第3話「ギルドのまかない、始めました」
――朝の光が、冒険者ギルド・ハルメリア支部の厨房に差し込む。
冷たい石造りの床と、調理場の魔導ランタンがほんのりと温もりを宿していた。厨房内には、夜明け前から動き出している料理補助たちの足音と、火の魔晶石が静かに燃える微かな音が交じり合っている。
「さて、今日から正式に勤務開始ってわけね」
ミレイユが腕を組み、鋭い眼差しで厨房を一望した。その隣に立つ莉子は、まだ見慣れない調理器具たちを前に、わずかに緊張した面持ちで包丁を握り直していた。
「ギルド食堂の朝は早いわ。まずは、朝の“まかない”から。基本的に、その日の出発前の冒険者たちに腹ごしらえさせるのが目的よ」
厨房の中央に据えられた長テーブルには、すでに野菜の山や塩漬け肉の塊、魔導冷庫から取り出された素材たちが所狭しと並べられていた。
「今日は野菜のスープと雑穀パン、あとは昨日の残りのスモークラット肉を使った炒め物。あんたは炒め物担当ね。指示は自分で出していいわ」
「はい、やってみます!」
莉子は新しいまな板と調理台を確認し、補助の一人――若い獣人の少年に声をかけた。
「すみません、このスモークラット、筋が多い部位は細かく刻んで炒め用にしてくれますか?」
「あ、はいっ、分かりました!」
思った以上に反応が素直で、莉子は少し安心した。どうやら、厨房での立ち位置は既にミレイユが整えてくれていたようだ。
調理が始まると、莉子は一気に集中モードに入る。香味野菜とラット肉を炒め、仕上げに甘辛い調味液を回しかけた。異世界の食材であるはずなのに、不思議と身体が自然に動く。香りが立ち上がると、他の補助たちが思わず手を止めた。
「いい匂い……」
「昨日のよりも香ばしくて……」
「さすが“異邦のまかない嬢”だな」
いつの間にかそんなあだ名までついていたらしい。莉子は笑いながら炒め鍋をふるった。
数十分後、大鍋のスープ、焼き立てのパン、そして莉子のスモークラット炒めが並び、厨房横のまかないスペースへと運ばれていく。
まだ薄暗さが残る早朝の食堂。木造の長テーブルにはぽつぽつと冒険者たちが集まり始め、疲れた表情の者、目をこすりながら皿を手にする者、皆無言で料理に手を伸ばす。
「お、今日の飯当番、新入りの子か?」
屈強な冒険者が何人か集まり、朝食を取り始めた。最初は無言だったが、炒め物をひと口口に入れた瞬間、ひとりが口を開いた。
「……これ、すげぇ。昨日の肉、こんなに柔らかくなるもんか?」
「味付けもいい。香りだけで飯食えるな」
「まかないにしては贅沢だな、これ」
噂はすぐに広がり、厨房前のまかない席には次々と冒険者たちが現れ始めた。
「お前が作ったのか?」「昨日助けられたって聞いたけど、料理もすげぇな」
莉子は戸惑いながらも、笑顔で「はい」と返した。中には、冒険から戻ったばかりらしい泥だらけの若者や、まだ眠たそうな受付係まで、顔ぶれは多様だった。
そしてその中には、アレンの姿もあった。
「おっ、俺の分もある? 昨日から楽しみにしてたんだ!」
「もちろん、たっぷり作ってあるよ」
皿を受け取ったアレンが一口食べた瞬間、ぱっと表情が輝いた。
「うまっ!これ本当にスモークラット?全然臭みもないし、旨味が濃くて……これ、店出せるレベルじゃん!」
「そんな、大げさだよ……」
「いやいや、本気で言ってるって。俺、この街でこんなに朝から幸せになったの初めてだぞ」
周囲の冒険者たちも口々に感想を述べ、食堂には温かい空気が流れ始めた。
その様子を見届けながら、ミレイユは厨房の隅から小さく呟いた。
「やっぱり、ただ者じゃないわね……あの娘」
そして、その視線の奥には、誰にも語らない深い記憶の残り香があった。かつてこの厨房で共に鍋をふるった“誰か”の姿が、莉子の後ろ姿に重なったのだ。
火の揺らめきに照らされた包丁の光、その背筋を伸ばして調理台に向かう姿勢。ふとした仕草が、彼女の遥かな記憶を呼び起こす。
「……似ているわ。あの人に……」
呟きは湯気に紛れて消えたが、その瞳に宿った微かな懐かしさは、切なくも温かな光をたたえていた。
***
スープの香りが食堂の隅々まで広がる頃、扉の向こうから、控えめに顔を覗かせる者がいた。
「あの……」
細い声とともに姿を現したのは、獣人の少女だった。ふさふさの猫耳と、腰まで届く尻尾。革の軽装鎧を身にまとい、小柄な体に大きなバッグを背負っている。
「あなた……見習いのティナね?」
ミレイユが声をかけると、少女はぴくりと耳を動かしながら、小さくうなずいた。
「……匂いが……すごく、おいしそうで……」
「どうぞ、席に座って。炒め物はこの子が作ったのよ」
ミレイユに促され、ティナはおそるおそる椅子に腰を下ろした。
莉子は笑顔で皿を差し出しながら声をかける。
「熱いうちに食べてね」
ティナは小さくうなずき、両手で皿を包むように持ち、ひと口運ぶ。ふわりと香る焦げた甘辛い香り、柔らかく炒めた肉と野菜の食感。
「……」
しばらく黙っていたティナは、やがてほんの少しだけ頬を染めて呟いた。
「……おいしい」
莉子は自然に微笑んだ。
「ありがとう。嬉しいな」
その声に、ティナはびくりと肩を揺らしたが、すぐにほんのりと笑みを返す。まだ慣れない人付き合いの中で、少しだけ扉が開いた瞬間だった。
「ギルドの胃袋を掴んだわね」
ミレイユが、口元に小さな笑みを浮かべて呟いた。
皿をきちんと空にしたティナは、丁寧に頭を下げてから、小さな声で尋ねた。
「……また……明日も、来ていい?」
莉子は迷わず、笑顔で頷いた。
「もちろん。待ってるよ」
ティナは尻尾を軽く揺らしながら、そそくさと食堂を後にした。その背中に、莉子は小さな“最初の友達”の気配を感じていた。
(な、なにあの猫耳と尻尾……!かわいすぎる……! これは毎日癒やされてしまいそう……!)
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