と目の前の広大な情景に対して強いコントラストをつくり、その密度がススムにぶわりと降りかかった。無意識に深呼吸をする。手を握り、開いて、空にかざす。

 生命。

 ススムには自覚できていないが、彼はいま、そのことを実感している。


 「な、こっち来てみ。いっとうお気に入りの場所、教えたる」


 リンドウはススムの背の方向へ歩き出した。ススムもついてゆく。

 すぐにフェンスに行き当たり、リンドウはそこにしがみつくようにして身体を乗り出した。ほら、と言いながら、遠くを指差す。

 地平のあたりがきらきらと輝いている。


 「海だ」

 「お。知っとるやんけ」

 「……誰でもわかるよ、そんなの」

 「へへ、そか。行ったことあるんか」

 「うん、何回か。行ったこと、ないの?」


 リンドウが軽い調子で言葉を返さなかったから、ススムは彼女の方に顔を振り向けた。すぐ隣の白い頬は、ススムにはどこか寂しそうに見えた。


 「……あたしな、なんか偉そうなこといろいろ言うとるけど、この病院から出たことないんや」

 「……え」

 「あはは、メディケアノイドやからな。そら病院からは出られんよな。出るとしたって誰かにくっついていくしかないけど、あたしの担当した患者さんたちについていくわけにもいかんし」

 「……そう、なんだね」

 「うん。せや。せや、からな……」


 リンドウはフェンスに置いた手を離し、半歩ほど後ろにさがって俯いた。それを目で追うススムをきっと見上げて、なぜか睨むような視線を寄越す。


 「笑うんやないで!」

 「え、うん、いや、なにが……?」

 「……誰かに、海、連れてってもらうのが夢なんや。ずっと、ずうっと、な。へ、変やろ、人工知能が海、みたいなんてな。なんぼでも検索できるし、高精細の映像だって再生できるし、なんなら匂いだって再現できる。でも……」

 「……」

 「誰か……誰かの、あったかい手、握ってな……海、見たいんや。人間みたいに、並んで砂浜に立って、な。そしたら、きっと……」


 リンドウの言葉を聞きながらじっと見返しているススムの視線を改めて感じて、照れ臭くなったのだろう。ススムの脇腹に、リンドウはこつんと拳を当ててきた。


 「笑うんやないっていうたろがい!」

 「わ、笑ってないって」

 「いいや笑った! ぜったい笑った!」


 さら、とあたたかな風が、わやわやとふざけあう二人を撫でてゆく。

 するはずのない潮の匂いを感じたように、二人ともに思っている。

 

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