第22話 「後回しにするなんてロザリーらしくないわね」

 重い足取りで教室へと戻ると、アマリアがロザリーに気付いて顔を上げる。ずいぶんと早く戻ってきたロザリーに、アマリアは不思議そうに目を瞬かせた。

 アマリアは本を読んでいたようで、他に教室には誰もいない。彼女はパタリと本を閉じて、立ち上がる。


「早かったわね。ちゃんと話できた?」


「……うん、ちょっとタイミングが悪くて戻ってきちゃった」


 ありのままを全部話すことはできず、事実だけを端的に伝えた。


「ごめん、私もう帰るね。気を張ってたみたいで、ちょっと疲れちゃって。待っててくれてありがとう」


 ロザリーはそう言って笑みを作る。上手く笑えているかどうかは分からない。アマリアには申し訳ないが、踵を返そうとする。が、ぐいと腕を掴まれた。


「わっ!」


 そのままアマリアの方を振り返るように引っ張られ、かちりと視線が合う。真剣な表情でこちらを見下ろすアマリアに、首を傾けた。


「あ、アマリア?」


 恐る恐る声をかけると、にんまりと口角を上げる。


「お茶しに行きましょ、街まで」


「えっ、でもごめんね……。今日そんな気分じゃなくて」


 気持ちは嬉しいが、今は考えることが多すぎて正直それどころではない。ロザリーが遠慮しても、アマリアは手を離す様子はなかった。


「とにかく行くわよ」


 有無を言わせぬ圧に押されるうちに、ロザリーはアマリアに手を引かれ、教室を後にすることになった。



「わあ……!」


 ロザリーは思わず感嘆の息を漏らす。きらきらとした装飾はどこか異国めいていて、まるで別の国に来たみたいだ。ふんわりと漂うのは甘い刺激的な香り、でも嫌な匂いじゃない。

 慣れたように中へと進んでいくアマリアに恐る恐るついていく。どうやらそれぞれの個室が刺繍の美しい布で遮られているようで、店全体がどこかミステリアスな雰囲気だった。

 その中の一室にアマリアは躊躇なく入っていく。


 おどおどとしているロザリーは、促されるままにきらびやかなテーブルについた。

 アマリアはテーブルに置かれているベルを鳴らすと、見慣れぬ服を着た店員が布の外から顔を出す。戸惑うロザリーをよそに、慣れたようにアマリアは注文していった。


「アマリアはいつもここに来てるの?」


「落ち込んだ時とか、たまにね。一人でゆっくりできるし、異国情緒があって素敵でしょう?」


「う、うん」


 こくこくと頷くと、アマリアは慣れないロザリーを見てふふっと笑みをこぼす。

 しばらくして、見たことないお菓子や不思議な色の茶が運ばれて来た。それに驚いたり、舌鼓を打ってるうちに気分も少し落ち着いてしまう。


「それで?」


「うん?」


 甘いお菓子も食べ、一度落ち着いたところでアマリアが問いかけてくる。


「何があったの? タイミング悪くてなんて、流石に誤魔化されないわよ」


 アマリアに疑いの目を向けられ、ロザリーはカップを置いて慌てて手を横に振った。


「そ、それは本当だって」


 流石に、テオの事情を勝手に話すわけには行かないし、ブランドンがいたことは事実である。それでもなお疑っている様子のアマリアに、渋々とロザリーは口を開いた。


「あの、塔の人が来てたの」


「ええ? 塔って、あの蛇の塔?」


 アマリアが驚いたように目を丸くする。


「アマリアも知ってるんだ。元々お仕事で学院に来てたらしいんだけど、テオさんに用があってよく来てるって前に言ってたの」


「そりゃ塔って有名だもの。そうなんだ、変わった人ね。蛇ってあまりよそ者に興味がないって聞いたけど」


 ふんふんとアマリアの言葉にロザリーは相槌を打った。きっと世間一般の認識はこうなのだろう。ロザリーは蛇の塔の存在さえ知らなかったが。


「そうなんだ。ホスキンズさんは、テオさんに塔に来て欲しいって言ってたよ」


「……ホスキンズさんって人なの?」


「うん、ええっとブランドン・ホスキンズさんだったかな。その人も有名なの?」


 アマリアに聞き返されたので、ロザリーも尋ねてみる。一度会っただけだったから、どんな人なのかは結局よく分からなかった。


「ううん、知らないけど。塔ってどれくらいの構成人数なのかも分からないし、有名な人って言ってもほんの一握りなのよね」


「へえ……」


 アマリアは物知りだと、素直に感心してしまう。そんなアマリアが少し顔を曇らせた。


「で、次はいつ行くの? タイミング悪かっただけなら、また明日もあるじゃない」


「ううん、そうだけど」


 アマリアの言っていることは正しい。だが、どうしても躊躇して、言い訳を探してしまう。


「実を言うと、実技の試験が本当に危うくって」


「ええっ、テオ・ランベールとの特訓の成果は?」


 驚いた顔のアマリアに思わずロザリーは苦笑いをこぼした。上手くいっていると言えればよかったのだが。


「サリス先生も成長してるとは言ってくれたんだけど、まだまだ足りないって……。今度の試験で一定の点数を取れなければ」


 ロザリーはそこで一度言葉を詰まらせる。心配そうなアマリアの視線が刺さり、無理矢理に口角を上げた。


「長期休暇、補習になっちゃうかもって」


「ええ!? ロザリーのおばあちゃんの家に、一緒に行くって言ったじゃない!」


 がくりと肩を落とすアマリアに、慌てて言う。


「そう。だから帰るためにもそっちを頑張ったほうがいいかなって。試験のことも落ち着いて、私の頭も冷えたら、それから謝ろうかなって」


「後回しにするなんてロザリーらしくないわね。まあ、ロザリーが決めたことだからあんまりあたしが口を挟むつもりはないけど」


 はは、とロザリーは固い笑みを浮かべた。アマリアには、退学がかかっていることは言えなかった。

 とりあえず誤魔化すために口にした理由だが、正直ロザリーは、これからどうしたらいいのか少しも分からなかった。



 ぱらりとテオがページをめくる。先ほどから欠片も集中できず、目は紙面に書かれた文字を全く追えずにいた。

 テオが何度も読み返した、妖精について書かれた文献。その一節をようやっと辿る。


 妖精の瞳。その言葉自体は、何度も見たものだ。本の中に、ただ一節だけ書き残された単語。


「姿を見せぬ妖精をその目だけで暴き、偽りすらも見抜き、妖精の宝とも呼ばれる人間が稀に生まれることがある」


 何度もそらんじた文章は、目を閉じていたとしても口にすることができただろう。


「妖精の瞳、本当にいるのか?」


 テオは、中庭での異変を目撃した時、その可能性を自然と排除した。研究者としてはあるまじき行為だが、それも仕方がない。

 妖精の瞳は確かに記録としては残っているが、それも僅かなものだけである。テオが聞き及んでいる情報だけでも、妖精と同様に、否それ以上に伝説のような存在だった。


「だが、そうだとしたら」


 ぽつりと呟き、仮説が頭の中を巡り始める。その瞬間、部屋の外で僅かに物音がした。

 慌ててそちらを振り返る。


「……ホスキンズか?」


 返事はない。諦め悪くまた戻ってきたのかと思ったが違うようだ。


「っ、アネットか?」


 咄嗟に、その名前を口に出していた。そちらも返事はない。なぜその名前が出たのか、考えようとする思考を止め、テオは立ち上がる。

 扉の前までつかつかと歩みを進め、勢いよく扉を開け放った。


「気のせいか」


 そこには人の姿一つない。テオの声が、しんとした廊下に響く。ただ、魔力の気配が薄らと辺りに漂っていた。

 ふつふつと嫌な予感が這い寄ってくる。だがその正体は判然としない。やがてテオはそれを振り払うように、ぴしゃりと扉を閉めた。

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