第22話 「後回しにするなんてロザリーらしくないわね」
重い足取りで教室へと戻ると、アマリアがロザリーに気付いて顔を上げる。ずいぶんと早く戻ってきたロザリーに、アマリアは不思議そうに目を瞬かせた。
アマリアは本を読んでいたようで、他に教室には誰もいない。彼女はパタリと本を閉じて、立ち上がる。
「早かったわね。ちゃんと話できた?」
「……うん、ちょっとタイミングが悪くて戻ってきちゃった」
ありのままを全部話すことはできず、事実だけを端的に伝えた。
「ごめん、私もう帰るね。気を張ってたみたいで、ちょっと疲れちゃって。待っててくれてありがとう」
ロザリーはそう言って笑みを作る。上手く笑えているかどうかは分からない。アマリアには申し訳ないが、踵を返そうとする。が、ぐいと腕を掴まれた。
「わっ!」
そのままアマリアの方を振り返るように引っ張られ、かちりと視線が合う。真剣な表情でこちらを見下ろすアマリアに、首を傾けた。
「あ、アマリア?」
恐る恐る声をかけると、にんまりと口角を上げる。
「お茶しに行きましょ、街まで」
「えっ、でもごめんね……。今日そんな気分じゃなくて」
気持ちは嬉しいが、今は考えることが多すぎて正直それどころではない。ロザリーが遠慮しても、アマリアは手を離す様子はなかった。
「とにかく行くわよ」
有無を言わせぬ圧に押されるうちに、ロザリーはアマリアに手を引かれ、教室を後にすることになった。
*
「わあ……!」
ロザリーは思わず感嘆の息を漏らす。きらきらとした装飾はどこか異国めいていて、まるで別の国に来たみたいだ。ふんわりと漂うのは甘い刺激的な香り、でも嫌な匂いじゃない。
慣れたように中へと進んでいくアマリアに恐る恐るついていく。どうやらそれぞれの個室が刺繍の美しい布で遮られているようで、店全体がどこかミステリアスな雰囲気だった。
その中の一室にアマリアは躊躇なく入っていく。
おどおどとしているロザリーは、促されるままにきらびやかなテーブルについた。
アマリアはテーブルに置かれているベルを鳴らすと、見慣れぬ服を着た店員が布の外から顔を出す。戸惑うロザリーをよそに、慣れたようにアマリアは注文していった。
「アマリアはいつもここに来てるの?」
「落ち込んだ時とか、たまにね。一人でゆっくりできるし、異国情緒があって素敵でしょう?」
「う、うん」
こくこくと頷くと、アマリアは慣れないロザリーを見てふふっと笑みをこぼす。
しばらくして、見たことないお菓子や不思議な色の茶が運ばれて来た。それに驚いたり、舌鼓を打ってるうちに気分も少し落ち着いてしまう。
「それで?」
「うん?」
甘いお菓子も食べ、一度落ち着いたところでアマリアが問いかけてくる。
「何があったの? タイミング悪くてなんて、流石に誤魔化されないわよ」
アマリアに疑いの目を向けられ、ロザリーはカップを置いて慌てて手を横に振った。
「そ、それは本当だって」
流石に、テオの事情を勝手に話すわけには行かないし、ブランドンがいたことは事実である。それでもなお疑っている様子のアマリアに、渋々とロザリーは口を開いた。
「あの、塔の人が来てたの」
「ええ? 塔って、あの蛇の塔?」
アマリアが驚いたように目を丸くする。
「アマリアも知ってるんだ。元々お仕事で学院に来てたらしいんだけど、テオさんに用があってよく来てるって前に言ってたの」
「そりゃ塔って有名だもの。そうなんだ、変わった人ね。蛇ってあまりよそ者に興味がないって聞いたけど」
ふんふんとアマリアの言葉にロザリーは相槌を打った。きっと世間一般の認識はこうなのだろう。ロザリーは蛇の塔の存在さえ知らなかったが。
「そうなんだ。ホスキンズさんは、テオさんに塔に来て欲しいって言ってたよ」
「……ホスキンズさんって人なの?」
「うん、ええっとブランドン・ホスキンズさんだったかな。その人も有名なの?」
アマリアに聞き返されたので、ロザリーも尋ねてみる。一度会っただけだったから、どんな人なのかは結局よく分からなかった。
「ううん、知らないけど。塔ってどれくらいの構成人数なのかも分からないし、有名な人って言ってもほんの一握りなのよね」
「へえ……」
アマリアは物知りだと、素直に感心してしまう。そんなアマリアが少し顔を曇らせた。
「で、次はいつ行くの? タイミング悪かっただけなら、また明日もあるじゃない」
「ううん、そうだけど」
アマリアの言っていることは正しい。だが、どうしても躊躇して、言い訳を探してしまう。
「実を言うと、実技の試験が本当に危うくって」
「ええっ、テオ・ランベールとの特訓の成果は?」
驚いた顔のアマリアに思わずロザリーは苦笑いをこぼした。上手くいっていると言えればよかったのだが。
「サリス先生も成長してるとは言ってくれたんだけど、まだまだ足りないって……。今度の試験で一定の点数を取れなければ」
ロザリーはそこで一度言葉を詰まらせる。心配そうなアマリアの視線が刺さり、無理矢理に口角を上げた。
「長期休暇、補習になっちゃうかもって」
「ええ!? ロザリーのおばあちゃんの家に、一緒に行くって言ったじゃない!」
がくりと肩を落とすアマリアに、慌てて言う。
「そう。だから帰るためにもそっちを頑張ったほうがいいかなって。試験のことも落ち着いて、私の頭も冷えたら、それから謝ろうかなって」
「後回しにするなんてロザリーらしくないわね。まあ、ロザリーが決めたことだからあんまりあたしが口を挟むつもりはないけど」
はは、とロザリーは固い笑みを浮かべた。アマリアには、退学がかかっていることは言えなかった。
とりあえず誤魔化すために口にした理由だが、正直ロザリーは、これからどうしたらいいのか少しも分からなかった。
*
ぱらりとテオがページをめくる。先ほどから欠片も集中できず、目は紙面に書かれた文字を全く追えずにいた。
テオが何度も読み返した、妖精について書かれた文献。その一節をようやっと辿る。
妖精の瞳。その言葉自体は、何度も見たものだ。本の中に、ただ一節だけ書き残された単語。
「姿を見せぬ妖精をその目だけで暴き、偽りすらも見抜き、妖精の宝とも呼ばれる人間が稀に生まれることがある」
何度もそらんじた文章は、目を閉じていたとしても口にすることができただろう。
「妖精の瞳、本当にいるのか?」
テオは、中庭での異変を目撃した時、その可能性を自然と排除した。研究者としてはあるまじき行為だが、それも仕方がない。
妖精の瞳は確かに記録としては残っているが、それも僅かなものだけである。テオが聞き及んでいる情報だけでも、妖精と同様に、否それ以上に伝説のような存在だった。
「だが、そうだとしたら」
ぽつりと呟き、仮説が頭の中を巡り始める。その瞬間、部屋の外で僅かに物音がした。
慌ててそちらを振り返る。
「……ホスキンズか?」
返事はない。諦め悪くまた戻ってきたのかと思ったが違うようだ。
「っ、アネットか?」
咄嗟に、その名前を口に出していた。そちらも返事はない。なぜその名前が出たのか、考えようとする思考を止め、テオは立ち上がる。
扉の前までつかつかと歩みを進め、勢いよく扉を開け放った。
「気のせいか」
そこには人の姿一つない。テオの声が、しんとした廊下に響く。ただ、魔力の気配が薄らと辺りに漂っていた。
ふつふつと嫌な予感が這い寄ってくる。だがその正体は判然としない。やがてテオはそれを振り払うように、ぴしゃりと扉を閉めた。
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