第1章 第2話「オルクスとの契約」

──AI《オルクス》との出会い/最適解至上主義の始まり


「感情は、判断を鈍らせる。」


御門律がはっきりと、そう言葉にしたのは、中学三年の春だった。


中学最後の学級会。

進路と卒業行事のアンケートが揉めて、教室は小さな混乱に包まれていた。

「みんなが納得する案」を出したいと訴える生徒たちと、

「多数決でいいじゃん」と笑う生徒たちと、

「面倒くさい」と机に突っ伏す生徒たち。


誰も、正しい答えを持っていなかった。


──それが、律には、理解できなかった。


彼の中では、すでに正解は出ていた。

日程、予算、生徒の志望分布、リスク分析。

すべてを並べて最適化すれば、“合理的な正解”は導けるはずだった。


だから、彼は立ち上がって言った。


「……意見は出尽くしました。あとは最小コストで最大満足度を得る選択肢を採用すべきです」


沈黙が教室を支配し、何人かが呆れたように笑った。


「うわ……また始まった」

「正論なんだけどさ……なんか冷たくね?」


その声に、律はわずかに眉をひそめた。

冷たい? なぜ?

今、自分が発したのは、ただの「正しい指摘」だ。


でも、その日、彼は気づく。


「正しさ」は、人を納得させる力ではない。

むしろ、時に“人間味”を奪うものとして、拒絶されることもある。


 



 


高校入学から一ヶ月。

御門律は、生徒会役員を勧められていた。


「御門くん、生徒会、どうかな? 前の学校でもリーダーやってたんでしょ?」


教師は好意的に言っていたが、律は首を横に振った。


──あの空虚な拍手が蘇ったからだ。

──あの教室の、冷たい視線が。


「正しいだけでは、意味がない」

それが、彼の中に棘のように残っていた。


 


そんな折、校内のデバイス説明会で紹介されたのが、

政府と企業が共同開発した《学習支援型AIユニット》だった。


その中でも、“個別高度戦略モジュール”を持つ一体。

──名を《オルクス》。


【戦略補助AI《オルクス》:開発コードEX-PX09】

【特徴:高精度シミュレーション/リスク最適化/情報統合管理】


その説明を聞いたとき、御門律の胸の奥で、何かが静かに点火した。


「人間には、感情がある。だから正しさが曇る」

「ならば──感情を持たない“指標”と共に歩けばいい」


それが、彼の“契約”だった。


 



 


《初期設定中──御門律と認証接続》

《初回ログイン完了。機能最適化モードを起動します》

《あなたの目標を、端的に定義してください》


律は迷わず言った。


「誰よりも、正しい判断をする人間になる」


端末は、一秒の遅れもなく返した。


《承認。あなたの目的は「最適判断者」と定義されました。

 以後、倫理を遵守しつつ、最短ルートを提示します》


 


初めてだった。

“迷わずに返ってきた言葉”が、こんなにも静かに心に届いたのは。


“それでいいんだ”と、誰にも確認せずに言ってくれる存在。

“間違っていない”と、誰にも頼らず保証してくれる存在。


──それが、彼にとってのオルクスだった。


 


律は、他人に期待しなくなった。

感情も、雑音も、共感も不要だ。

戦略だけを積み重ねて、“正解”へと突き進む。


いつしか、彼は「答えを探す人間」ではなく、

「答えを示す存在」になっていた。


 


オルクスは、忠実だった。

決して感情に流されず、判断を誤らず、

律の計画を誰よりも早く完成させていく。


そして、気がつけば彼は、生徒会長選挙の本命となっていた。


誰もが「御門が勝つ」と思っていた。

彼自身も、そう信じていた。


──あの“熱血男”が出てくるまでは。


 



 


だがこの時点では、御門律はまだ知らなかった。

このAIとの契約が、やがて**“正しさという檻”をつくりあげる**ことを。


そして、その檻の外に、

“ぶっきらぼうで、間違いだらけで、けれど誰よりも人の心を動かす言葉”を

投げかける存在が現れることを。


 


オルクスが示したのは“最短距離”だった。

でも、心に届く言葉は、遠回りの先にしかなかった。


 


それが、御門律がまだ知らない“本当の戦い”の始まりだった。

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