第15話 宰相の妻はもう一度求婚される


「ここは……」


 リシャルト様が連れてきてくれたのは、貴族街の中央にそびえ立つ時計塔だった。

 赤茶のレンガで建てられたそれは、荘厳な雰囲気をかもし出している。


「この時計塔、実は自由に登れるんですよ。貴族たちはあまり興味無いみたいですけどね。一般市民たちはそもそも貴族街には基本的に来ないので、実質貸切なんです」


 いたずらっぽく笑うと、リシャルト様は時計塔の入口に手をかけた。確かに鍵などはかかっていないようで、扉がきぃと音を立てて開く。


「なので、内密の相談事などがある際はとても重宝していましてね……」


「へぇ……」


 まるで世間話のようにさらりと告げられた内容に、私は顔をひきつらせた。

 わーお。それって絶対お腹の底真っ黒い系の相談事だな? ここで良くも悪くも裏で暗躍するための算段を誰かとしているんだな?

 さすがだ。


 リシャルト様の後に続いて中に入ると、螺旋階段がぐるぐると上へ向けて伸びていた。

 下からではまるで終わりが見えない。


「すごい階段ですね……」

 

「キキョウ、足元には気をつけてくださいね」


 リシャルト様は時たま私の様子を伺いながら、階段をゆっくり登っていく。

 落ちないように気をつけないと……。少し怖い。

 壁に付けられている手すりだけが頼りだ。


 どうにか階段を登りきると、そこは見晴らしの良い展望台のようになっていた。


「わあ! すごい!」


 私は思わず展望台の手すりまで駆け寄った。


 この王都が一望できるなんて、すごい!

 眼下に広がるのは、さっきまで歩いてきた貴族街の街並み。それから、少し離れると平民の暮らす城下の街並みがぐるりと広がっている。私たちが歩いてきた反対方向には、慣れ親しんだ教会本部と王城が見えた。

 

 ここまで登ってきた疲れなんて、すっかり忘れてしまうほど圧巻の景色だ……!

 沈みゆく夕日と相まって、とても美しい。


「リシャルト様! 連れてきてくださってありがとうございます!」


「気に入ってくださったようで、何よりです」


 私の隣にやってきたリシャルト様を振り仰ぐと、とても嬉しそうな顔をしていた。

 

 ――ああ、私。この人のことが多分好きだ。


 微笑むリシャルト様を見て、ふと思う。


「キキョウ。あなたに求婚したあの日、僕は焦っていたんです」


 リシャルト様は、時計塔からの景色を見下ろしながら静かに言った。


「焦る? どうしてですか?」


 とてもそんな風には見えなかった。あの日のリシャルト様も今と同じように、アルバート様に比べて落ち着いていた気がするが……。ああ、いつも騒がしいアルバート様では、比較対象が悪かった……。


「あの日、王城でアルバート殿下とエマ様にすれ違いましてね。いつもなら王城で愛を育まれているはずの二人が、何故か珍しくも教会へ向かっていたものですから……。何かある予感がして後をつけたんです」


 リシャルト様の、いつもなら王城で愛を育んでいる、という言葉にゾッとする。

 まぁ元だからいいにしても、婚約者がいる身でありながら王城で堂々と浮気をし、挙句それを国の宰相に把握されているって一国の王太子としてどうなんだろう。

 婚約者だとか言う以前の問題で、人として受け入れられない。


「そうしたら、あなたが婚約破棄されていたものですから、今しかないと焦ってしまって……。だから、プロポーズがその場の勢いのような形になってしまったことをずっと気にしていたんですよ」


 そこまで言うと、リシャルト様は私の方へ向き直った。

 リシャルト様の青い瞳が真っ直ぐに向けられ、私の心臓がどくりと跳ねる。


「キキョウ」


 リシャルト様のまなざしがあまりにも真剣で。

 名前を呼ばれるだけで、私はついびくりとしてしまった。


「あの日のプロポーズを、やり直しても良いですか……?」

 

「……は、はい」


 それ以外、なんて言葉を返せるだろう。

 リシャルト様は、すっと私の足元に跪いた。

 絵本の中のお姫様と騎士にでもなったような気分だ。


「僕は、ずっとあなたの事を大切に想ってきました。あなたの自由のためなら何でもします。だから、僕の妻になってください」


 リシャルト様が、そっと私に向けて手を差し出した。

 あの日、教会で手を差し出された時。あの時は、ラノベのような展開へのワクワクと、自由への憧れと、リシャルト様にそそのかされるような形で手を取った。


 だが、今回は少し違う。

 リシャルト様のことをもっと知りたい。リシャルト様が私を大切に思ってくれるなら、私もその気持ちを返したい。

 だから、私は自分の意思でリシャルト様の手を取る。


「……はい」


 差し出されたリシャルト様の手に、私は自分のものを重ねた。


 リシャルト様は何を考えているのか掴みにくい。腹の底なんて読めたものじゃない。だが、私のことを大切に思ってくれているのは分かる。

 私に向けられる好意はきっと嘘じゃないから。

 

 だから、リシャルト様に恥じない妻になりたい。


「ありがとうございます。キキョウ」


 リシャルト様は私の手を少し持ち上げると、手の甲に軽くキスを落とした。


「……なっ!」


「これからもずっと、大切にしますね」


 このままでは、心臓がもたない気がする。

 暮れゆく西の空を見ながら、私は頬が熱くなるのを感じていた。

 

 

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