第28話 雛罌粟にさよならを 10
「お前にやれと命じたが、死ねと命じた覚えはない」
いつもの調子で煙草を吹かしながら
「すみませんでした」
頭を下げる
本来の作戦は九竜の実力不足を補填する目的で爆薬を用い、敵を牽制しつつ撃破。残りは合流した弦巻と共に下していくというのが本来の作戦だった。
「でも、我々4人にたった2人だけで勝っただけでもすごいことだと私は思いますよ?しかも、骨折なしで筋肉や神経にもダメージはなし。新人が毎度この試験で重傷クラスの負傷していることを鑑みると十分でしょう」
テントの奥から対戦相手だった女性がやって来る。和風美人と表現するに相応しい黒髪とタレ目気味の黒目が特徴だ。なのだが、瞳の奥から何か得体のしれない存在が見ているように感じられたのは果たして…。
「お疲れ様です。私は小紫甘楽。本日よりよろしくお願いします。お近づきにコーヒー、いかがですか?」
「…ありがとうございます」
一口飲んで、九竜はコーヒーを吐き出した。無礼、失礼という概念は完全に喪失してしまうほどに甘すぎる。ガムシロップが5個は余裕で入っていそうな甘さは、嗜好品を通り越してよからぬ薬と同義だ。
「それ、お前のコーヒーだろ」
「あ、間違えました。君のはこっちですね」
今度のコーヒーはしっかりと苦い。今しがた飲んだ殺人的な甘さが疲労にある肉体が見せた幻影のように感じられる苦さに生きた心地を覚えた。
「しかし、呆れたよ。流石に油断しすぎだ」
「今回ばかりは擁護は出来ませんね。しっかりと証拠も証人もいますし」
小紫が弄っていたタブレット端末に表示されるのは2つの映像。左側は屋内、右側は外側。中継用のドローン、何処に仕掛けられていたか分からないカメラが撮影していたらしい。
流れるのは九竜と青年の戦闘。一方的に痛めつけられる九竜から逆襲にあった青年が足元を掬われて拘束され崩落に巻き込まれるところまで。屋外の映像では崩れ落ちる廃倉庫だ。あの爆薬で崩れる確証はなかっただけに成功したことがまず奇跡だ。音声は存在していなかったが仕掛けた爆薬の量から轟音だったことは明白。我ながら生きていることが不思議だった。
「…自分が悪かったです」
「前々から言っているはずですよ?早く終えられる戦いは早く終わらせろと」
空いている席にどっかりと小紫は座って額に手を当て、続けて九竜へ視線を移す。
「でも、君も君ですよ?訓練なんですから対戦相手を殺そうとするのはご法度です」
「…すみませんでした」
命を賭けなければ、自分の有り金も何もかもをベッドしなければあの戦いに勝つことは不可能であると。冷静に計算して導き出した結論だった。全てにおいて相手に及ばない自分が取れる手段は無数にあるように思えて、実質は1つ。
「両者無事だったのでこれ以上は何も言いません。しかし、よく爆薬などについて分かりましたね。あのような仕掛けまで」
「弦巻さんの策ですよ」
時間の貴重さを、ありがたみを今日ほど深く感じたことはこの短い人生の中で感じたことはない。今日のことは死ぬまで忘れない時間になるだろうことは想像に難くない。
建造物、それもフォークリフトが走る強度に耐えうる床を持つ倉庫を崩すなど当初想定していた爆薬の量では不可能だった。想定外の事態に一瞬とはいえ頭がフリーズしかけた。
しかし、策謀は常に十重二十重だ。予備として用意しておいた建造物と共に敵と落ちることを選ぶという相打ち覚悟を自ら選択。とはいえ、あの床ですら崩せそうもなかったため影に紛れてこそこそと火薬を集めることになったが。
「あとは建物そのものを支えている柱に仕掛けて時間がくれば爆発。問題だったのは、どれだけの敵が引き付けられるかってところだった。こいつの実力を示すっていう前提を何せ求められたからな」
弦巻の指摘通り。今回は勝負に勝つことさえできればという話ではなかった。
模擬戦闘の内容が内容だったせいで当初は本質を見失っていたが、九竜が自らの手で身に着けた力を示さなければならなかった。分かりやすいものとしては、どれだけの敵を倒せるかというものだ。残念ながら、弦巻に敵が集中してしまったから倒せたのは1人に留まっている。
「こっちは君たちの倍だったうえに攻勢の無人ドローンが10機。匙加減と予測が少しでも逸れていたら負けだった。外れていたらどうするつもりでした?」
「ひたすら逃げ回るつもりでしたよ。何処かで必ず合流するときまで。その場所を狙うつもりでした」
弦巻が本当に1人で戦争をするつもりはないと宣言したからこその策だ。成功率は、それこそチェスの達人と素人の試合で素人が勝ち星を挙げる可能性よりも低い。
にもかかわらず、勝利を手にした高揚感も、合格したことへの達成感も、生きていたことへの感動も何もない。未だ自分の精神が受け入れられていない事実に少しばかり肩を落とす。この状況ぐらいは、素直に喜びたかった。
「話はそこまでだ。少し休ませてやれ。お疲れだ」
弦巻が促すと小紫は九竜の体を横たわらせて毛布を掛ける。
「次に目を覚ますときは本土です。安心して眠ってください」
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