第十話:女子高生探偵と二つの自殺



 鶴盛つるもり弟達と白房しろふさへの聞き込みをしてから二週間が経過し、気付けば五月になっていた。


 あれ以来、ありがたいことに荒事になることなく平穏に過ごせている。

 休み明けの今日は飯田橋が最寄りの学校での聞き込みということで松笠探偵事務所を集合場所にした。


 ガタガタと音を立てながら揺れるエレベーターを避けて階段で四階へと向かう。

 何度か足を運ぶうちに気付いたがこの建物の入り口や階段には防犯カメラはない。


 古い建物だから仕方ないのかもしれないが、エレベーター内に設置する時につけようとはならなかったのだろうか。


 それとも探偵事務所の中にはあることから他の階にも同じように設置されていて、それだけあればいいと判断されたのだろうか。だとしたらなんでエレベーターには付けたのだろうか。


 まあそこは気にするようなことでもないか。


「……ふぅ、四階ともなると上るだけで一苦労だね」


「よくそれで普通に学校生活を送れているな」


 階段を上がりきった宮子は軽く息を切らしている。

 通っている海見原うなみはら高校も四階建てなのだからこれくらいは平気になっていてもおかしくないはずだ。


「ふふっ、乙女は不思議な生き物なのさ」


「体力不足を不思議と言うな」


「と言われてもだね、これでもずいぶんたくましくなったのだよ、私は」


「……そうか」


 体力が付いたおかげで今は軽く息を乱すだけですむようになったのか。

 となると入学当初は相当な苦労をしていたことになる。

 なんというか……ご愁傷様だ。


 同情した途端、一気に触れづらくなりかける言葉を失う。

 だがありがたいことに事務所の扉は目の前だ。居心地の悪い沈黙を挟む必要はない。


『営業中』の掛札を確認してドアをノックすると中から「どうぞ」と声が返ってきた。


 中に入ると最初浮かべていた笑顔はどこへやら、目の前に居た松笠は「遅いよー」と頬を膨らませた。さらに爪先でトントンと床を鳴らしている。

 可愛らしいともいえる表情以上に内心穏やかじゃなさそうだ。


 とはいえ、急いで来たつもりはないにせよ、約束の時間に遅れたわけでもないのだから不満を言われる覚えはない。


 遅れてはいないぞ、と喉まで上っていた言葉は、しかし声にする前に飲み込んだ。

 よく松笠を見ると出かける準備は万全に出来ている上、入ってすぐ目の前に居た。相当調査に前のめりになっている事がうかがえる。


 無理もないか。

 この二週間、あまり調査は進まなかったのだ。

 その大きな要因はゴールデンウィークの存在だ。


 連休が挟まったことで普段より調査に使える時間は増えたが、俺達が休みなら同じように他の学校の生徒だって休みになる。それにより学校帰りの生徒に聞き込みをしていた俺達は、実質調査が出来ない状態になった。


 折角白房への聞き込みのおかげで大きく進展した直後のどうしようもない停滞。

 その間三つの飛び降り遺体が発見されているとなれば、もどかしさとやるせなさが膨れ上がっていてもおかしくない。


 そしてやっと聞き込み調査が再開できる今日を迎えたのだ、一分一秒でも早く始めたくなるのが自然だろう。


 だから無駄に時間を使わせるところでもない。「悪かった」と告げると多少苛立ちは解消されたのか、ぷすーと息を吐いて「別にいいけど」と口を尖らせたまま言った。


 そんな若干ご立腹の松笠に背中を押され、入って一分と経たず事務所を出た。

 上ってきた建物を今度はエレベーターで降りて、目的の高校へと歩き出す。


 本人は気付いていなさそうだが、明らかにいつもより早歩きだ。

 まあ俺も原因の一つになっている自覚はある。文句を言わずに着いていくしかない。


 その弊害というべきか、いつになく早く進む松笠を追いかける宮子は大きく息を乱している。軽口を叩く余裕もないようだ。少し可哀想になってくる。


 良いとはいえないコンディションで挑む今回の調査対象は五ヶ月前に亡くなった沢峰さわみね紫莉ゆかり、当時高校二年生だ。


「沢峰さんについて? あー、となると自殺した件だよね。先生から絶対外の人に話さないようにってすっごく言われているんだ」


 例によって学校から少し離れた場所で聞き込みを始めるも、早速暗雲が立ちこめた。

 ポニーテールの女子、長谷海はせうみ虹歌にじかは申し訳なさそうに手を合わせた。

 長谷海は平均より背の高い宮子よりもさらに少し大きく、全体的にスラリとした体型の女子だ。口調は明るく、勉強よりも運動が得意そうな雰囲気がある。


「少しだけでもお伺いできませんか?」


「それはちょっと無理かな。今回流石に先生達もすっごい問題にしててさ、口外禁止令がすっごい厳しいの。始業式直後にも改めて念を押す徹底っぷりはすっごいよね」


 幸先良く一人目で沢峰の同級生に出会えたが、やはり箝口令は敷かれているらしい。

 すっごい、が多いのは置いておいて、何か引っかかる言い回しだ。


「では一つだけ聞かせてもらえませんか? 自殺についてではないので」


「それなら……いいのかな?」


 なおも食い下がった松笠に対して、長谷海は宙を見ながら首を左右に一度ずつゆっくり倒した。迷っている様子だが質問によっては答えてくれそうだ。

 そんな隙を見せた長谷海に松笠はたたみかけるように聞いた。


「沢峰さん、誰かを虐めていませんでしたか?」


「え? いや、それは、えーっと……」


「一般的に、虐められていたならまだしも、虐めていた側が自殺するなんてあまり考えられませんよね?」


「そうだね、間違いないと思う」


「なら、今回が自殺である以上、沢峰さんが亡くなった事と、虐めをしていたとしてもその事は別問題になる。違いますか?」


「……確かに」


「なら、虐めについては話してもいいと思いませんか?」


「う、うん、言われてみればそうだ……」


 一度は言い淀む様子を見せた長谷海は納得したように頷いた。

 反応的にも沢峰が虐めをしていたのは間違いなさそうだ。

 にしても思ったより落ち着いているな、松笠は。


 まず先に虐める側が自殺することはないという一般的な考え方を認めさせた。その上で沢峰が自殺であると強調して質問することで、沢峰の死は自殺だと強く意識させた。それにより自殺と虐めの問題を乖離させたのだ。


 もし虐められていた側による他殺の可能性が意識にあるまま話をしようとすると、自殺の話と虐めの話は同一線上にあるものとされるため箝口令が影響して話せなくなるだろう。


 しかし沢峰が自殺したのだという認識で話を進めれば、虐めていた事とは別の話になり、学校側の箝口令を破った事にはならないと言い訳ができるようになる。

 沢峰は虐めていた側だったのだから、それは自殺とは関係の無い話だ、と。


 明らかに詭弁ではあるが別に納得する必要はない。ただ学校からの言いつけを破ってはいないという抜け道さえ与えられれば、彼女を躊躇わせるものはなくなるからだ。

 虐めについてなら何でも話してくれるだろう。


「沢峰さんね、君達の言う通り虐めやってたよ」


「その相手はどなたですか?」


「蓮山幸恵っていう先輩」


「先輩……ですか?」


「そう、沢峰さんが虐めていたのは先輩なの。意外かな?」


 長谷海の言葉が図星なのか、松笠は戸惑いがちに頷いた。

 俺も先輩を虐めの対象にするとは思っておらず驚いた。


 勝手なイメージだと言われればそれまでだが、虐めは力関係的には強いものから弱いものへと行われる。そうなると大抵は同級生間で発生するか、上級生が下級生を標的にする事がほとんどだろう。


 でも俺に馴染みがないだけで、単純に個々の実力で評価される部活動や課外活動の世界なら上下関係の逆転はよくある事なのかもしれない。


「ということは、蓮山さんはもう卒業しているんですよね……」


 松笠が考えるように呟いた。

 沢峰が死んだのは五ヶ月前で、当時高校二年生だった。そして今話している長谷海は現在三年生であり、その先輩である蓮山は卒業していることになる。


 つまりもうこの学校に蓮山はいないわけで、虐めの被害者であるから話を聞く事は難しくなった。少なくとも今日聞く事は不可能だろう。

 そんな松笠の呟きを聞いた長谷海は顔をしかめて目を伏せた。


「えーっと、なんていうか、そのね……」


 言い淀んでは口をつぐむ。

 よほど言いにくそうな所を見ると、すんなり卒業したわけではなさそうだ。


 引き籠もってしまって自主退学してしまったのだろうか。

 それとも卒業はしたにせよ所謂保健室登校で、受験は上手くいかなかったのかもしれない。


「蓮山先輩に連絡を取れそうな方は知っていますか?」


「それが、えっと……」


 松笠に問われて、長谷海はさらに渋面を濃くした。

 そして腕を組んでブツブツと独り言を始めた。


 これはでもとか、今回とはとか、言われているのはとか、有宮先輩がとか。

 ブツブツブツブツと繰り返す。時折聞こえる単語を結びつけても意味はなさない。

 終わるまで待つしかなさそうだ。


 そのまま一分ほどブツブツしていた長谷海は顔を上げて松笠を見た。


「私からも一つ聞いていい?」


「はい」


「すっごい気になってたんだけど、どうして三人は沢峰さんの事を調べているの?」


 聞かれた松笠は一度周囲を見回して誰もいない事を確認した上で、長谷海に顔を近づけて小声で言った。


「沢峰さんが、というよりここ最近起こっている自殺が実は他殺だったんじゃないかって疑っているんです」


「えっ、どういうこと!?」


「そのままの意味です。本当は誰かに殺されている可能性が高いんです。だからその真相を知るために、今は虐められていた人に何か心当たりが無いか聞いて回っているんです」


 長谷海は驚き半分呆れ半分のような溜め息を吐いた。


「確かに沢峰さんが自殺するとは思えなかったけど……でもなるほどね。私もすっごく気になってたんだ、それ。君達みたいに行動力がないから調べようとまでは思わなかったけどね」


 そして自分に言い聞かせるように、うんうんと頷いた。


「それなら話してもいいよね、うん。あくまで口止めされているのは今回の自殺の事だけだもんね、うんうん。よって大丈夫、罪にはならない私はノーギルティ! ……よしっ。じゃあ話すね」


「ありがとうございます」


 一人言い聞かせるように力強く頷いた長谷海はさっきの松笠みたいに周囲確認してから顔を寄せて言った。


「実はね、蓮山先輩自殺しちゃったんだ」


「えっ……?」


「ご自宅でね、首を吊っちゃったんだって」


「そう、だったんですね……」


 松笠が目を丸くした。

 俺もまた同じように驚いた。


 同一校で立て続けに自殺者が出ていた事もそうだが、それ以上に松笠が把握していなかった事にもっと驚いた。


 松笠は膨大なデータをまとめて被害者のリストを作っていた。そしてそれには死亡者の名前だけでは無く当時の年齢や学校名も載っていたはずだ。同じ学校の名前が出てくれば気付いていただろう。


 だが、なるほどだからさっき自殺の件について聞いた時に変な言い方になっていたのか。

 二度も自殺が起きれば学校側もより慎重になって箝口令もより強く発する。当然のことだ。


「すっごいショックだよね。どうしても虐めに耐えられなくなっちゃったみたいでね。親友だった有宮ありみや先輩にすら何も言わずに死んじゃったんだもん。有宮先輩もすっごい可哀想だね」


「そう、だったんですね……」


 松笠は指を口元に当てて考えるようにしながら呟いた。

 なぜその情報を持っていなかったのかという疑問なのだろうか。それとも蓮山に連絡が取れないとなると今後どうするか検討しているのだろうか。


「よかったら有宮先輩に連絡してみよっか? 私よりも有宮先輩の方が蓮山先輩の事については詳しいし、感じた事も多いだろうからさ」


「えっ……」


「あっ、もちろん有宮先輩が良ければ、って前提にはなっちゃうんだけどね」


「ご連絡先、分かるんですか?」


「うん、こう見えても私三年間ずっと生徒会やってるんだけどね、去年有宮先輩が会長の時にすっごくお世話になったから連絡先も知ってるんだ。優しくて包容力もある、すっごく良い人だから協力してくれると思うよ。ちょっと聞いてみるから待ってて」


 そう言いながら長谷海はスマホを取り出して素早く操作すると耳元に当てた。

 とても親切に取り次ごうとしてくれているが大丈夫なのだろうか。

 今回は趣味などで集まるためのアポじゃない。内容が内容だけに過去の傷に触れるような話をすることになる。


 しかも仲の良いらしい長谷海ではなく、無関係の第三者が傷に手を伸ばすも同然の行為だ。

 下手なやりとりをすれば長谷海と有宮の間に少し溝が生まれてしまいかねないが……。


 俺の心配をよそに、相手と繋がったようで会話が始まる。


「お久しぶりです先輩、虹歌です。えへへ、ありがとうございます。あのですね、突然なんですけど先輩とお話ししたいっていう後輩がいまして、はい、はい。その、すっごく言い辛いんですけど、沢峰さんの……いえ、蓮山先輩の事で。はい、はい……。その、すみません……」


 最初こそ明るそうに始まった会話もすぐにトーンが落ちた。

 長谷海の声を聞いている限り感触は良くなさそうだ。


 それはそうだろう。有宮という先輩は蓮山の親友だったらしいのだ。亡くなった親友について誰とも知らない相手が話したい、なんていきなり言われても困惑以上に不快感が襲ってくるだろう。普通に考えて快く承諾するわけがない。


 そんな期待薄の通話を横に、俺は松笠に話しかけた。


「まさか同じ学校から自殺者が二人も続けて出ているなんてな」


「そうだね。蓮山さんが亡くなったのがご自宅だったから、一連の殺人とは関連性がないと思ってネームリストには入れなかったんだよね。マップの方には入力したはずだけどいまいち覚えていなかったんだ」


 確かに今回目を付けたのは中央・総武線の線路付近で起きた飛び降りの自殺処理事件だ。自宅で首を吊ったパターン、つまり本当の自殺はノーマークだっただろう。


 そして松笠の用意したマップデータに入力されていた情報は死亡日と当時の年齢、死亡方法だけだった。そちらには学校の名前も亡くなった人の名前も入っていない。

 だったら覚えていなくて当然だ。


 一つの疑問が晴れたところで丁度会話が一段落付いたらしい、長谷海が耳からスマホを離して問いかけてきた。


「三人とも、明日土曜日だけど予定ある?」


「私はないかな。或斗君と宮子さんは?」


「えっ……? お、俺は十八時からバイトだがそれまでなら……」


 思いも寄らない返答に戸惑ってしまう。

 困惑しているうちに「私も暇さ」という宮子の言葉を受けて、長谷海は明日のアポを確定させてしまった。


 まさか俺達と会うつもりなのか、有宮という女子は。調査している側にとってはありがたいが、よく初めて会う相手に親友の死について話してもいいと思えたな。


 それほど長谷海を信用していて、彼女の寄越す人間なら大丈夫だと判断したのだろうか。


「じゃあ明日、十三時に有宮先輩の大学に行けば会ってくれるって。三号館のカフェで待ってるって」


 そう言いながらスマホで大学の地図を表示して見せてきた。

 地図の上に有名私立大学の名前が表示されていた。どうやら授業棟として使われている三号館の一階部分はカフェになっているらしい。


「流石に高校の制服じゃ目立っちゃうから私服に着替えてから行った方がいいよ」


「はいっ、何から何までありがとうございます」


 頭を下げた松笠に合わせて俺と宮子も頭を下げた。

 すると長谷海は胸を張って笑った。


「気にしないで。私、生徒会長だから。困っている人と頑張っている人をすっごく応援したくなるんだ」


 生徒会長だったのか。

 良い人には変わりないが、あまり会長っぽくはない……喋り方とか特に。


 だが新たに話を聞けそうな人に取り次いでくれたのは確かだ。それは生徒会役員として過ごし、会長になれるまでの人柄あってのものだろう。

 俺達はもう一度感謝を述べてこの場を去る事にした。



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