第65話 マッサージで元気になったガリ勉

 メイドさんの授業はかなりわかりやすかった。

 丁度レイサが教えてくれていた内容と同じものだったが、それを俺達が欲しかった理屈込みで説明してくれるのが何より助かる。

 聞かずとも、この人がレイサに英語を教えていたんだとすぐにわかった。

 

 そんなメイドさんに、凪咲の方が俺よりも強く感動していた。

 どうも凪咲好みの懇切丁寧な話し方が嬉しかったらしく、レイサに教わっていた時とは打って変わった態度だった。

 目を輝かせて次々に質問する姿はまるで小さい子みたいで、俺も若干驚いたくらいである。


 と、それを眺めていたレイサは何故か終始自慢気だった。

 自分が教えているわけでもないのに、不思議なものだ。

 何はともあれ、こんな機会をくれたレイサには改めて感謝しておこう。

 今日の勉強だけでも、かなり英語の補強ができたと思う。

 不安もかなり減った。

 この調子なら安心してテストに臨めそうで、一安心である。


 なんて考えながら、静かになった部屋を見渡した。

 既に凪咲もレイサも寝てしまい、勉強会はいつの間にか自習時間へと移行している。

 時刻は既に日付を跨いで午前2時。

 時計を見て気付いたが、もう22時間くらいぶっ通しで起きているらしい。

 

「ふぅ……とは言え、せっかくの自習時間だし、まだ寝れないな」


 今回の勉強会はこのまま泊まりで日曜日も続くため、もう少し起きておきたい。

 二人の起床が何時かは知らないが、四時過ぎくらいに寝れば俺も回復できるだろう。

 今はそれより、僅かな時間も無駄にしたくない。


 先ほど習った英語をノートにまとめ、自分なりに注釈をつけながら整理していると、部屋の扉が開いた。


「……まだ起きていらっしゃったんですね」

「マルタンさん、ですか」

「先ほどの説明で不十分な点がありましたか?」

「それは大丈夫です。ただもう少し整理したくて」


 部屋に入って来たメイドさんにそう言うと、彼女は俺の隣に腰かける。

 そのままわざわざ用意してくれたお茶を差し出してきた。


「カモミールティーです。よく眠れるのでどうぞ」

「ありがとうございます」

「……」


 感謝しつつ、一口飲む俺。

 慣れないハーブティーの味に、不思議な感覚になった。

 と、そこでメイドさんが立ち上がり、俺の背後に回る。

 そのまま何故か肩を揉み始めた。


「あ、あの?」

「マッサージ得意なんです。随分と凝っているように見えたので」

「……バレますか」

「それにかなり寝不足に見えます。このままでは効率も下がりますし、今日はこの辺にして眠った方が、テストまでの日程を考えてもパフォーマンスを維持させられるかと」


 なんでもお見通しで苦笑するしかない。

 それに、言っている内容もごもっともだ。

 新しい知識の獲得に興奮気味だった脳も、カモミールティーと彼女の柔らかい声、そしてじんわり体の奥に伝わる指圧で休まってくる。

 凄く気持ち良い。

 このまますぐにでも目を瞑ったら、どんなに幸せだろうか。


「……そういえば、前にもこんな事があったな」

「前、ですか?」

「……レイサに、家でマッサージしてもらって。それが凄く、よくて」


 ヤバい、自分が何を言っているのかもよくわからない。

 眠すぎて頭がチカチカする。


 ペンを握る力も失せ、そのまま手を放してしまった。

 机にシャーペンが落ちる軽い音が響き、そのまま俺は机に突っ伏す。

 すると追うように、メイドさんの指が肩から首の方にかけて動いた。


「首凝りも凄いですね。前傾姿勢での勉強のし過ぎです。……医者志望なんですから自分の体から労わってください」

「……医者、か」

「この分だと腰も悪そうですね。……ふふ。こんな勝手な行動、レイサ様が知ったら後で何を言ってくるかわかったものではありませんね」


 ぶつぶつと耳裏で言われるのがくすぐったい。

 もうダメだ。

 意識が、保てない。

 まるで睡眠薬でも盛られたのかと疑うくらい、一気に眠気が爆発した。


 ぐったりする中、最後にメイドは聞いてきた。

 

「それで枝野君。レイサちゃんと凪咲ちゃん、どちらが本命なんですか?」

「……それは、」


 答える前に、俺の意識は完全になくなった。


 そして今後、この会話の内容を思い出すことも一生なかった。





 目が覚めると、俺は客用の個室にいた。

 寝るギリギリまで勉強していたはずが、気付けば移動していて不思議だ。

 そして昨晩の事が鮮明に思い出せない。

 何か、大事な話をしていたような気がするんだが。

 いつの間に俺は、このふかふかのベッドで寝ていたんだろうか。


 しかし、起き上がってすぐに全てがどうでもよくなる。


「は? なにこれ。体が嘘みたいに軽いんだけど。これ本当に俺の体か?」


 昨日まで凝っていた首も肩も腰も、全て噓だったみたいに動かしやすくなっている。

 頭もスッキリ爽快で、なんだか思考力も回復してそう。

 そもそもこんなにキレの良い起床はいつぶりだろうか。


 部屋の鏡を見ると、目の下のくまもなくなっている。

 昨日あんなに起きていたのに、意味不明だ。

 かと言って寝過ぎたわけでもなく、時計を見ると午前9時とまぁ普通の時間だった。

 余程良い睡眠をとれたらしい。


「……これがお屋敷パワーか。恐ろしい」


 ぶつぶつ独り言を言いながら部屋を出ようとする。

 すると、丁度レイサが扉を開ける瞬間で、ばったり遭遇してしまった。

 至近距離に顔があって、ぎょっと仰け反る俺。


「ワァ! ビックリした!」

「俺もだわ!」

「ご、ゴメンネ。朝だから起こしに来たンだケド」

「あ、あぁ。ありがとう。……おはようレイサ」

「う、ウン。オハヨーツクシ」


 朝の挨拶をしただけなのに、何故か顔が熱くなってくる。

 俺がそんな態度をするもんだから、レイサはきょとんとし、そのままじっと俺を足先から見つめたかと思えば、今度はすぐに顔を逸らした。


「朝ゴハン、もうすぐだから」

「お、おう」

「じゃァネ」


 せっかく起きたのに、何故か俺を待つわけでもなく去っていくレイサ。

 俺はそんな姿に首を傾げつつ、用意をしようと部屋に戻る。

 そしてすぐに、自分の体に違和感を覚えた。


 今は寝起きだ。

 気分が良かったせいで、かなり気が抜けていた自覚もある。

 ということは……。


 鏡に映る自分の起床姿を再度全身確認し、俺はそのまま小一時間悶絶した。

 元気過ぎるのも考え物である。

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