第一章:地球の幻影
リナの夢には、忘れ去られた影が潜んでいた。
月面ドーム「セレネウス9」の個室で目を閉じるたびに、彼女は見たことのない光景を見る。囁くような森、空から降る水、鮮やかな羽を持つ鳥たちが青い空を舞う。鋼鉄と人工光に支配されたこの世界には、存在しない風景。
それでも――どこか懐かしい。
その日は妙に静かだった。ドーム越しに見える灰色の月の空を照らす地球の太陽は、どこか鈍かった。司令部からパイロット全員に緊急通知が届く。最新の可動装甲スーツ LUNARIS-X の突発試験だ。
リナは深紅に塗装されたスーツに身を包む。謎めいた雰囲気を放つその機体は、月の軍事技術の結晶。左肩には精鋭部隊の印、星を抱いた三日月のエンブレムが輝いていた。だが彼女は他のパイロットとは違っていた。単なる技量ではない。スーツが、自分よりも自分を知っているような感覚――。
「全ユニット、セクター4-Bへの出動準備を。」
キャプテン・リンの乾いた声が通信に流れる。
スーツの中、リナはゆっくりと息を吐く。エンジンが低く唸り、人工重力が消えていく。ドーム外への出撃――そこには真空の空間、死、あるいは自由が待っていた。
編隊は整然と飛び出した。外の風景は色あせた灰。乾いた大地、尖った岩。そして遥か遠くに浮かぶ青い星――地球。
「どうして...こんなにも懐かしいの?」
リナは呟いた。
任務名は「大気圧ストレスおよび長距離通信試験」。だが彼女は、別の何かを感じていた。スーツの内部ディスプレイが異常信号を表示し始める。月では使われていないコード、破損ファイル...その名は ECHO-RED。
「リナ、状況は?」
リンの声には僅かな疑念が含まれていた。
「問題ありません。」
リナは即答したが、心臓の鼓動は速まっていた。
その時、岩陰に「何か」がいた。あるいは「誰か」。見知らぬスーツに包まれた人影。月のでも地球のでもない、両方を混ぜたようなハイブリッド。姿は砂丘の向こうに消えていった。
追いたかった。しかし命令は絶対。リナは隊列に留まったが、心はすでに揺らいでいた。
帰還後、整備ゲートで技師のシルヴィアが声をかけてきた。
「リナ、スーツのログに変なコードが出てたけど、異常はあった?」
「ただのデコーディングエラーじゃないかな?」
シルヴィアは答えず、ただリナを見つめた。その目が語っていた。――彼女は知っている。
その夜、リナは一人ユニットに座り、強化ガラス越しに地球を見つめていた。
あの夢がまた訪れる。森、鳥たち。そして、今回は鏡があった。
そこに映っていたのは、自分に似た顔。
――けれど、それは自分ではなかった。
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