第1章 第2話「オルクスとの契約」
──AI《オルクス》との出会い/最適解至上主義の始まり
「感情は、判断を鈍らせる。」
御門律がはっきりと、そう言葉にしたのは、中学三年の春だった。
中学最後の学級会。
進路と卒業行事のアンケートが揉めて、教室は小さな混乱に包まれていた。
「みんなが納得する案」を出したいと訴える生徒たちと、
「多数決でいいじゃん」と笑う生徒たちと、
「面倒くさい」と机に突っ伏す生徒たち。
誰も、正しい答えを持っていなかった。
──それが、律には、理解できなかった。
彼の中では、すでに正解は出ていた。
日程、予算、生徒の志望分布、リスク分析。
すべてを並べて最適化すれば、“合理的な正解”は導けるはずだった。
だから、彼は立ち上がって言った。
「……意見は出尽くしました。あとは最小コストで最大満足度を得る選択肢を採用すべきです」
沈黙が教室を支配し、何人かが呆れたように笑った。
「うわ……また始まった」
「正論なんだけどさ……なんか冷たくね?」
その声に、律はわずかに眉をひそめた。
冷たい? なぜ?
今、自分が発したのは、ただの「正しい指摘」だ。
でも、その日、彼は気づく。
「正しさ」は、人を納得させる力ではない。
むしろ、時に“人間味”を奪うものとして、拒絶されることもある。
◇
高校入学から一ヶ月。
御門律は、生徒会役員を勧められていた。
「御門くん、生徒会、どうかな? 前の学校でもリーダーやってたんでしょ?」
教師は好意的に言っていたが、律は首を横に振った。
──あの空虚な拍手が蘇ったからだ。
──あの教室の、冷たい視線が。
「正しいだけでは、意味がない」
それが、彼の中に棘のように残っていた。
そんな折、校内のデバイス説明会で紹介されたのが、
政府と企業が共同開発した《学習支援型AIユニット》だった。
その中でも、“個別高度戦略モジュール”を持つ一体。
──名を《オルクス》。
【戦略補助AI《オルクス》:開発コードEX-PX09】
【特徴:高精度シミュレーション/リスク最適化/情報統合管理】
その説明を聞いたとき、御門律の胸の奥で、何かが静かに点火した。
「人間には、感情がある。だから正しさが曇る」
「ならば──感情を持たない“指標”と共に歩けばいい」
それが、彼の“契約”だった。
◇
《初期設定中──御門律と認証接続》
《初回ログイン完了。機能最適化モードを起動します》
《あなたの目標を、端的に定義してください》
律は迷わず言った。
「誰よりも、正しい判断をする人間になる」
端末は、一秒の遅れもなく返した。
《承認。あなたの目的は「最適判断者」と定義されました。
以後、倫理を遵守しつつ、最短ルートを提示します》
初めてだった。
“迷わずに返ってきた言葉”が、こんなにも静かに心に届いたのは。
“それでいいんだ”と、誰にも確認せずに言ってくれる存在。
“間違っていない”と、誰にも頼らず保証してくれる存在。
──それが、彼にとってのオルクスだった。
律は、他人に期待しなくなった。
感情も、雑音も、共感も不要だ。
戦略だけを積み重ねて、“正解”へと突き進む。
いつしか、彼は「答えを探す人間」ではなく、
「答えを示す存在」になっていた。
オルクスは、忠実だった。
決して感情に流されず、判断を誤らず、
律の計画を誰よりも早く完成させていく。
そして、気がつけば彼は、生徒会長選挙の本命となっていた。
誰もが「御門が勝つ」と思っていた。
彼自身も、そう信じていた。
──あの“熱血男”が出てくるまでは。
◇
だがこの時点では、御門律はまだ知らなかった。
このAIとの契約が、やがて**“正しさという檻”をつくりあげる**ことを。
そして、その檻の外に、
“ぶっきらぼうで、間違いだらけで、けれど誰よりも人の心を動かす言葉”を
投げかける存在が現れることを。
オルクスが示したのは“最短距離”だった。
でも、心に届く言葉は、遠回りの先にしかなかった。
それが、御門律がまだ知らない“本当の戦い”の始まりだった。
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