第14話 スノードロップが咲く前に 14

「思ったより元気そうだね」


 九竜くりゅうの怪我を見ながら天藤あまふじは鉄塊を構える。柄を握る手は無意識に力が入った。無様を晒して1日目。汚名は早くに雪ぐべきことだ。


「今日は、勝たせてもらいます」


「昨日の今日でそのセリフ。強気だね」


 大胆不敵。九竜の態度に天藤は強気な笑顔で応じる。言葉通りに昨日の今日だ。勝てる見込みは大だと踏んでいるのだろう。油断してはならないと思っていても、隙は無意識に生じてしまうものだ。人間である以上は変えようがない。


 乗り越えるだけの用意は、十分にしてある。勿論、爪は隠す。


「いいよ。しっかり、本気でやるよ」


 刀身を霞みに構える。九竜は構えない。


「…何か考えてるみたいだね」


 ジリジリと天藤は距離を詰める。警戒が露わだ。


 それでも、九竜は動かない。まずは、相手から。


「そっちから攻撃してもいいよ?」


 怪訝な顔。当然の反応だ。


「レディファーストですよ。攻撃はそっちからで構いません」


「女の子を鉄火場に1人で行かせるような男は最低‼」


 いよいよ痺れを切らした天藤が動く。彼我の距離は直線で十メートルも離れていない。


 素早い突き。一息に仕留めるつもりであることが分かるモーション。


 九竜も動く。一歩、後ろに下がる。命中しない。


「打ってこないんだ?」


 九竜は答えず、ひたすらに沈黙を貫く。


「はああああああああ‼」


 攻撃はいよいよ変えられない距離。切っ先が九竜のエリアに侵入した。


 直後、硬い音。静寂の中に投げ込まれる石。波紋は広がっていく。


 鉄塊が転がった。驚いた天藤は一瞬だけ隙を作った。


「やぁ‼」


 九竜の短い掛け声と共に天藤の額めがけて振り下ろす。


「甘い‼」


 あと少しのところで白刃取り。直後に鉄塊が脇に押しのけられ、九竜の右足を強烈な衝撃が襲った。得物に気を取られた隙をついたローキック。やはり、経験の差は簡単に埋めようがないことを痛感する。


「ク…ソッ‼」


 バランスを崩した隙を逃すことなく、天藤は踵落しで追撃。元居た場所で木の葉が舞った。九竜と天藤はそれぞれ得物を手にまた距離を取る。


「動きはよくなっている。そのまま続けろ」


 様子を見守っている上梨は黙って進行を見守る姿勢。だが、介入してこないとも限らない。初対面の人間に平手打ちをぶつけてきた事案は未だに尾を引いている。問題はまだある。


 動きは良くなっているにしても、正々堂々と勝負を続けて天藤に勝てる見込みはない。その事実を九竜は今の打ち合いで理解してしまった。結論を悟られれば、再び敗北へ転げ落ちる。


「余裕、無くなってるよ?」


 見抜いたように天藤は言う。ハッタリか事実かどうかは不明。


「そっちこそ、息が上がり始めてますよ」


 事実、天藤の呼吸は荒い。九竜より動いているとはいえ消耗のペースが異様に早い。話に聞いていた心肺機能の問題が起き始めていると解釈可能。


 本当は止めるべき事案。だが、ここで勝負を投げ出すと受け取られるかもしれない。唯一掴めるかもしれないチャンスを落とすことになるかもしれない。以降、勝てないかもしれない。


「余計なこと、考えないでよ。あたし、まだやれるからさ‼」


 間髪入れずに天藤は再び前へ。主導権を握らせまいと動こうとしたところで遅きに失した。


「ほら‼ほらぁ‼」


 楽しそうに、笑顔で天藤は鉄塊を振るう。疲労していることは間違いないはず。であるのに、攻撃の精密さ、速さは目に見えるほど低下していない。目の前で繰り広げられる攻撃を捌くのが限界だ。負荷は確実に蓄積されて受け止める腕が痺れてくる。


「そおらぁ‼」


 掛け声と当時に天藤の攻撃が止まった。あと少しで、負けが確定するところだったときに訪れたチャンスに九竜の手は動いた。


「そこまでだ」


 が、上梨が矢先に宣言する。今にも勝負を決めようとしていた最中であった九竜は納得が出来ない。両者の合意のもとに勝負を続けたのだ。ぶつけどころのない勝利への欲求は今にも臨界を超えようとしている。


「九竜の実力は証明された。天藤の攻撃を十分に凌いでいる」


「まだ、勝っていません」


「これ以上続けるのは、私が許可しない」


 尚も続けようとする九竜に上梨はストップをかける。


「あたしからも、お願いします。続けさせて、ください」


「その顔色で冗談は止せ。死にたいか?」


 上梨の指摘に天藤は押し黙った。脅しは確かな事実であることを物語なのだろう。


 天藤の酷い発汗、蒼白の顔面、荒い呼吸。加えて、異様に早い疲労の訪れ。身体の異常に蝕まれていることは確かだ。死ぬという最悪の地点に至る可能性があることまでは予想していなかった。九竜自身の昂っていた熱情も体温も急激に落ち込んでいく。


「長時間の激しい運動は厳禁だ。薬を飲んで安静にしろ」


「…分かりました」


 納得は出来ていない。両者とも。


「すみません。まさか、そんなに…」


 危うく、殺すところだった。自分のことを気遣い、何かと世話をしてくれようとしてくれた人を。自分の浅い欲望に身を委ねて殺すところだった。


「謝らないでよ。あたしも、同意したからさ」


 今にも倒れそうな顔色をしているのに天藤は最後まで九竜を責めなかった。


「では、あとのことはよろしくお願いします」


 天藤は上梨に頭を下げると屋内へ。後に残されたのは九竜たちだけだ。チリチリとひりつく緊張感は九竜の肌を嬲る。


「以降は私が相手をしてやる。楽しみにしておけ」

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