第3話 あと五日?

 強盗達を縛り上げ、別棟の檻にぶち込んでから、ファーラとアシェルはストレングス部隊の詰所に戻ってきた。

 街の中心にある二階建ての詰所に入ると、ずらりと並べられた机に、隊員達がまだちらほらと残っていた。そろそろ皆仕事を終える時間だが、部隊の詰所は役目がら夜も明かりが消える事は無い。

 二階にある、上官用の執務室に続く階段を登りながら、ファーラは言った。

「それにしても、最近本当に問題ばかりですね」

「ああ、遺跡のせいだな」

 後ろに続きながらアシェルが言った。

 アスターの街から少し離れたところで地下に埋もれた遺跡が見つかったのは、一ヵ月前のことだった。

 新しく畑を作ろうとした農夫が、山肌で小さな金製のカップと直方体の岩を見つけたという。正直者だったらしいその農夫は、カップを自分の物にしたりせず、きちんとその土地のストレングス部隊に伝えた。

 さっそく国は調査を開始し、これから少しずつ遺跡の正体を調べていこうというところだった。

 豪商の邸宅らしい遺跡は小さなものだが、それでも土を運ぶ者や、掘り起こした穴の補強をする者等々が、他の土地からやとわれて来ている。

 その影響はアスターの街にも及んでいた。

 多くの人が流れ込んでくれば、当然その中に混じる悪人の数も多くなる。

「それにしても」

 ファーラが執務室の扉を開けた。

 誰かが気を利かせてランプに火を入れてくれたらしく、部屋の中は明るく、窓が開けられ風が通るようになっている。

「なんだって私たちが出土品の書類書類管理をしないといけませんの?」 向かい合って並べられたファーラとサイラスの机――隊長であるアシェルの机は少し離れたところに置いてある――には、書類が山積みになっていた。 

 ファーラが溜息交じりにその書類を一枚手に取る。

 書類の上半分は金製のカップのスケッチが描かれ、その下にカップの大きさと重さ、遺跡のどこから出てきたのかなどデータが書き込まれていた。

 それらを順番に並べ、さらに目次をつけろというのが、アスター街のストレングス部隊に国から下された命令だった。

「こういった記録管理は別部署の仕事でしょうに」

 確かに、遺跡調査と道具の管理は本来だったら国直属の技術者集団ハーミットの管轄だ。

「そっちはそっちで別件があって忙しいんだとさ。それに、モノがモノだから、書類といえど俺達上官しか扱えないし」

 この大陸には、昔高度な魔法の技術を持った文明があったらしい。もっとも、その力はほとんど失われてしまっている。だからこそ、こうやって昔の遺跡が発掘されるのはやっかいだ。現代にはない力をもった道具が眠っている場合が多々あるから。

 聴いた者を死に至らしめる呪歌の楽譜、街に大きな穴ぐらいあけられるほど破壊力のある光の弓矢、そんな物がある可能性だってないわけではない。

 当然、悪用を防ぐため、国としてはそういった物の存在を知っている者は限定したいのだろう。もっとも、『この道具を掲げてこれこれの呪文を唱えると嵐が起こります』といった情報ならともかく、掘り出したばかりで、不思議な力があるのかないのかわからない道具の外見的特徴に、どれだけ意味があるのかは分からないし、ここにこうやって積まれている時点ですでに上官以外の隊員の目に触れているわけだけれど。

「というか、この量、今日のうちには無理じゃありません?」

「ああ。ダーリン、今夜は帰さないよ、というか、アレを処理し終わるまで、帰せないよ…… 俺も帰れないしな。俺、若干涙目?」

「好きにお泣なさいな。慰めませんけど。そういえばサイラスは?」

「ああ。長くなるんで、監獄の帰りに夜食を買いに行かせたんだが…… 遅いな。迷子か?」

「ストレングス部隊の隊員が、誰か知らない人について行ったんだとしたら、大変ですけどね」

 アシェルが軽く笑い声をあげた時。

「たいちょおおお!」

 まるで自分の噂を聞きつけように、サイラスの悲鳴と階段を駆け上がる足音がした。

 詰め所の扉が開け放たれ、サイラスがよろめきながら入ってくる。ドアノブにしがみついていないと立っていられない、といった様子で。

「サイラス! 何があった!」

 血相をかえて駆け寄ったアシェルに、サイラスは蒼い唇を開く。

「隊長! 僕あと五日で死ぬぅ! ドッペルゲンガー見ちゃった~!」

「ドッペルゲンガー?!」

 アシェルとファーラの声が見事に重なる。

「ドッペルゲンガーってあれか。見たら五日で死ぬっていう……」

「そう、そうなの!」

 半泣きでサイラスが語った所によると、買い物返り、道の茂みが揺れていた。

 不審に思って近付くと、茂みから出てきたらしい。他の何者でもない、サイラスが。

「それで、びっくりして逃げてきたんです!」

「は、バカらしい。寝ぼけてたんじゃねえのか?」

 サイラスからクルリと背を向け、窓にむかった。

 もうとっくに夕焼けも光を失っている。そろそろ窓を閉めないと、明かりに惹かれ虫が入ってきてしかたない。

「そんなぁ! 本当ですって!」

 サイラスが訴えるけれど、無駄にかけてしまった心配と時間とでアシェルのご機嫌はひどく悪化してしまった。

「うるさい! このクソ忙しい時に。今度くだらない事を言ったら、五日を待たず俺が殺……」

 窓に手をかけた格好で、アシェルは固まった。

 下の通り、街灯で照らされた石畳の上に、青い髪の男が立っていた。ワインレッドの隊服は、細かな獅子の彫り物の入った金のボタン、袖に金糸で施された飾りまでまったくアシェルと同じ。驚いて見開かれた青い目も、他のパーツも、すべてアシェルそのもの。

 ゆらり。

 アシェルのニセ者は、陽炎のようにゆらめくと、闇へと溶けていった。

 カラカラカラ、パタン。アシェルは、静かに窓を閉めた。そして、大きな溜息をつく。

「サイラス」

「なんです?」

「すまなかった」

「ぶわああん!」

 謝られたのが嬉しかったのか、はたまたアシェルもドッペルゲンガーを見てしまったのが心配なのか、サイラスは盛大に泣き出してしまった。

「なんだったんだ、今のは。確かに俺だったぞ。すぐに消えてしまったが……」

「残念でしたわ。窓ガラスさえ割れる心配がなければ、本物ともどもニセ者をしとめてさしあげましたのに」

 いつのまにか抜き放っていた愛用の銃をしまいながら、ファーラはかわいく口を尖らせた。

「うん、マイダーリン。君に殺されるなら本望だが、窓ガラスより安い俺の命って一体なんだろうな?」

 そこで窓の外にちらりと目をやる。

「これから広い町をやみくもに探しまくっても見つかんねえな。聞き込みは明日にでもするか」

「そうですわね。今夜はやっぱり予定通り書類処理ですわね。アシェル、ランプこっちへよこしてくださらない? こう暗くては、薄暗くては字が読めませんわ」

 アシェルは言われた通りランプを渡すと、さらに壁につけられた燭台のろうそくにマッチで火をつけて明かりを足した。本格的に徹夜の構えだ。

「えええ! ちょ、自分だよ? もう一人の自分だよ! 五日たったら死亡だよ! もっと危機感持とうよ!」

 図太いというか、どこまでもマイペースな隊長と副隊長に、サイラスは思わず悲鳴を挙げた。

「迷信だよ、迷信! 誰かがいたずらしてるんだろ。実際、今は手の打ちようがねえんだよ。

 それにこの書類整理は、上から最優先扱いって言われてるからな。間にあわなかったら、ハーミットの奴等に解剖されちまうわ」

「でも、さすがに放置しておくつもりはないでしょう?」

 ほんの少し楽しそうにファーラが言う。

「とりあえず、今日一晩で書類をかたして、話は朝からだな。まあ、その間俺のニセ者がのぞきや下着泥棒なんかしてくれないことを祈るよ」

 

 どこかで小さくふくろうが鳴いていた。アスターの街の中心に位置する広場は、墓場のように静まりかえっていた。真中にある噴水も、見る人がいない今はお休み中。

「さて、と」

 広場の茂みに隠れて、アシェルは地図を開いた。地図には赤い印が所々つけられている。 

 あれから一晩かけてどうにかこうにか書類を片づけたあと、夜明けから日暮れまで自分そっくりの化け物について聞き込みをしたのだが、驚いたことにドッペルゲンガーを見たのはサイラスだけではなかった。

 まだ本格的な噂にはなっていないものの、目撃情報は五件に登っていた。近所の主婦曰(いわ)く、ゴミを捨てに路地裏に入ったら自分が立っていた、小さな子供曰く、迷子の犬を探しに町を歩いていたら停まっていた馬車の中に自分がいた、等々。

「ええっと。肉屋の影に、公園の隅。それから食堂の裏…… どれも人気(ひとけ)のない所ですわね」

「早く真相を突き止めないと、シャレにならんな」

 アシェルはちらりと横のサイラスに目をやった。サイラスは地面に転がって「あと四日」を繰り返すゾンビと化していて使えない。

 こういう風におとなしく死に掛けてくれる者だけなら問題はないのだが、人間には色々な種類がいる。どうせ五日で死ぬのなら、とバカな事をする奴が出てこないとも限らない。

「それにしても、不気味ですわ。中年女性に子供に老人……背丈もぜんぜん違うのに、同一人物にこれだけ化けられるものかしら。それとも、暇な人間が集まってドッペルゲンガーごっこでもしているの?」

「さあ、どうだか」

 なんだか思うところがあるのか、アシェルはただ意味ありげにニヤついている。 

「でも、本当にこの広場にやってきますの? 間違いなく?」

 ファーラは顔の前に飛んできた小さい虫を追い払った。

「俺の推測が正しければね」

 アシェル達が隠れている茂みのちょうど真向かい。広場を隅に、掃除道具や看板をしまうための小さな建物があった。その影にトラップが仕掛けられている。地面と水平に張られた糸を切ると、上から人一人すっぽり包む鉄の檻が一個降ってくる、という原始的な仕組みのものだ。

 謎のドッペル君は絶対今夜のうちにこの噴水の所に現われるというのがアシェルの主張で、それにもとづいて罠をしかけたのだが、ファーラにはどうも信じられなかった。

 目撃報告を見る限り、ドッペルゲンガーは人気のない狭い場所にあらわれている。憑かあるのを恐れてか、ターゲット以外の人間に姿をみられたくないというように。こんな開けた場所に出るとは思えない。

 そもそも、この罠は注意深い者なら気づくレベルのおおざっぱなものだ。そうほいほい犯人がかかるとは思えない。

「まあ、見てろって。こうしている間にも罠が発動するかも……」

 まるで冗談みたいなタイミングで、檻が石畳にぶちあたるハデな音が闇に飛び散った。

 靴音を響かせ、二人は罠のもとにかけよる。

「あら。変わった獲物が掛かりましたわ」

 ファーラが身をかがめて檻の中を覗きこむ。

 中で泣いていたのは、六歳くらいの小さな女の子だった。栗色の髪を雑に一つに束ね、家を抜け出してきたらしく赤いチェックの寝巻きを着ていた。

「目当てのドッペルゲンガーってわけじゃありませんわね。この子は私にも、アシェルにも似ていませんわ」

「こんな所で何をしてるんだ?」

 アシェルは彼女を閉じ込めている檻に手をかけた。

 怖い顔を作って、子供をにらみつける。

「もうお日様は沈んでるぜ。いい子はちゃあんとベッドに入っていないと、サンドマンに目を潰されるぞ」

 言いながら、檻の戸を開けた。二重(・・)に(・)なって(・・・)いる(・・)戸の、外側一つを。

 ファーラの背中が一瞬だけ冷たくなった。罠の檻は、一個しか用意しなかった。

 何かが、少女と一緒に内にいる。自分を捕らえた檻にばけた何かが。

「アシェル! 手を放して!」

 ファーラは、戸に掛かったままのアシェルの手を蹴り飛ばした。

「痛っ!」

 アシェルの手が離れると同時に、偽りの檻は崩れるように消えうせた。半開きになった本物の格子戸から、闇をつかもうするようにヌッと手が伸びる。アシェルの腕だった。

 吹き付ける風の速さで、もう一人のアシェルが檻を抜け出す。そのまま駆けるようにして、本物に拳を打ち込もうとする。

 アシェルはその後ずさって拳の衝撃を流しながら、肘で払いのけた。相手の肩をつかみ、思い切り自分の方へ引き寄せた。勢いがついているニセ者は、つんのめる形でアシェルの真横を通り抜ける形になる。

 アシェルはがら空きになったニセ者の背中を狙って爪先を振り上げた。

「やめてええ!」

 甲高い、檻の中の少女の悲鳴に、アシェルは一瞬ためらった。

 ニセ者が体勢を整えて、がむしゃらに突進してきた。まだ片足をあげたままだったアシェルはタタラを踏む。

「おおっと」

 ニセ者は拳をふりあげ……

「ああ、もう。いい加減にしてくださらない?」

 静かにいらだった声がした。

 いつの間にかニセ者の背後に回りこんでいたファーラが、ニセ者のコメカミに銃を突きつけている。

「アシェル。ふざけすぎですわよ。こんな相手、あなたならすぐに確保できるでしょうに」

「あ、やっぱりわかった?」

 ズボンの埃をはたきながら、アシェルはひょいっと首をかしげた。

「なんか、こいつそんなに敵意がないんだわ。素早いわりに、攻撃は軽いしな。それに女の子もわけありそうだし、なんか問答無用でやっつける気にならなくてつい遊んじまった」

「まあ、どういうことか説明はこれから聞きましょう。どうでしょう、ドッペルゲンガーさん。私にあなたの正体、明かしてくれないかしら?」

 アシェルのニセ者は、子犬のような鳴き声を挙げた。そしてゆらりと揺らめく。その陽炎はみるみる縮んでいき、小さな獣に姿を変えた。茶色の毛並みに包まれた体は子犬に似ている。ただ、毛並みに紛れるほど小さな角と、子犬にしては太すぎる立派なシッポがあるのがが決定的に違っていた。

「うわああん、ぷーちゃん!」

 女の子が大声をあげた。

 ファーラが手を放してあげるとぷーちゃんというらしい謎の生物は、一目散に女の子のもとへかけよっていく。そして、彼女の膝に前足をのせた。まるで抱きついているみたいな格好だ。

「ぷ、ぷーちゃん……」

 拳銃を持ったファーラの手がだらりと垂れた。何やら、彼女の頬が赤くなっている。

「か、かわいい」

「コラコラ、ツボにはまるなファーラ。やっぱりな。こいつは、幻覚獣だ」

「幻覚獣?」

 いつの間にかサイラスが復活していた。

「ああ。絶滅したと聞いてたが…… 生き残りがいたんだな」

 アシェルがそっとぷーちゃんに手を差し出すと、幻覚獣は指先をカジカジかじってくる。どうやら、夜更かししている女の子を怒ったことを、いじめていると勘違いされたらしい。さっき襲い掛かったのも主人を守ろうとしてのことだろう。

「敵から身を守るために、反射的に自分を驚かせた者に化けるんだ。大きな動物が獲物に咬みかかろうとしたとき、相手がいきなり自分そっくりになったら驚いて逃げるだろ?」

 アシェルはしまいこんでいた地図を広げた。

「肉屋の影、公園の隅、食堂の裏…… どれもこれもノラの動物のえさになるゴミがうなってる場所だ。でも、街でそこそこきれいな水がいつもある所って言ったらこの噴水か河くらいしかない。んで、俺が小さい動物だったら、夜でも船が行き来して、おまけに流れの速い河より人の少ないここを選ぶね」

「え~ん、わた、私、道端でこの子見つけて、名前つけて、一緒に、一緒に…… でも、いなくなって、探してて……」

 女の子は泣きじゃくっている。

「なるほどね。大方、遺跡で仮死状態になってた所をたたき起こされたのが、こっそり逃げ出したんだな。そのあと、この子に保護されたはいい物の、迷子になったのか」

「いくら仮死状態になってたからって、そんな何百年も……」

 ファーラの言葉に、アシェルは肩をすくめてみせる。

「なんせ、今は絶滅した動物だからな。今の生き物には考えられない能力を持っているのかも。時の流れを止める魔法陣の中にいたのかもしれないし」

「よかった。じゃあ、僕四日で死ぬことないんだね」

 はうう、とサイラスが情けない声をあげた。

「だから前からそう言ってたろ」

「で、このぷーちゃん、どうしますの?」

「どうするも何も。報告した後、国に渡すしかないだろう。ドッペルゲンガー事件はともかく、発掘品なんだから」

「いや~!」

 オウシュウとかハックツヒンとか、難しい言葉はわからなくても、目の前の大人達がせっかく見つけ出したぷーを連れて行くつもりなのは分かったようだ。女の子はぷーが窒息するんじゃないかというくらい強く抱きしめた。

 アシェルは眉をしかめる。

 おそらく国に送られたぷーちゃんは、大事に大事にされる事だろう。なんせ、今はいない、不思議な力を持った動物だ。死なないギリギリの実験と観察を繰り返され、死んでからは剥製にされるに違いない。

「そういえば、昨日の夜まとめた書類はどうした?」

「今日の昼にすべて送りましたけど……」

「結構たくさんあったよな? そのなかに、ぷーが書かれた物はあったか?」

「いえ、心当たりありませんわね」

 サイラスも首を振る。

「たぶん発掘隊に見つかる前に逃げ出したんじゃないかな」

「ふむ。発掘品だったら当然報告しないといけないわけだが……発掘された物の一覧になかったのなら、多分ぷーは遺跡から出てきたわけじゃないんだろうよ」

 アシェルはニヤリとした笑みを浮かべる。

 確かに、状況だけ見ればぷーは遺跡から逃げてきたのに間違いはないだろう。だが、それはただの状況証拠にすぎない。

 その状況証拠を無視さえすれば、本来国がきちんと調べて網羅(もうら)したはずの発掘品一覧から抜けているのだから、遺跡から出土したものではない、ということになる。

「発掘品じゃなければ、わざわざ報告する必要もない」

 早い話、もし上にバレても『一覧になかったから遺跡から出てきた生き物だとは知りませんでした!』と一応の言い訳が立つ、ということ。

 言葉の意味を理解したサイラスがぱあっと顔を輝かせた。

「よかったね。ぷーちゃんと一緒にいられるよ」

 キョトンとしている女の子にハンカチを渡す。

「いいんですの? またこんな騒ぎがおきたら……?」

「確か、変身能力は子供の時しか使えないはずだ。気をつけて飼えば問題にはならないだろうよ」

 そこで女の子に向き直った。

「ちょっとぷーは特別なワンちゃんでな。君の家で飼うには問題があるんだ。ストレング部隊で預かることにする。その代わり、いつでも会いにきていい。それでいいか」

 女の子はこくんとうなずいた。完全に会えなくなるよりマシだと思ったのかも知れない。

 そこでアシェルはもう一度意味ありげにニヤリと笑った。

「それにしても、さっきは嬉しかったよファーラ。さっきよくニセ者と俺の区別が一瞬でついたな? やっぱり愛の力か」

 サイラスはちょっと目を見開いてファーラを見つめた。確かに、双子よりもそっくりな二人が格闘でシャッフルされたのを見分けるなんて難しい。そうとう相手を理解していないと。

「……」

 ファーラは無言でアシェルの胸ボタンを突く。

「何?」

「模様」

「はい?」

「ボタンの模様ですわ。たぶん咄嗟(とっさ)のことで細かく再現できなかったのでしょう。ニセ者のボタンにはありませんでしたわ。我らの誇りたる獅子のレリーフが」

「なんだ、残念。カラクリが分かればなんてことないな」

 やれやれと首を振って、アシェルは置きっぱなしの籠を拾いにいった。

 手伝おうとその後を追いかけたサイラスは、ふとファーラの前で足を止める。

(あれ……)

「こう暗くては、字が読めませんわ」

 夜に彼女が言った言葉が、急に頭の中に響いた。

「ねえ、ファーラさん」

 トコトコとファーラの方に戻っていって、服の裾をくいっと引っ張る。

「こんな暗い場所でよくボタンの模様なんて見分けられたね? こんな薄ぐら……はぶう!」

 ほっそりとした拳がいい角度でサイラスの鳩尾にめり込んだ。

「な、何? ゲホ、ちょ、なんで殴るの?」

「どうしたサイラス。うるさいぞ」

 何があったんだ、と聞いてくる隊長に、にっこりファーラは微笑んだ。

「なんでもありませんわ。ただの蚊です」

「あ、そ」

 いや、普通蚊は平手でしょう。グーで殴らないでしょう。色々言いたいことはあるけれど、もう一度下手に口を開いてファーラに殺されたくはないサイラスだった。


【第三話 完】

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