最終話・報われない幼馴染

第19話 僕には使いやすい悪魔がいた

 絶望。望みが絶えた、と書いて絶望。頭の中がその二文字で満たされている。

 空気が重く、部屋の隅までその言葉に染まっていると錯覚するほどだ。


「僕はどうしたら君を救える?」


 わかってるんだろ


「何をしても裏目に出る。10年間の片思いを耐えても君は僕の前から去っていく。」


 彼女は望んでいない


「君との念願の交際を続ければよかったのか?そうしたら今君はここにいるのか?」


 いない、いつかは必ず何かしらの形で僕の前から去る。


 頭の中でもう一人の僕が後ろ向きな言葉を投げかけてくる。だけど気づいていた。もう一人の僕はもう答えに気づいている。後ろ向きな言葉なんかじゃなく、真実を伝えてるんだ。


「…カナエ。」

「はい…。佐久間様。カナエは傍にいます。」


 カナエはいつものにやりとした笑みを消して、真面目な顔で僕を見つめていた。


「巻き戻してほしい。」

「もちろん、貴方様がお望みであれば。」


 確信をくれ。確証をくれ。『これ』以外ありえないという、絶対的な理由をくれ。

 僕に足掻く時間を、わがままを言わせてくれ。認めたくないんだ。


「違う…あり得ない…僕は…。」

「さ、佐久間様?大丈夫ですか?」

「…声だ。声を渡す。…それで、何年戻れる。」

「声と言いますと…野山モジ様の声、でよろしいですか?」

「あぁ。」

「あの、佐久間様。体調が優れないようですが…少し休んでからにいたしませんか?急な状況の変化には精神的疲労が伴います故…。」


 あのいつだって不気味に笑ってたカナエが今はおろおろと慌てた様子で僕を心配するので、可笑しかった。


「ははっ…どうした。いつもの調子じゃないな。」

「私と佐久間様はパートナーではありませんか。ふふふ…。貴方様の気分が優れないのでありましたら介護するのが当然でしょう。」


 どの口が…。こんなに何もかも見えない僕にしたのは、お前のせいだろ。


「お前が、僕をこうしたのにか。」

「そんなおつもりは…。」

「あるだろ。一番最初の巻き戻し、お前言ったよな?『野山モジ様が死ぬ前まで、時間を巻き戻して差し上げましょう。』」

「い、言いました。」

「だが戻したのはいつだった?もうモジは死んでたよな?まさか刃物で刺されて、首を吊ってるあの状態を死ぬ前って言うのか?」

「あ、貴方様から頂いた思い出ではあの程度しか戻れなかったのでございます。もっと素晴らしく立派な思い出を頂けれていれば…。」

「なんだ?僕が最初に渡した記憶がちっぽけだったとでも言うのかよ?」


 何を渡したかは記憶にない。それでも大切な思い出ではあったはずだ。


「そんな…理不尽な。私は貴方様のお望みをただ、叶えたくて…。」

「ならもう黙って巻き戻せ。僕の体調の心配なんかするな。虫唾が走る。今度会う時はその薄ら笑いはやめろ。…本気で殴りたくなる。」

「え、えぇ…貴方様がお望みであれば。で、では…『野山モジ様の声』を犠牲として、時を戻させていただきます。」

「待て。」

「ひっ…な、なにか私間違えましたか?」

「何年戻れるんだ。」

「え、あ、だ、大体…。」


 コイツ…!

 僕は我慢ならなくなり、天使の胸倉を掴んだ。指先に伝わる布の感触と、カナエの驚きが湿った空気を引き裂く。カナエは目を閉じて、まるで殴られる直前、のような被害者ヅラをしてくるのが余計ムカついた。


「ひぃいいっ!」

「大体じゃない、お前操作できるだろ。正確な情報だ。」

「は、はい。その…貴方様が野山モジ様に告白する、直前でございます。」

「またとんでもない瞬間に…。まぁ良い。飛ばせ。」

「はい…。改めまして、『野山モジ様』の声を犠牲とし、時を戻させていただきます。」

「…。」


 カナエが手を回すあの動作をしだして、僕は睨むのをやめた。これで最後だ。もうモジのほとんど全てを僕は失った。どんな顔だったのかも、どんな声だったのかも思い出せなくなる。


「いってらっしゃいませ。」

「…じゃあな。」


 もう何度目かわからない巻き戻り。…見慣れたもんだ。

 落ちていく意識の中、もう誰を恨めばいいのかわかってることの心地よさに身をゆだねた。



 ・・・




 目を覚ますと、僕の頬を柔らかな風が通って行った。目の前に広がる光景は最悪なのに、何故かすっきりとした気分だ。

 モザイクのかかった君が恥ずかしそうに体をねじらせている。


「縺オ縺?シ?シ溘◎縲√◎繧後?窶ヲ縺ッ縲√◎縺ョ窶ヲ菴蝉ケ?俣繧や?ヲ縲」

「…。」


 君が何を言っているか、耳では聞き取れなくても脳が覚えている。耳に残るのは言葉の断片どころではない、ただの音だった。その輪郭は崩れ落ちている。会話のはずが、もうそこには共振も手応えもなく、ただ音が立っているだけだった。


「縺輔?∽ス蝉ケ?俣?溘←縺?°縺励◆?」

「いや…うん。ごめんモジ。やっぱり君とは付き合えない。僕は君を不幸にするから。」

「縺ェ縲∽ス輔r險?縺」縺ヲ繧九??溘◎繧薙↑縺薙→縺ェ縺?h窶ヲ?」

「…じゃあね。もう、金輪際会わないと思う。」


 そう言い残し、僕は走った。モジが何か叫んでいたが、僕の耳には不協和音としか捉えられない。

 逃げ帰ってすぐ、扉に鍵を閉めた。鍵を回す音が予想以上に大きく、安心も嘘のように薄い。

 モジが強行突破してくるとは思っていなかったが、念のためだ。


「…ふぅ。これは…キツイな。」


 モザイクも酷かったが、声だけでも助かってたんだと先ほどの情景を恐怖する。意思疎通が取れない辛さを見誤ってた。もう二度と、会話できないのか…。それはもう、この世にいない、死と同義な気がしてしまう。


「…もう良い。救えればいいんだ。彼女が生きてさえいれば僕は十分生きていける。」


 完全に僕の人生にとって、モジの死がトラウマと化した瞬間だった。


「…どうせいるんだろうな。」


 あの尖ってそうでやわらかい角とふわふわと可愛いしっぽを思い浮かべながら僕は階段を上る。最後に会った時、喧嘩別れをしてしまった。喧嘩というより僕の一方的な罵倒だったけど。

 でもいるんだろ、君は。


 自分の部屋を開くと、明かりが外に漏れだす。電気がついている。


「…ただいま。」

「サクマっ…!」


 だってお前は、悪魔だもんな。

 ナツメは走り、僕を抱きしめ顔を埋めて来た。


「すまなかった。私が悪かった…。すまない…ごめん、ごめんなさい…。ううっ…。」

「もういい。わかったから、離れろナツメ。服が汚れる。…ってか悪魔のくせに泣くなよ。」

「だってもうサクマに会えないなんて、辛くて…私…。」


 肩を持って少し離したナツメの姿は、悪魔なんかではなくただの一人の女の子だった。好きな人に嫌われたと思って、後悔の嵐に飲まれ、泣きじゃくる。

 ただの…悪魔。


「ティッシュあるから鼻かめ。」

「うっ、ぐすっ。…ありがと。」


 ナツメの前にティッシュボックスを差し出すと、彼女は一枚だけ取って鼻をかんだ。


「もう怒ってないのか…?」

「あぁ、というか謝るのはこっちだ。悪かった、ナツメのせいじゃないのに。」

「な、何を!悪いのは私だ…。あそこで邪魔をしなければ救えたんだ。」

「いや…まぁいいか。とりあえず仲直りしてくれないか、ナツメ。」


 右手を差し出すと、ナツメはまた泣きそうな勢いで左手で握手し返してくれた。


「も、もちろんだ。願ってもない!」

「…ありがとう。」


 まずは、第一段階突破。

 ここで仲直りしてくれなければこの後の作戦がすべておじゃんだ。


「それじゃナツメ、久しぶりに作戦会議だ。」

「わかった。今回も全て空から見ていた。…今回の野山モジの死は私の責任だ。もうすでにサクマは情報を集めているのだろうが、確認しておくか?」

「頼むよ、それとナツメのせいってわけじゃない。結局あそこで僕が上手く別れられなかったんだから、僕の責任だよ。」

「そんな…。サクマは優しいな…。」

「ナツメが大切なんだ。」

「そ、そうか!嬉しい…。と、浸ってる場合じゃない。あの後、野山モジは一人であることを乗り切ろうとして、孤独に耐えきれずネットで知り合った男について行ってしまった。」


 実験も成功だ。ナツメは今まで教えなくてもある程度、モジの死の全貌を知っていた。なら、わざわざ調べなくても教えてくれるんじゃないかと期待したがここまで上手くいくとは。


「で、そのままモジは…ってことか。」

「うん。…空から見てたけど、すぐ目を逸らした。見てられなかった。」

「僕もだよ。」

「…野山モジとの交際を断ったのは、何か考えがあるのだろう?」

「あるにはあるんだが…ナツメ。君の協力が必要だ。」

「もちろんある程度はするが…私はできる限り世界に干渉はできないぞ…。」

「前は制服姿で、モジの前に現れたのに。」

「あれは…サクマが心配で。」

「今さら咎める気はないよ。…それに可愛かった、制服。」

「そ、そうか…?サクマがまた着てほしかったら着てもいい。それで、協力とはなんだ?」


 僕はナツメに近づき、顔を近づけた。鼻先が触れ、微かに甘い匂いが漂う。思わず瞬きを止めて、そっと唇を重ねる。

 その瞬間、柔らかなぬくもりが伝わり、舌先が軽く触れ合う。

 

「んむっ…!?」

「…ぷはっ。……ナツメ、お前も持ってるだろ。『悪魔の羽』、みたいなの。」

「も、持っているがな、なんでき、キス…を。」

「その力を使ってモジを四六時中…寝てる間はいいか。起きてる間、監視したい。」


 もう傍観して、何か危険がせまったら助ければいい。一個ずつ障害をはねのけて、とにかく生かし続ければいいんだ。その間、絶対にモジには関わらないように。


 疲れ切った僕が出した答えは、これだけだった。


「なっ!?そ、そんなのはダメだ!一度ならいいが…ずっとはダメだ。」

「どうして?お願いだよ、最高の相棒なんだろ?」

「そ、そうだけど…。一人の人間に貸せる力の大きさに反してるから…。」

「天使に思い出を渡したみたいに、ナツメにも何かすればいいのか?じゃあ…。」

「やめ、もうキスは…んっ…んん~…。」


 口から拒む言葉が出るナツメの体は、かえってこちらに委ねるようにゆるやかに震えていた。視界の隅で瞳が揺れ、呼吸が荒くなり、胸の奥に小さな熱が広がっていくのを感じる。

 行ける、このままこの悪魔を落とせば、僕は千里眼に近い力を手に入れられる。


 モジを救うんだったら、悪魔だってたぶらかしてやる。


「ぷはっ…やめて…舌入れないで…。」


 息が荒く、唇の震えが伝わる。抵抗するフリの裏側で、彼女の手は僕の腕をそっと追ってくる。


「なら、貸してよ。羽。」

「むりだって…言ってる…。」

「…キス以上の事を、すればいい?」

「ふぁ…。」


 僕はゆっくりと、ナツメの服の中に手を伸ばそうとした。指先を服の下へ滑らせると、皮膚の温度と柔らかさが手に直接伝わる。


「わ、わかった!…わかったから。…やめて。やめられなく…なっちゃうから…。」


 その声の震えを聞き、ナツメの肌から手を離し、僕は心の中で静かに笑った。

 勝った。

 第二段階突破だ。


「ありがと。どうやればいい?」

「私の両手を握って。…野山モジのことを想えばいい。」

「やってみる。」


 ナツメの両手を握るときゅっと悪魔は目を閉じた。

 そんなことは気にせず、モジの事を考える。とは言えもうモジに対する思い出も穴だらけだ。上手くいくか…。



「…!」


 その時、頭の中に一つの光景が思い浮かんだ。モジがベッドに倒れこみ、枕で顔を隠していた。泣いているようだ。


「できた…。これならいける。」

「も、もういい?」


 ナツメから手を離すと、一気に現実に戻って来た。なんとかなりそうだ。夜中は流石に僕も寝て居なきゃだが、こうして見てられない時間帯も覗ければ確実に危険から守れる。

 ふとナツメの様子を見ると、息を切らせてやけに疲れていた。


「はぁ…はぁ…。」

「どうした?」

「『悪魔の羽』は一人でやる分には問題ないんだ。でも…誰かに見せ続けると疲れてしまう。」

「…そうか。」


 あくまでも、『悪魔の羽』は最終手段にした方が良さそうだな。できる限りは僕自身の目で見て居なくてはいけない。ただまぁそっちの方がいいか。すぐに助けるには基本的に傍に居なきゃ出しな。

 学校にいる間はずっと監視できるし、そんな一秒ごとに何か起こるわけでもない。ナツメの使用は控えるようにしよう。


「ナツメ。」

「ど、どうした…?」

「今後はできるだけ一緒に居よう。良いか?」

「本当か!ずっとサクマの傍にいていいのか!?」

「あぁ、いてくれ。添い寝もしていい。」

「やった…!サクマ、大好きだぞ!」

「うん、僕もだよ。」


 ナツメがバカでよかった。ウソを見破る力とかあったら普通に詰んでたからな。


「疲れてたらいつでもぎゅっとしていいからな!」

「ははっ、ぬいぐるみかお前は。」

「そ、それと…キス、も。したくなったらしていい…ぞ。長いのはダメ、疲れる。」

「ナツメがしたいだけなんじゃないのか?」

「そんなことは!!………あい。」

「ふはは、どっちだよ。」


 僕が少しでも笑うと、ナツメはもっと笑う。都合が良い。

 予想通りというか、やはりナツメは僕の事を恋愛的に好いている。果たして悪魔が人に恋をするのかと、そこだけが最大の懸念点だったが良かった。こんな簡単に堕ちてくれて。


 ナツメを使えば、モジを救える。



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