第4章

(1)仕事は先手必勝

 最近の結香さんは、週に2回、昼の休憩時間前にわたしのデスクをたずねてくる。1回はこれまでと同じ木曜日、もう1回は月曜日。月曜日にわたしのデスクにきた結香さんは、その週の結香さんの仕事の予定をわたしに教えてくれる。派遣スタッのわたしは、「正社員」がどんな仕事をしてるのか全く知らず、はじめて聞くはなしばかりである。


 それにしても、どうして結香さんはそんなはなしをしてくれるのだろう。その理由がわかったのは、の人事課から、わたしに「正社員」にならないかという誘いがあったからだ。おそらく結香さんがそのはなしの仕掛け人か、そうでなくとも、わたしを正社員にする計画を知った結香さんが、わたしを誘っているのだろう。


 ランチタイムにそのことを聞くと、結香さんはあっさり認めてくれた。わたしを正社員の「仲間」として迎え、一緒に仕事をしたいのだ、と。結香さん、それはわたしを買いかぶり過ぎじゃないかな。でも、派遣スタッフは「仲間」じゃなかったんだ。ちょっと悲しいけれど、それが現実だよね。


 ところが、結香さんの力のこもった誘いの言葉は止まらない。うちの会社は上司から指示された仕事だけやってればよいという従業員ばかり。その結果、なにかが起きてから後追いで対応することが結香さんは不満なのだそうだ。次に起こるかもしれないことへの備えをしておけば、結果的に仕事の負担が減るのに、という結香さん。そうなんだよね。目の前にある伝票の処理だけでなく、「あるべき伝票がないとき」の対応も日常業務になったいまのわたし。結香さんの気持ちがよくわかった。


 ここで結香さん、とつぜん野球のはなしを持ち出した。スポーツには「ホームアドバンテージ」があって、野球もホームチームの後攻めのチームの勝率が高いけれど、「仕事は先手必勝」だそうだ。わたしは結香さんがいやがったあだ名のはなしを思い出した。このときのわたしはそのあだ名、「勝率の女神」の本領をみたような気がした。


 それからも、ことあるごとに結香さんはわたしに「正社員」にならないかと誘ってくる。結香さんも、ここが勝負どころと感じているのだろう。返事は急がなくていい、といいながらも、「仕事は先手必勝」とばかりにぐいぐい攻めてくる。


 でも、ちょっとまってほしい。わたしにはかけもちの仕事もあるんだよね。そして、そのことは結香さんにもだまっているわたし。まさか結香さんが担当者として、「兼職はできればご遠慮していただきたい」と説明したことを忘れているはずもない。結香さんが誘ってくれるたび、それもうれしそうに誘ってくれるのをみるたび、わたしもうれしい。だけど、どうしよう。どのように返事をするか、決めかねるわたし。


 そういえば、こういうときに頼りになるヤツがいたな。アンタだよ、アンタ。

(つづく)

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