第03話:野営

 夜の静けさの中、たき火の橙色の光だけが周囲を照らしていた。

 パチパチと木の鳴る音が耳に心地よい。


「……わしは、生きておるのじゃ?」


 ゆっくりとまぶたを開けたライラが、かすれた声で言った。

 俺は「やっとお目覚めか、お嬢ちゃん」なんて軽口を叩くものの、内心は安堵でいっぱいだった。身を乗り出してライラのそばに駆け寄りそうな衝動をぐっとこらえる。

 ライラと目が合った。焦点の定まらない視線が、ゆっくりと俺を捉えている。


「わしは、意識を失っておったのじゃ?」

「ああ。半日くらいぐっすりだったな」


 ライラの視線が俺とシリウスの間を揺れ動く。


「大層な迷惑をかけたようじゃな。本当にすまんのじゃ」

「気にすんな。ただのかすり傷だ。なあ、シリウス?」

「せやな! どこも悪ないわ! ピンピンしとるで!」


 こういう時、シリウスの性格には助けられる。正直なところ、シリウスの機体はもう飛行が怪しいくらいダメージを受けていた。

 そんなシリウスを見て、ライラが「死にたい。機械にまで気を使わせたのじゃ」と言い出す。ああ、もう本当に面倒くせぇな、こいつ。


「そんなことより、お嬢ちゃん。おまえ、どこか悪いのか?」


 ワイバーンとの戦闘で疲弊していたとはいえ、半日も意識を失っているなんて普通じゃない。今だって、顔色は悪く、呼吸も安定していない。

 ライラは体を起こすと、俺の質問に答えた。


「わしは、魔法を使うといつもこうなのじゃ。放った魔法と一緒に、体中から生命力みたいなもんも抜け落ちてしまうのじゃ」

「なるほどな。だから奥の手なのか」


 ライラの説明によれば、使う魔法の重さに比例して意識を失う時間も延びるらしい。軽い魔法なら1時間程度だが、戦略級の魔法をつかおうものなら1カ月は意識が戻らない。

 ふと疑問が沸き上がる。


「なあ。おまえはそんな体質なのに、なんで魔王になろうと思ったんだ?」


 もちろんごっこ遊びとしての話だが。体が弱いのなら、こんな危険な冒険ごっこなんてしないで、家の中で安全に遊んでいた方がいいんじゃないか?

 ライラは一瞬、言葉を探すように視線を泳がせた。それから、ぽつりと口を開いた。


「わしは、魔王になりたいなんて思ったこともないのじゃ」


 だったら、なんで魔王ごっこなんか? そう問おうとする前にライラが俺に問う。


「そういうカイルは、なんで運び屋をやろうと思ったのじゃ?」

「俺か? 俺は……」素直に話すかどうか一瞬迷うが、結局本当のことを話すことにした。「会いたい人がいるんだよ」

「会いたい人?」

「そうだ。俺の幼馴染ってやつだな。彼女とは何年か前まで同じ町で暮らしてたんだが、ある日、急にどっかに連れていかれちまってな。それっきり行方知れずだ」


 あの日の俺に力や金があれば、何かを変えられたんじゃないかと今でも悔やんでいる。


「彼女を探すために、俺に何ができるか考えた結果が運び屋だった。配達で色んな町の色んな家を訪れれば、いつかまた彼女に再開できるんじゃないかって夢見てるってわけだ」


 我ながらバカな理由だと思う。

 当然、ライラもそう思うだろうと思っていたが、そうではなかった。

 ライラはポーっとした表情でこちらを見つめているとぽつりとつぶやいた。


「カイルは、その子の名前や顔って思い出せるのじゃ?」

「そりゃ、もちろん……って、あれ?」


 彼女のことを思い出そうとすると頭に霧がかかったように記憶が霞む。

 彼女と遊んだ日々のことも、最後の日に再開を約束してゆびきりをしたことも思い出せるのに、彼女の名前も顔も一切思い出せなかった。

 戸惑う俺に対して、ライラは冷静だった。


「……なるほどなのじゃ。記憶操作と、おそらく認識疎外の魔法がかけられておるのじゃな」

「おいおい、なんだよそれ? なんで俺にそんな魔法がかけられてんだよ?」


 ライラは少し言いよどんだ後、「それを知れば、思い出を汚すだけなのじゃ」とだけ言う。寂しそうなライラの表情がなぜかとても印象的だった。

 ライラはそれ以上何も語らない。

 俺もまた、どう声をかければいいかわからずに口をつぐんだ。

 重苦しい沈黙が落ちる。

 焚き火の光が、ライラの顔を静かに照らしている。

 パキッと音とともにたき火の薪のひとつが爆ぜた。

 そのとき、グゥーという間抜けな音がライラの腹から鳴った。


「…………恥ずかしいのじゃ。消えたいのじゃ」


 俺はその情けない思わず笑いがこみ上げた。

 それを見たライラが「意地汚い女だと思われたのじゃ。嫌われたのじゃ」と今にも泣きそうな顔でライラがうつむく。


「誰もそんなこと思ってねぇよ。むしろ、ちゃんと腹減る元気があって安心したくらいだ」


 俺は、足元に転がしてあったウサギを手に取ってみせる。ライラが気を失っている間に狩ってきた獲物だ。もう血抜きも済ませてある。


「それじゃ、そろそろ飯にしようか」

「……まさか、それを生でいくのじゃ?」

「そんなわけあるか」


 俺は、ウサギを手早く解体すると、肉を薄切りにする。

 それを香草や山菜、キノコを一緒に大きな葉っぱの上に並べる。


「やっぱり生なのじゃ」

「だから違うっての」


 最後にバターに似た風味のシアの実を砕いて振りかけると、並べた食材をそのまま葉っぱで包み込む。そして、たき火の端において湿った土を被せた。


「こうすると、蒸し焼きにできるんだよ。焦げねぇし、肉も柔らかくなる」


 あとは待つのみだ。肉やキノコがじわじわと蒸し焼きになっていく。

 時折立ち上る湯気が、たまらなくいい香りを運んでくる。

 ライラが鼻をピクピクとさせて香りを必死に吸い込んでいる。その腹が何度もグゥー、グゥーと鳴るが、それももう気になっていない様子だった。

 十分に時間をかけてから、焼き上がった包みを取り出す。

 慎重に葉を開くと、肉汁をたっぷりたたえたウサギ肉がふわりと姿を現した。香草と肉汁、シアの実の油が混ざり合って、黄金のスープが出来上がっている。そのスープを吸ったキノコがぷっくりと膨らみ、ジュワジュワと音を立てている。

 水を汲んでおいた革袋と、出来立ての料理をライラの目の前に差し出す。


「ほれ、食えよ、お嬢ちゃん。火の入れ加減は問題ないはずだ。……多分な」


 すると、ライラは居住まいをただすと両手を合わせえた。「いただきます!」

 ライラが食事を口に運ぶ。


「どうだ? うまいか?」

「……うまいのじゃ! なんじゃ、このうまさは!? 口の中に肉のジューシーな旨味とバターのコクが溢れるのじゃ! 弾力のある肉とキノコを噛み締めるたびに、野生的な味わいが舌の上でとろけていくのじゃ! 極めつけは、この香り! 葉で蒸し焼きにしたことにより、土と緑の豊かな風味が食材に深くしみわたっておる。ふむ、これは……まさに森の恵みなのじゃ! この味、天地を揺るがす衝撃なのじゃ!!」

「おいおい、大げさだろ……」


 俺は呆れながらも、ガツガツと料理を食らうライラを見て、どこかホッとした気分になっていた。

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