第7話 シャネルのヴェルニ

 免許をとったら、ピンクに塗装をしたミニクーパーに乗って、明るい気持ちになってほしい人をお迎えに行く。


 それで車体はラメでキラキラに、カスタムする。

 とびきり可愛く、たくさん、光を反射させられるような仕様にする。


 パパをお迎えに行って、パパの目に光をさし込ませるのだ。もとにあった黒目の輝きを、ばーばから譲り受けたあのきらきらを、取り戻させるのだ。


 パパだけでない。多くのひとにもっと、光を見せたい。たくさんの光に、気づかせたい。世界でたった一台、夢のような、ゆかこだけの車を使ってそれを実現させたいのだ。


 そんなことが本当にできるのかは、わからなかった。しかし、それが定かじゃなくても、ゆかこは具体的なビジョンをもつことができた以上、しなくてはならない、と、思った。鬱屈とした環境に生きているからこそ、生めるものがある。


 エジソンもベルも、みんな当時はあり得ないと思われていたことを実現した。だからゆかこも今、やらなくてはならないのだ。


 やるなら、画材屋さんで売っているような単体のラメではなくて、ラメのマニキュアを使おう。きらきらの目をもつばーばが関連した、それを使うことに、意味があるのだ。ゆかこは家に帰って早速、勉強机の引き出しの奥にしまったままの思い出のマニキュアを手にとった。


 そうして当時は知らなかった、ママに「まだ早いんじゃない」と言われたブランドを、知った。


 ただ想像したとおり、そのマニキュアは、中身が固まってしまっていた。

 仕方がないので、思いついたら即行動、なゆかこは、教習料金で余った貯金を全ておろして、ひょいと電車に飛び乗り、デパート・新宿高島屋へと急いだ。


 この日は小雨が降っていた。肌寒くて、羽織るものが一枚ほしいと思った。でも、気持ちははやる気持ちで、わくわくしていた。あのときは分からなかったブランドも、今なら分かる。


 マニキュアは、シャネルのネイルエナメル・ヴェルニだった。カウンターで場所を聞き、コーナーも、目当てのマニキュアも、見つけた。しかし、値札を見て驚いた。税抜きで、ひとつ2900円……。

 しかし、この希望のビジョンは、叶えるだけの価値があると確信したゆかこに迷いはなかった。


「在庫を、あるだけください」


 はっきりとした大きな声で、そう言った。店員さんは驚いていたけれど、無事、小さな紙袋一つ分、ぱんぱんに詰められたラメのマニキュアたちを、入手することができた。


「爆買い」と思わずつぶやいて、ゆかこ一人でふふふと笑った。



 教習所に行くと、だいたいいつも岸部くんがいた。


 連絡先を知らなくても会えるのは、なんだかロマンチックでいいなと思ったけれど、前回解散するときに、メールアドレスを交換した。


 岸辺くん話すようになって2週間。この日ゆかこは教習の予約が取れなかったのだけど、岸部くんから「いつものとこ、来られたら来て」と連絡があったので、もう馴染みとなったコーヒー屋さんに、そのまま向かった。



 カフェに着くと、岸部くんは先に来てコーヒーを飲んでいた。「よっす」と挨拶を交わして、店員さんに、いつものハニーミルクティーを注文する。社会からずれがちなゆかこは、自分をはげまさないと、何もやっていけないと思っていた。だからこういうちょっとしたカフェタイムで自分をはげますことができて、ゆかこってばお安い女だと、このとき、そう思った。


「あー。小学生の頃にもどりたいな」


 岸部くんが言った。


「どうして?」

「だってそうじゃない? なーんも考えないで遊んでられるんだよ」

「ふふふ」


 ゆかこは戻りたくなんて、ないけどな。だってその頃なんて、今よりもっと、、とても生きづらい世の中だ、と常々感じていたから。

 ゆかこがそう思っていることを、岸部くんは気づいているかしらん。


 最初は緊張して、岸辺くんのことイメージだけでこんな人だろうと思っていたけれど、何度も会うごとに、それらは間違いだったとわかった。片親の岸辺くんはいつも妹さんと弟さんのことを気にかけていた。


 心配するのが、普通だというようだった。

 兄弟姉妹のいないゆかこには、その感覚がなんだか不思議だった。でも素敵なことに間違いなくて、羨ましいなと思った。


 だぼだぼの服も、サイズを気にせず安いものを買うからだと言った。お父さんと兼用で着ることも多いらしい。岸辺くんはゆかこのこと、何か知らなかったことも、知ってくれただろうか?


 気付けば窓の外は暗くなりかけていた。日が暮れるのも、早くなった。もうそろそろ、岸部くんは夕飯をつくらないといけない時間だ。

「俺さあ、小学生の頃は、まだ下の三人は生まれてなかったんだ」

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