第35話 雛罌粟にさよならを 17

 戻ってきてみれば、このありさまだった。尤も激情に駆られての独断専行。自分の責任であることをあおいは重々承知している。あとで九竜百葉くりゅうももはから文句の機関銃を撃たれたとて反論はしようがない。


「アタシの部下が世話になったな」


「これから逃がすつもりだったんだ。何せ、後で俺を殺すなんて面白い冗談を言うもんでな」


 典型的なステレオタイプの吸血鬼。そう呼ぶに相応しい存在だが、明らかに雑兵とは違う雰囲気。何処か余裕がある。


「言い訳は結構だ。剣でお返しするのが昔からの流儀でね」


 葵は柄を握った。もし、勘が予想を貫いているならば、きっと抜く。


「ならば、こちらも剣で返すのが道理か」


 吸血鬼は己の手首を躊躇いなく切った。人間では十分に致命傷になる一撃だが、吸血鬼ではなりえない。


 流れ出た血は一つの形になり、やがて一つの形に纏まっていく。過日、目にしたレイピアへと流れ出た血は成り果てた。


 カミルスならばハンニバルで返しても良かろうと思いつつ。葵は目の前で形成される赤い刀身のレイピアを見て嗤った。


「何が可笑しい?」


「いやいや、ちょっとぐらいは骨のある奴が来たなって思ってさ」


「骨のある奴、か」


 葵が元居たアスファルトが大きく抉れた。欠片と土が横たわったまま放置された死体に被さる。今にも倒れそうな九竜の襟首をつかむと下がった。


「死体は丁重に扱えよ。生者はもっと丁寧に扱え」


 離れた場所に降り立つと葵は九竜を寝かせて前に出る。自分が立っている場所から後ろへは行かせないと葵は手で遮った。


「ここから先に行きたいなら、お前を殺せということか」


 その程度の些事かというように吸血鬼は薄ら笑いを浮かべた。目の当たりにして、葵は認識を改める。


「ああ、そういうことだ。お前よりも強い女をな」


「後ろの奴と同じか。お前らは血族か何かか?」


 髪色も瞳も、果ては人種も何もかもが一致していないだろうという突っ込みはさておき。言うべきことは言わせてもらうと口を開く。


「お前にアタシは殺せない。それどころか傷一つ付けられない」


「法螺も過ぎれば嗤う気も失せるな。いや、実に不愉快だ」


 薄ら笑いは7秒も過ぎないうちに渋面に変わった。心底、不愉快だと物語っている面構えは全て葵の思惑通りに事が動いている何よりの証明。これならば、最低限の労力でことを終えられるうえに得るものを得られる。


「不愉快にして悪いな。だが…」


 白い鞘に収まっていた刀身が露になって、月明かりを弾いた。


「アタシは、お前よりも強い」

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