第10話「剣の裏側 ― 静かなる同盟」

 王都の夜は、昼間の喧騒とは打って変わって、ひどく重たく静かだった。

 路地に響く足音だけが、俺の存在を証明している。


 人通りの少ない石畳の裏道を、俺――カイル・グレイヴァルドは、手紙の指示どおりに歩いていた。

 目的地は、王都南端の古びた鐘楼跡。もう何年も前に使われなくなった建物で、今では誰も寄りつかない。

 “何か”を話すにはちょうどいい、忘れられた場所だった。


 だが、そこにはすでに誰かがいた。


 俺が石段の前に立ったとき、鐘楼の影にひとつの人影が腰かけているのが見えた。

 顔は深くフードで隠れていたが、その姿勢、空気の揺らぎ、無言の呼吸――俺には、見覚えがあった。


「……久しぶりだな」


 俺が声をかけると、そいつは目だけを動かしてこちらを見た。

 そして、低く、しかし変わらぬ声で返してくる。


「まさか、お前が応じるとは思ってなかった」


「俺も、お前が生きてるとは思わなかったよ」


 短く、静かなやり取り。

 だが、その言葉の裏に、かつての日々の影が浮かぶ。


 こいつは――イングヴェイ・エスフィル。

 あの勇者パーティーの一員。戦術と索敵を担当し、“頭脳”とまで呼ばれた男。


 もう何年も音沙汰がなかった。

 噂では死んだとも聞いたが……どうやら、死んだのは“表の顔”だけだったらしい。


「……イングヴェイ・エスフィル」


 思わず名前を呼ぶと、奴はすぐに片手を挙げて制した。


「名を呼ぶな。ここではな」


「悪かった。……だが、こうして出てきた以上、覚悟はあるんだろ」


「……まあな」


 相変わらず、歯切れの悪いやつだ。


「手紙をよこしたのは、お前か?」


 俺が問うと、イングヴェイは目を伏せて、わずかに間を置いた。


「断定はしない。……だが、お前に届いたということは、何かを託したいと思った奴がいたんだろうな」


 はぐらかした言い回しだったが、それでもいい。

 こうして目の前に現れた時点で、“意思”は伝わっている。


「アルヴィンが動いてる。襲撃者まで使ってきた。……最初はリシェルが狙われると思ってたが、今は違う気がしてる」


「そうか」


 イングヴェイの表情がわずかに曇った。

 この男も、何かを嗅ぎ取っている。

 俺たちは今、同じ地雷原の上に立っているんだ。


「お前の動きも掴まれてる。……俺のも、だ」


「じゃあ、次は俺ってわけか」


 口に出しても、不思議と恐れはなかった。

 覚悟なんてものは、とっくに捨ててきた。


「あいつらは、理由なんてどうとでも作る。“正義の名”があればな」


「……アルヴィンは恐ろしく狡猾だ。証拠は消される。動く前に、アイツの手を読むしかない」


 そう言って、イングヴェイは懐から小さな紙片を取り出した。

 折り畳まれたその一枚を俺に差し出す。


「ここに、“次に動く”と噂されている対象の名前がある。裏の情報筋から拾った。確証はないが、無視はできん」


 俺は受け取って広げ、中に書かれた文字を目で追う。

 そこには聞き覚えのある名前が書かれていた。

 なるほど。確かにあり得る。


「……リシェルだけじゃない。関わった人間すべてが、“対象”になるってことか」


「ああ。今さらだが、あの時……俺たちは、もっとよく見るべきだったんだ」


「過去を悔やんでも、何も戻らない」


 俺は立ち上がった。

 この場で語るべきことは、もう終わった。


「大事なのは、今をどう動くかだ」


 イングヴェイもゆっくりと立ち上がる。

 その動きの滑らかさに、かつての鋭さがまだ残っているのがわかった。


「連絡が必要なら、同じ場所に記しておけ。……それと、用心しろ。あいつらは、“ためらい”を持たない連中だ」


「ああ。……忠告、感謝する」


 イングヴェイは再びフードを深くかぶり、路地の闇へと姿を溶かした。

 その背を、しばらく見送ってから、俺は月を仰いだ。


 冷たい夜気が、頬をなでる。


「……次に狙われるのは、リシェルじゃない。俺か、それとも――」


 呟いた言葉は、月に届く前に飲み込まれた。


 だが確かに、この瞬間から何かが変わった。

 かつての仲間との再会――それは、終わったはずの戦いが、まだ続いているという“証明”だった。

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