第18話 宰相の妻はドレス姿
「り、りりりリシャルト様……っ! どうしてここに……!」
自分でも慌てすぎておかしなことを言っていると思う。
ここはリシャルト様の屋敷なのだから、彼がどこにいようと自由だろう。
「リシャルト様、おかえりなさいませ」
メイドさんたちは口々にそう言うと、紺色のロングスカートの裾を引いてリシャルト様にお辞儀をする。
私は咄嗟にドレスの胸元を手で隠して、メイドさんの後ろに回った。このウェディングドレス、胸元がかなり空いているのだ。メイドさんたちは同性なのでそこまで気にならなかったが、さすがにリシャルト様に見られるのは少し恥ずかしい。
「どうして、と言われましても……。屋敷へ戻ったら、メイドたちもキキョウの姿も見かけなかったので、ハーバーに聞いたら4人ともこの部屋だと……」
そりゃそうだ。私もメイドさんたちも、5~6時間ほどこの部屋にこもりっきりだもの。いつも主人の帰りを出迎えるメイドさんたちの姿がないとなれば、リシャルト様が不思議に感じるのは当然だろう。
「一応、ノックはしたんですよ? ただ、返事がなかったので覗いて見たら、僕の名前が呼ばれていた、という次第です」
「な、なるほど、そうですか」
大方メイドさんたちと会話していて気づかなかったのだろう。それは申し訳ないことをした。
リシャルト様は部屋へ入ってくると、くるりと部屋を見渡した。
「ああ、よかった。ちゃんと届いていたみたいですね」
元々は空き部屋だったとは思えないくらい、部屋にはウェディングドレスが溢れている。
部屋を囲む大量の純白のドレスに、リシャルト様は満足そうだった。
「もしかして、ドレスの試着をしていたんですか?」
「は、はい……」
「良ければ僕に、見せてください」
リシャルト様の言葉にどきりと心臓が跳ねる。
確かに私も、リシャルト様に見てもらいたい、とは思っていたのだ。
だが、いざ本人が目の前にくると躊躇ってしまう。
「え、と……」
ドレスだから露出もそれなりにあるので恥ずかしいし、そもそもリシャルト様がなんて反応するのかを考えると少し怖い。
きっと優しいリシャルト様のことだから、酷い言葉を投げかけてきたりなんてしない。
頭の冷静なところでは分かっている。
だけど、似合わないって思われたらどうしよう、などといった今までのリシャルト様の態度を考えたら可能性が少ないはずのことまで頭をよぎって動けなかった。
三人のメイドさんたちは、ちらちらとお互い目配せをしている。
そして、私の様子を見かねてか、メイドさんたちが仕方ない、助け舟を出してやろう、とでも言いたげな視線をこちらによこした。
困ったような、でも優しさが奥にあるような、そんな視線。
た、助かる……。
「リシャルト様、見てくださいよ。この美しい奥方様を」
私が隠れされてもらっていたメイドさんが横へささっと移動する。
「あたしたち、リシャルト様にお見せしたくてこんな時間まで試着してたんですよ」
「え、ちょ……!」
もう一人のメイドさんは私の肩を持って、ずずいとリシャルト様の方へ押し出した。
「ささ、邪魔者は消えますねぇ。あ、リシャルト様。理性は確かにお持ちくださいね」
三人目のメイドさんは、リシャルト様の肩をぽんと叩くと、軽やかな足取りでほか二人のメイドさんと共に部屋を出ていった。
彼女たちがしてくれたのは、私への助け舟なのだろうか? 上手いこと逃げられたような気がしてならない。
あのメイドさんたちは優しいが、彼女たちが動くのは結局のところリシャルト様のためだと、私はもう分かってきていた。
「……」
後にはドレス姿の私と、私の姿を見てぽかんと口を開けたまま固まってしまったリシャルト様が残される。
どうしろと!!
「……り、リシャルト、様?」
メイドさんに前へ押し出された結果、私とリシャルト様との距離はわずか15センチ。近い。
馬車へ乗った時や手を繋いだときなど、横並びで近くなったことは何度もあるが、正面でこんなに近づいたのは初めてでどうしたらいいか分からなくなる。
「…………キキョウ」
「は、はい?」
名前を呼ばれる。
まるで、デートの準備をしてリシャルト様が部屋に迎えにきてくれたあの時と同じような感じだ。
あの時は、デート仕様におめかしした私を見て「似合っていますね」と褒めてくれた。
だけど、リシャルト様の声音があの時よりも熱を帯びている気がして、私は顔を上げることができなかった。
「このドレス、レースに花の刺繍があるのですね……。花の名前をもつあなたにぴったりです。似合っています。……とても美しい」
「あ、りがとう、ございます」
リシャルト様は噛み締めるように言う。
あの時と似たようなシチュエーション。似たような言葉。
だけど、あの時よりもリシャルト様の声がとても幸せそうだった。
たった数日しか経っていないというのにあの時とは少し違うと私は理解してしまう。
私のリシャルト様への気持ちも、あの時とは少し違う。
「そのネックレス……昔僕がプレゼントしたものですよね。まだ持っていてくださったのですね」
ふっ、と少し驚いたような声が降ってきて、私は顔を上げた。
リシャルト様を見る。
彼は泣きそうな顔で微笑んでいた。
なんで泣きそうになっているんだろう。
「……っ」
問いかける言葉は出なかった。
リシャルト様が、私の首にかかるネックレスに触れたから。
雫の形をなぞるようにリシャルト様の指が動いて、私の胸元を掠める。そのくすぐったさと恥ずかしさに、体の奥から熱いものがじんわりと広がっていくのを感じた。
「ネックレスを女性にプレゼントする意味を、ご存知ですか?」
贈り物には意味があるという。
それは前世の現代日本でもこの異世界でも変わらないらしい。
だか、あいにくネックレスをプレゼントする意味は分からない。
私は小さく首を横に振った。
「い、いいえ」
「『あなたは私だけのもの』という意味なんですよ」
リシャルト様はそうつぶやくと、そっと私を引き寄せた。
優男な見た目のリシャルト様だが、私の体に回された両腕が思ったよりもしっかりしていて、心臓が急に早鐘を打ち始める。
「え、え、あの……っ」
「こんなに美しいキキョウは、僕だけのものです」
リシャルト様は少しかすれた声で囁くと、私の首筋に顔をうずめた。
ちゅう、と首にキスをされて、瞬間私の顔がぼっと燃えるように熱くなる。
完全に挙動不審になってしまって、脳内はパニック状態の私はわたわたと手をさまよわせることしかできない。
ぎゅ、と大切なものを離すまいとするように、リシャルト様に抱きしめられるからなおのこと。
熱いし! なにこれ恥ずかしい! 誰か助けて!
ちらと救いを求めて扉の方へ視線をやる。
すると、少しだけ扉が開いていることに気づいた。
そこからにゅっと腕が三本伸びてくる。紺色の袖と金のカフスボタンのある腕だ。それが三本、お団子のように縦に並んでいる。なかなかにシュールだ。手たちはグッと親指を上に立てた。
グッジョブじゃないよ!
さては、そこで覗いているのはメイドさんだな!?
結局ハーバーさんがやってきて、覗きをしているメイドさんたちを叱る声が部屋に届くまで、私はリシャルト様に抱きしめられたままだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます