第五話 記憶を継ぐ者たち

 風が静かに吹いていた。

 もはやそれは惑星エンシアの記憶を撹乱するものではなく、ただ空間の皮膜を優しくなでるような、静穏の風だった。


 アマナは、語りの種を埋めた場所に腰を下ろしていた。

 空は淡く染まり、重力を失った粒子たちが、ゆるやかな舞を描いて降ってくる。かつて記録装置として機能していた地表は、今や一面の花野へと姿を変えていた。


──語りの花。


 それはこの星が、祈りを受け入れた証だった。

 彼女の額に触れる微風は、かつて彼方の地球で吹いていた春の風に似ていた。


 あの世界はどうなったのだろう。

 今も、誰かが空を見上げているのだろうか。


 アマナのそばに、Metisが静かに佇んでいた。

 かつては未来の記憶を封じる器として眠っていたそれも、今はただ、彼女の隣に座す友のようだった。


「記憶とは、残すためにあるのではなく──」


 Metisの声が風に乗る。


「語られ、受け取られ、未来へと歩き出すもの」


 アマナは小さく頷いた。

「……それでも、私たちは迷うわ」

「迷うからこそ、記憶は意味を持つ。正しさのためではない。ただ、そこにあったことを受け止めるために」


 どこかで、鳥の羽ばたく音がした。

 地球にはもういないはずの鳥。

 けれどその音だけは、確かにここに残っていた。


 アマナは立ち上がる。


 この惑星エンシアは、もはやただの“相似”ではなかった。

 地球の、もう一つの生まれ変わり。

 記憶と祈りを継ぎ、再び芽吹こうとする“語りの地”となったのだ。


 ふと、彼女の胸元で、微かな音が鳴った。

 インターフェースが受信したのは、地球からの同期信号だった。長らく途絶えていた観測回線が、再び繋がったのだ。


『──こちら地球、記録守中継衛星セレス。応答を確認……アマナ、そちらの状況は?』


 懐かしい声に、アマナはゆっくりとマイクを起動する。


「こちらエンシア。記録、完了しました」


 声に、風が重なる。


「──そして、語りは始まりました」


 空の色が、少しずつ変わっていく。

 これは終わりではない。


 記憶を継ぐ者たちが、新たな物語を紡ぎ始める場所──


 それが、この星鏡の地。


 惑星エンシアだった。

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星鏡記憶 ──名を贈るたび、風は記憶になる The Resonance of Forgotten Winds── TA-KA @TA-S-KA

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