第8話
「お前ちさとのこと好きなの?」
空調の効いたカフェで
「うはは、お前天然だなー」
箭内さんはウキウキハウスクリーニングの唯一の人間のスタッフで、表裏関係なく仕事を取ってくる。毎月一番売の上を出していて平田さんからの信頼も厚い。
今日はゴミ屋敷の清掃のヘルプに呼ばれ、仕事終わりにカフェに連れられた。
「変なこと言わないでくださいよ」
「いいじゃん俺の奢りなんだし、デザートも食べれば?」
「じゃあホットケーキで」
「遠慮とか知らなそうでいいよね。やっぱ面白いわお前」
渋々ワイシャツを拭く俺をケタケタ笑いながら箭内さんは自分のおかわりのホットケーキも追加で注文した。
箭内さんの清掃は細かく素早く無駄がない。加えて気さくで丁寧な働きぶりから平田さんも顧客も安心して箭内さんに仕事を任せる。非の打ち所がないとはこういう事かと勉強になった。
しかしそのわりには清潔感がない。ごわごわした髪をヘアゴムで一本に縛り、無精髭を生やして歯は黄色く隙間が空いていて、着ている服もいつも皺が寄っている。
だけど初対面のときから今もずっとフレンドリーで、曲者揃いと平田さんに言わしめるウキウキハウスクリーニングで一番フラットな人かもしれない。
「それにしてもお前なんでちさとにこだわるの?好き以外なくね?」
「いや…なんかあそこまで拒絶されると逆に仲良くなりたくなる、みたいな」
「キモ!お前ドMじゃん、キモ!」
「人に指ささないで貰えますか」
「人狼になら指していいの?」
「そんなこと言ってません」
「あー、お前ってほんとからかいがいあるよね」
箭内さんは飄々としていて掴みどころがない。そしてゲラ。杉原ちさとが一番苦手としそうなキャラクターなのに、意外なことに平田さんの次によく会話をするのが箭内さんだ。
何回か二階でみんなと夕食を共にし、そこに箭内さんも参入して知り合うようになった。
「箭内さん。この間のやつ重かった」
「あーやっぱり?使いづれーだろ。あれに慣れとくと、いつものに戻るといい動きができんだよ」
「筋肉足りないのかな」
「おうそういうこった。悔しかったら飯食え飯を」
「ピーマン嫌いなだけでしょ。よけてこないで」
夕飯ができるまでの間や食事の間、あの無口な杉原ちさとが自分から話題を振るのだ。
「杉原さんと箭内さんって、よく話してますよね」
「バーカ俺はガキにゃ興味ねーから安心しな、ガキはガキ同士で乳繰りあってろ」
「だからそういうんじゃなくて。杉原さん人間嫌いなのに、特に男は。よく裏の仕事もヘルプついてるんですよね?」
「あいつに銃の使い方教えたの俺だからな」
メニューに目を滑らせ、灰皿にタバコを落としながら箭内さんは軽く言った。
「あいつ獣化したがらないんだよ。だから戦い方教えてやったの。そんだけ」
運ばれてきたホットケーキをナイフでザクザク切って、大きなひと口で音を鳴らして喉に流し込む。
箭内さんは固まる俺を観察するように眺めた。
「あいつの嫌いなものもう一つ教えてやるよ。人間と、もう一つは自分が人狼であること。」
自分が人狼であること。言っている意味がよく分からない。
「人間になりたかった、とかそういう事じゃないんですよね」
「ブブー。それ本人に言ったら蜂の巣にされるよ?」
「言いません。ずっと不思議だったんですよ。あの青い目の人狼とか、他の人狼みたいに一度も杉原さんは獣化したところを見た事がないので。…マジでヤバかったときも」
「ああ。そっか、お前最初丈一郎に殺されかけたんだもんな。ハハハ」
箭内さんは笑っているけれど、俺はあの日杉原ちさとが現れなければ確実に死んでいた。この間事務所ですれ違ったときも、野生の狼みたいに鋭い視線で睨まれた。明確な殺意を宿した、あの目だ。
「丈一郎~お前ちゃんと謝ったの?彼ウチで雇うことになったから、仲良くしなさいよ~」
平田さんはおどけた口調で言ったけど目の奥は笑っていなかった。青い目の人狼は、ポケットに両手を突っ込んだまま俺を見下げる。
「俺がつけた傷、どうなった」
「無事完治です」
「ナメてんのか、殺す気でやったんだぞ」
「色々事情があって」
顔色を伺うと青い目の人狼は深い眉間の皺を更に寄せ不愉快そうにドアを蹴飛ばした。
「おーいこの間直したばっかなんだぞー…弁償しろよ丈」
「この間の屯ってる人間のチンピラ掃除したギャラで建付け直しといてください」
「ああ。あの。うん。なるほど。了解。そんじゃまた引き続きよろしくね」
青い目の人狼は不服そうに口を歪めたけれど、それ以上反抗はせずに記録書を投げるように置いて事務所を出て行った。
杉原ちさとからは確実な拒絶、嫌悪を感じても憎しみは感じない。抱かれるほどの関わりもないからこそ。
だけどあの青い目の人狼は、確実な憎しみを込めて俺を睨んでいた。無差別の殺意だ。そこに意味は無い空虚な。
「色々抱えた癖のあるやつばっかなのよ。ウチで働いてんのはさ」
「そうみたいですね」
「お前もそうなの?」
箭内さんは手をつけなかった俺のホットケーキの皿を自分の手前に運び、手に持ったナイフの先を俺に向けた。
「どうしてですか?」
「普通の人間はこんなとこで働こうとしないでしょー。」
「別の意味で聞いてますよね」
「そこまで考えたならそう聞けばいいじゃない。まわりくどい男は嫌われるよ?」
また大きな一口でホットケーキを頬張る。もう三つ目だ。
「言っとくけど真珠のことじゃねーよ?“気質”の話だよ」
俺は氷の溶けたアイスティーがボヤけるまでぼうっと眺めた。カラン、と乾いた音がグラスからこぼれる。
「私は違います!」
他の席から女性の叫ぶような声と椅子の倒れる音が響いた。振り返ると、同じクラスの学級委員の氷丘らしき女の子だった。氷丘は最近深川が可愛いと言ってちょっかいを掛けている大人しい女子で、最近は系統の違う派手なグループの小林とよく一緒にいるところを見かける。それを阿島が心配していた。
もし危険区域に出入りしているのだとしたら、阿島は俺同様青い目の人狼に殺されかけた。同級生がそんな場所に出入りしていると思って心配したんだろう。
相手の男は背中越しで顔が分からない。
「あらあら、チジョーの縺れってやつかしらねー」
「ちょっと見てきます、知り合いかもしれなくて」
「あーちょちょちょ。タンマタンマ」
席を立った俺の肩を掴んで座り直させ、箭内さんはその男の背中を凝視した。仕事の目だ。
「怪しまれんだろ、こっち向いとけ」
俺の肩を再度叩いてこっちを向くように指を返した。背後に意識を向けても会話は聞こえてこない。
「…裏のターゲットですか?」
「そー」
「もしかしてカフェ誘ったのも仕事のためですか?」
「あ?んあー。俺一人で外食できないタイプなんだよ」
箭内さんが適当な返事で小型カメラをポケットから出して男の写真を何枚か撮った。そのカメラは杉原ちさとも使用していた更に小さなものだった。
「うーん。よし。オッケーオッケー。」
振り向くなと言われてしっかりと氷丘かどうかの確認が出来ないまま、気がついたら店を出ていた。
箭内さんは写真の確認を済ませると会計を済ませた。その後ろをついて行き、立ち止まると箭内さんは振り向いて、へらりと笑った。
「なんだよ。ダシに使ったわけじゃねーよ?」
「いいですそれは」
「報酬出たら今度は焼肉奢ってやっから」
「ヘルプ。付かせてくれませんか」
歩き出した箭内さんはぴたりと足を留め、今度は半歩振り返った。
「無理に決まってんだろ。ただのど素人に」
「そんな危険な案件なんですか?」
「お前ねえ、好奇心も大概にしろよ」
「裏の仕事ってどんなことしてるんですか」
前に回り込んだ俺の目を箭内さんは目を細めてじっと眺める。
「…ヘルプ付けるどうこうは俺じゃ決めらんないの。平さんに聞いてくれ」
「許可が降りたらいいってことですか?」
「俺のヘルプは一流しか務まらないの。使えるやつしか付けないの。ただのバイトのお前をどう使えっつんだよ」
「いつでも今日みたいにダシに使っていいですよ」
「んだよ根に持ってんじゃねえか。とにかく帰んぞ、話は平さんに通せ。気をつけて帰れよー」
箭内さんは後ろ手で手を振りながら気だるそうに帰って行った。
焼け焦げそうなほどの夕日の中に消えていく背中は薄っぺらかった。その熱を飄々と避けていけそうな身軽さがあった。
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