第8話 お飾り妻?は困惑する


 リシャルト様がずっと大切に思っていた女性が、――?

 

「い、いやいやいや……。そんな馬鹿な! だって私とリシャルト様がこんなにお話ししたのって、今日が初めてじゃないですか」


 私の言葉に、リシャルト様はショックを受けているようだった。

 だが、こちらとて身に覚えがないのだ。仕方ないだろう。

 きっと人違いとか、勘違いに違いない。


「もしかして、覚えていらっしゃらないのですか?」


「何を…………?」


にとっては、誰かを治癒することは日常のことなので……。忘れられていても仕方ありませんね」

 

 え、そんな悲しそうに言われては、私の方が間違っているような気がしてくる……。

 どこかでお会いしたことありましたっけ……?


「……10年前のことです。僕はあなたに命を助けられました。10年前に助けた貴族のことは、あなたの記憶にございませんか?」


 10年前に私が命を助けた貴族。

 とても、心当たりがある。荷造りしていた時に見つけた、青い雫のネックレスをくれた少年だ。

 確かにあの少年も、リシャルト様と同じ金髪で青い瞳をしていた。

 けれど、あの口も態度も悪かった貴族の少年と、目の前の物腰穏やかなリシャルト様の印象が全く合致しない。

 

「幼い僕は素直になれなくて、あなたに酷い言葉ばかりかけてしまいました」


「……『チビ聖女』とかですか?」


 そんなまさか、と思いながら、かつて貴族の少年に言われた覚えのある言葉を私は静かに呟いた。

 当時、黒髪黒目であることを揶揄するような言葉はよくかけられていたが、一般的な悪口を言われたのは彼が初めてだった。だからこそ記憶に残っていた。


「覚えていてくださったのですね」


 ほっとしたようにリシャルト様が息を吐き出す。

 ……いいのか、そんな覚えられかたで、という気がしなくもないが。


「あと、私の髪引っ張ったりとかしてませんでした……?」


 治癒をしている私の周りに毎日来ては、私の長い黒髪を引っ張ってちょっかいをかけてきたり、うろちょろしたり。

 

「そうです。それ僕です」


 そんな堂々と言われても……。


「あの時は、失礼なことばかりして申し訳ありませんでした」

 

 リシャルト様は少し俯きながら言った。リシャルト様の長い金髪が風にさらさらと揺れる。

 思い出しはしたが、あの時の少年が超絶イケメンで物腰穏やかな宰相閣下になっていたとは、にわかには受け止めきれない。


「幼心に、心配だったんですよ。あの時12歳だった僕より幼いはずの女の子が、朝から晩まで働いている。そんなことあっていいのか、と」


 残念ながら、この世界ではわりとそれが普通だ。

 特に貧しい家庭の子どもたちは、早くから『小さな大人』とみなされ労働力のひとつとされる。

 貴族の世界で生きてきたリシャルト様にとってはある種衝撃だったのだろう。

 私だって、もし前世の記憶があるままに幼少期を過ごしていたら、あまりにも現代日本と違いすぎてショックを受けていただろう。


「だからこそ、あなたを幸せにしてあげたいとずっと願っていたのです」

 

 真摯に青い瞳を向けられて、私はリシャルト様から目をそらすことができなかった。


「……ありがとうございます」


 リシャルト様の言葉に、心の奥深くから暖かいものが溢れて、私の体全身に広がっていく。そんなに昔から私のことを想ってくれていたなんて、嬉しいし、ありがたいことだ。


「あなたが王都に戻ってからも、あなたの活躍の噂はよく耳にしていました。たまに王城へ登城する用事があった時は、そっとあなたの様子を見に行っていたのですよ」


「そ、そうだったんですか……!」


 それは知らなかった。

 ずっと気にかけてくれていたのだと知って、驚くとともに喜びの感情が湧き上がるのを感じる。

 誰かが自分のことを特別に想ってくれる。

 そんな経験は、前世でも今世でも初めてだった。

 

「あなたがアルバート殿下の婚約者になったと知った時は、本当にショックで。だからこそ、僕は努力して宰相にまでなったのです」


 アルバート様と私が婚約したのは、私が10歳の時のことだ。

 

「……なぜ、宰相に?」


 だが、アルバート様と私が婚約していたことと、リシャルト様が宰相になったことにどういう関係があるというのだろう。

 私が首を傾げると、リシャルト様はふっと笑った。


「宰相だと、王族と関わりを持つことも自然でしょう?」


「……ん?」


「上手いことアルバート殿下を焚き付けて、適当な令嬢と恋仲にもっていく。まさかこんなに上手くいくなんて……。殿下が単純で助かりました」


「んんん?」


 なんだろう。なんか、違和感がある。

 まるで、アルバート様とエマ様の関係に、リシャルト様が一枚噛んでいるかのような……。


「……聞いてもいいですか?」


「はい、なんでしょうか。キキョウ」


 リシャルト様は朗らかな笑みを浮かべている。

 対して私は引きつった笑みを浮かべていた。


「焚き付けた……って、ちなみにリシャルト様、何をしたんですか?」

 

「ただ僕は、ちょうどよくエマ様に見とれていたアルバート殿下に『アルバート殿下とエマ様はお似合いですよ』と後押ししたり、エマ様と二人きりになれるように場をセッティングしたりと盛り上げただけですよ?」


 リシャルト様は「あとはあの二人が勝手にしたことです」とにこにこ笑っている。


「アルバート殿下がキキョウとの婚約をあっさりと破棄してくれて助かりました。おかげで、ようやくキキョウにアプローチできます」


 優しい眼差しで、私を見つめてくるリシャルト様。周囲は美しい赤薔薇に囲まれ、柔らかな月の光が私たちを照らす。

 ここだけ切り取れば、うっとりとするようなシチュエーションだ。リシャルト様の言葉の内容を深く考えなければ、だが。

 この宰相様……。基本優しいんだろうけど、お腹の中が真っ黒だ。

 私はぶるりと身震いをした。


「なんか……寒気がしてきました……」


「おや、それはいけません。今日はもう、部屋へ戻りましょうか」


 そう言って、リシャルト様は私の手を引く。

 部屋までの道のりを歩きながら、私はなんとも言えない気持ちを抱えていた。


 リシャルト様は抜群にかっこいいし、優しいし、穏やかな物腰が素敵な人だ。しかも宰相閣下という超エリート。

 そんな人が私のことを10年も想い続けてくれていたなんて、感謝しかない。信じられないくらいの幸運だ。

 しかし、腹の底で何を考えているのか分からないのは、少し怖い。

 

 

 


 

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