第6話

バレンシアでヤンはまたパンや干し肉を買い海沿いを北へと向かった。

海沿いは街や村が続いており、地中海の温かい風が吹いており旅の中では比較的穏やかなほうであったろう。


だが彼一人では持て余すであろう大きなパンはふたつからひとつを切り、半分となっていた。

カンテラの油や干し肉を買う路銀も底を尽き、彼はもう価値あるものは何も持っていなかったのだ。それでも彼は歩いた。

ビナロスの街を過ぎると湾曲した海岸が海の向こうに見えるのだ。そのまま北に向かっても遠くに見える対岸の海岸は北へと延びていた。そして岬があり、そこにそれはあった。麦穂の海岸だ。あの対岸に見えて居たものは大きな麦の形をした砂浜だった。


ヤンは疲れ、やせ細った体でも前に進む足取りは軽やかであった。

湿地帯に足を取られても進むのをやめなかった。岬から陸続きで対岸の麦穂の海岸へとたどり着いた。たどり着いたころには夜の帳が降り、波音しか聞こえない静かな夜だった。

たどり着いた時、ヤンはもう一歩も歩けなかった。砂浜に寝転んで海を眺めた。

水平線の向こうから月が大きな顔を見せている大海原だ。それは村を出た時と同じ満月であった。


「オオオオオーン」


遠吠えのような大きな鳴き声が聞こえた。鳴き声の主はクジラの背打ちのように海面を大きく跳ねる。ヤンはくじらを見たことが無かった。だからその大きな生き物はくじらだと思ったのだ。


「くじらだ。これが海なんだ」


ヤンは喜んだが魔法の竜は居なかったのだ。だがくじらは見ることができた。いままで見たことのないほどの大きな生き物だ。くじらはヤンを見ると白波を立てて近づいてくる。


「やあ、くじらさん。僕は魔法の竜を探しに来たんだ。けどここにはいなかったみたいだね。食料も夜道を照らす温かなカンテラの油もない。ぼくはもう帰れないのだろう。だから最後のパンを半分こ分けてあげるから僕の話を聞いてくれないかい?」

ヤンはナイフでパンを半分切り分け、くじらにその半分をあげた。


くじらは何も言わず、ただじっとヤンの話を聞いた。


父と母が流行り病で倒れたこと、村の大人たちがよくしてくれたこと、騎士に憧れて子供達といがみ合ってしまってプカプを探す旅に出てしまったこと。そして道中色々な人に出会ったこと。本当は少し意固地になっていただけだった。ここまできてようやくわかったのだ。

「僕は村の子供達と喧嘩をしてしまった。最後にそれだけあやまりたかったなぁ」

ヤンは凍てつく夜に力尽きるように眠りについた。


オオオオオーン


くじらは、いやその竜は、ヤンのために鳴いた。


目を開けるとそこは雲の中だった。視界を流れていく雲は滝を落ちる水より速い。浮き上がる感覚がしたので必死に地面にしがみついた。ヤンは何かの背中の上に居たのだ。


しがみついて登っていくと明かりが見え始めた。ぼんやりとした視界は開けて天は青かった。さらにその上には太陽がある。下の方では雲海がすごい速さで流れていく。海の向こうが見えた。あれが僕らが来た大陸なのかもしれない。


「もしかしてきみがプカプなのかい?」


オオオオオーン


竜は答えた。


「本当にプカプは居たんだ。ありがとうプカプ」


目から熱い物が零れては風が拭って空に吸い込まれていった。


プカプは飛んだ、あの海原の向こうまで。プカプは飛んだ、あの丘を越えて。プカプは飛んだ、あの日の僕らの村の上を。


ヤンはモリスコ達が差別され、なれなかった騎士を超え、パラディンとなったのだった。

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