第6話 姉
幼い頃、アイザックは一度、精霊の
特に難しい課題ではなかった。魔法で木の実や魚などの食料を調達できたし、葉や枝でシェルターを作り、火を起こすことも魔法で出来た。この調子だと、修行は難なく終わりそうだと、当時のアイザックは高を括っていた。
予想外の事態が起きたのは、修行が始まって半月経ったある朝だった。目を覚ますと、傍で寝ていた姉がいなかったのだ。最初は探索でもしに行ったのかと思ったが、いくら待っても、彼女が戻って来る気配はなかった。何かがおかしいと思い、アイザックは彼女を探しに出かけた。
しかし、いくら探し回っても、姉が見つかることはなかった。あの優秀な姉の身に何かあったとは考えにくかったが、それでも時間が過ぎるごとに不安は募っていった。
姉はついに日が暮れても戻らなかった。これは、本格的に何か不味いことでも起きたのか、何らかの理由で何処かに潜伏しているのか、もしくは……
置いて行かれた。
自分が寝ている間に、姉は一人で何処かへ移動してしまった。幼いアイザックは、その可能性が一番高いと思った。足手纏いだと思われたのかもしれない。姉は、生まれつき魔力量が圧倒的に多く、すぐにどんな魔法も使いこなせるようになった。所謂、天才だ。
アイザックも秀逸な方ではあったが、生まれ持った魔力量の差は、どうやっても埋めることが出来なかった。その事実は、姉が姿を消し、夜がやって来ると同時により鮮明となった。
それまで平凡に感じていた森は、一気に恐ろしい場所へと変化した。これまでの平和な夜は、姉から放たれる魔力の圧が、森に潜む邪気を追い払っていた結果だったのだ。魔力量では姉に遠く及ばないアイザックは、途端に魔物やら妖精やらの格好の餌食と見なされた。
妖精とは気まぐれな生き物だ。気分次第で、時には幸運、時には災いをもたらす、善悪なき存在。様々な種類の妖精がいるが、中にはその気まぐれさ故に、人間の前に現れたり、人間の生活に関りを持とうとする者もいる。精霊の一種である妖精が人間界でより知名度が高いのは、それが理由だ。
アイザックが訪れたのは、運悪く妖犬の群れが蔓延る森だった。死や不幸を呼ぶ、黒い犬の姿をした不吉な妖精。夜の闇に溶け込み、赤い双眸をギラギラと光らせる妖犬。アイザックは何とか身を隠そうとした。バースマジックで応戦することは出来るが、流石に数で圧倒されれば、追い込まれるのは自分の方だと、彼は悟っていた。その頃はまだ、自身のバースマジックの力を十分に発揮できていない時期だった。
息を顰めながら森を彷徨い、妖犬の追跡から逃れていると、何処からかフワフワと小さな光の蕾が現れた。それは、夜に咲く花々の精霊だった。
精霊はアイザックのことが気に入ったのか、はたまた哀れに思ったのか、彼を逃げ道へと誘導し、
アイザックは精霊の国に三日滞在することになった。有難いことに、精霊たちは彼を歓迎し、親切にしてくれた。相手が幼い子供だからというのもあったのだろう。アイザックも、
しかし、まだ姿を消した姉のことが気掛かりだったため、アイザックは早めに国を出ることにした。精霊たちは彼が出て行く前に、彼に魔除けの加護を授けた。妖犬たちを近寄らせないために。
精霊の国を後にし、再び姉を探し回ったが、またしても見つけることができなかった。夕暮れ時になり、何とか小さな洞窟を見つけ、入口に障壁魔法を張ると、夜をそこで過ごすことにした。その夜はこれまでと違い、妖犬を遠目で見かけるどころか、気配すら感じなかった。きっと、精霊たちから貰った加護のおかげだろうと思った。
翌朝、目が覚めると、すぐ隣に姉が座っていた。まるで最初からずっとそこにいたかのように。
姉はアイザックが起きたのに気づくと、彼の顔を覗き込んで微笑んだ。
「大丈夫? 怖かった?」
彼女の口調は優しかった。しかし、その瞳の奥には、温かさや、アイザックの身を案ずる心遣いなど感じなかった。例えるなら、猫が誤って足を滑らせ、池に落ちてしまうのを、面白おかしく見守っている時のような、そんな心情が読み取れた。
含み笑いを漏らしながら、姉はアイザックの頭を撫でた。
「お前は本当に可愛いね」
ペットをあやすような感覚でそう言った彼女に、アイザックは、もう二度と姉の心配なんぞしてやるものかと、憤りを胸に秘めて決意したのだった。
今思い返しても溜息が出る、そんな経験。結局、姉に何処へ行っていたのか聞いても、はぐらかされるばかりで、分からずじまいだ。だが大方、何処かに隠れながら、森を彷徨う自分を見て笑っていたのだろうと、アイザックは踏んでいる。彼女はそうやって彼を揶揄うのが好きなのだ。
アイザックは女王を前にし、ほんの一瞬、昔の出来事を追想した。あの件以来、彼は精霊という種に対し、少なからず恩を感じている。
ティタニア女王は立ち上がり、四本足の蹄を鳴らし、ゆったりとアイザックたちの方へ歩み出した。なかなか見応えのある風貌だった。木の枝の如く生えた幾つもの角は、ワンダラーズ・ウッズという森をよく現していると感じた。アイザックは彼女に向かって丁寧にお辞儀をした。
「お目にかかれて光栄です、陛下。アイザック・フォーレストと申します」
アイザックを真っ直ぐ捉えた女王は、目を微かに細め、口元を緩ませた。
「初めまして、アイザック。お会いできて嬉しいわ。急な依頼だったにも関わらず、ここまで足を運んでくださったこと、感謝します」
「いえ、こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」
女王はアイザックの前まで来ると、長い首を傾げながら彼を見つめ、朗らかに笑った。
「ふふ、なるほどね。確かにあの子に似ているわ」
相手の言葉を聞き、アイザックは内心の動揺を必死に押し隠した。同時に、さっきの兵士の言動が頭を過った。
〝へぇー、やっぱり似てるね。さすが姉弟〟
あの時から嫌な予感はしていたのだ。確認したくなかったが、避けては通れない話題だと思い、アイザックは覚悟を決めた。
「〝あの子〟というのは、いったい……」あくまで素朴な疑問だという風を装い、彼は尋ねた。
「数週間前、貴方のお姉さん、サファイアが、私に会いに来てくださったの」
(やはりそうか……)
予想が的中し、アイザックは思わず苦い顔をしそうになる。
「なぜ、姉がここへ……」
「ちょっとした商談よ。この国に住む、あるものが欲しいと言ってね、交換条件として、これをくれたわ」
女王は上を見上げると、樹頭辺りから何かが降りてき、二人の間で浮かんだまま止まった。それは一見、深い青色の宝石のようだった。だが、アイザックは一目でそれが何かを理解し、瞠目した。
「魔力の結晶……! 姉さんの……」
「そう。この国を形成する魔力の糧として贈ってくださったの。おかげで森が弱り始め、我が子たちが苦しんでいる際に、この結晶が力になってくれたわ」
アイザックは目の前の結晶を凝視した。魔力の結晶とは、言葉通り、魔法の使い手から生成される魔力の塊である。その結晶を摂取すると、一時的にそれに込められている魔力を使うことが出来るのだ。故に、魔法使いの市場などで、よく結晶の売買が行われたりしている。特に、強力な魔力や特別な魔法持ちの結晶は値打ち物とされている。
しかし、自身の結晶を他人に売ったり、贈ったりする行為には、リスクが伴う。魔力の結晶には、それを生成した魔法使いの情報が含まれている。個人の魔力量やバースマジックについてなど、本来なら伏せておくべきデータが公然となってしまう恐れがあるのだ。よって、アイザックはそのような取引に携わったことはない。まさか、姉がそのような交渉を行っていたとは、思いもよらなかった。
あの姉のことだ。他人が自身の魔法を知ったところで、支障になりはしないと踏んだのだろう。流石に油断が過ぎるのではないかと思ったが、彼女のその行動は結果的に吉と出た。
ここの精霊たちは森の守護者だ。森が危険に晒されれば、害を取り除こうと奮闘する。だが、森の健康が崩れすぎると、自然の力を源としている精霊たちも衰弱する。その場合、主導者として君臨し、圧倒的魔力を誇る女王が、民を支えるのだが、今回は姉の結晶がその手助けとなったらしい。
「そのようなことが……姉は、この結晶と引き換えに何を要求したのですか?」アイザックはもう一つの疑問を口にした。
「ふふ、可愛い弟の為に是非贈りたいものがあると言ってね、人見知りな子たちだから、心配したのだけれど……」
女王は先程と変わらず穏やかな表情を浮かべ、辺りを見回した。
「フローガ、お仲間を連れてこちらへ来てくださる?」
木に向かって彼女が呼びかけると、間もなく幹を伝い、複数の火の玉のようなものが地面まで下りてきた。そのまま地を這い、女王の傍まで来ると、アイザックはその者たちの姿をやっとはっきり捉えることが出来た。赤い皮膚、四本足、長い尻尾、そして背中に炎を灯した生物。
間違いない。今まで本でしか見たことがなかった、火の精霊、サラマンダー!
アイザックは衝動的に踏み出しそうになるのを何とか堪えた。
「サラマンダー……この国に生息しているとは知りませんでした」アイザックは努めて冷静に言った。
「少し前、いえ、もう昔の事なのかしらね。人間たちとの衝突が頻繁に起こっていた頃、森に火が放たれることもありました。それを鎮火していたのが、この子たち。ここ最近は、喜ばしいことに、そのような騒動が勃発することもなくなり、この子たちが表に出ることは少なくなりましたけれど」
納得のいく話だった。サラマンダーは、主に火を生み出すことで知られているが、火を消す能力も持ち合わせている。この国に生息していてもおかしくはない。姉から貰ったサラマンダーの蛹は、彼女がこの国で手に入れたものだったのだ。
「なるほど。では、姉が無茶な要求をしたようで、ご迷惑を……」
「いえ、私も、そろそろこの子たちを、より活躍できる場へ送り出しても良い頃合いなのではないかと思っていましたので。それに、サファイアとの対談は中々楽しかったわ。彼女、貴方のことをたくさん話してくれてね、とても優秀なヒーラーだって。何かあれば貴方に頼れば良いと、強くお勧めしてくれたのよ」
「そ、そうでしたか……」
(姉さんめ……余計なことを)
アイザックは、名状しがたい、複雑な心境に陥った。
昔から、姉の考えることは分からない。
自分の為にわざわざ自身の結晶を売ってまでプレゼントを用意したりと、一見慈愛に満ちた行動も、相手があの姉となると、何か裏があるのではないかと、アイザックは疑わずにはいられなかった。少なくとも、彼女の推奨によって彼が今回の件を依頼されたのであれば、借りを作ってしまったのは間違いない。
それにしても、姉がここに訪れた数週間後に依頼されることになるとは、これは果たして本当に偶然なのだろうか。もしや、森での事件に、姉が何か関わっているのではないだろうか。いや、いくら姉でも、精霊に喧嘩を売るような真似はしないはずだ……そう思いたい。
「アイザック、貴方なら既にご存知でしょうけど、私たち精霊は他の種と違い、肉体を持ちません。私たちの存在は自然と共にあります。ですから、我が子たちを苦しみから救うには、森自体を癒さねばならないのです」
アイザックが最悪な想像をしている間に、女王は本題に入った。
今は仕事に集中しなければならない。彼はいったん姉のことを頭の隅に追いやった。
「はい、承知しております」
アイザックがそう答えると、女王は一度アエラスと目を合わせ、歩き出した。
「では、こちらへ」
泉の方へ向かう女王の後ろに、アエラスが従い、アイザックも二人に続いた。その時、何処からか視線を感じ、振り返ると、ヨハンがジロジロと、珍しいものでも見るかのような目を向けてきていることに気づいた。
「……なんだ?」
「あ、いや……」
アイザックが怪訝な顔をすると、ヨハンはすぐに視線を逸らした。その不審な態度が少し気になったが、ひとまず受け流すことにした。
泉を渡り、村を少し離れると、草木でできた大きなドーム型の納屋のような建物に行き着いた。女王が近づくと、入口を覆うカーテンのような葉が開き、彼女を通した。アエラスは、アイザックたちも中に入るよう促した。
納屋の天井は円形に開いており、差し込んでくる光によって、中はそれほど暗くなかった。おかげでアイザックはすぐに現状を把握することが出来た。
屋内の辺り一面に、多数の動物が寝かされていた。どの動物も負傷しているようで、手当された跡がある。軽傷らしい者もいれば、重傷を負っている者もいる。特に怪我はしていないが、負傷している動物たちの家族や同胞もいるようだ。
憂いを帯びた表情で、女王は動物たちを見つめた。
「この子たちは、森を脅かしている哀れな迷い子たちに襲われ、救出された子たち。応急処置は済ませてあるけれど、まだ怪我で苦しんでいます。残念ながら、私たちは肉体の損傷を完全に癒すことは出来ませんので」
女王はアイザックに向き直った。
「アイザック、この子たちを助け、貴方のヒーラーとしての実力を見せて頂けるかしら?」
アイザックは逡巡することなく頷いた。この為に、わざわざここに来るまで魔力を温存していたのだ。
「勿論です」
そう答えるや否や、彼は早速仕事に取り掛かった。
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