第5話 ダダ・マジック
その日は梅雨の日であった。
じめじめとした湿気が大気を覆い、気温も高い。
不快指数も極めて高かったが、しかしその日の僕にはむしろそんなことはどうでもよかった。
別の件で不快指数が高かったからだ。
このことに比べれば気温や湿度が高いことへの不快感は消し飛んでしまう。
僕は曇天の下、琵琶湖沿いの道を愛車でドライブしていた。
一人ではない。
助手席にはダダ星人が座っていた。
どうしてこういうことになったのか。
どうして西川のりお似の異星人が僕のクルマに乗っているのか。
どうして週末の日曜日をこういうドライブに費やしているのか。
ハンドルを握りながら考えてはみるものの、その答えは見つかりそうもなかった。
あえて言うなら、それは驚異のダダ・マジックとしか言いようがない。
古来からこう言われている。
すなわち、一流の料理人が一流の包丁で魚の活き作りを作った場合、その魚は身が切られたことに気付かずに皿の上で踊る、と。
すなわち、一流の交渉人が人質を抱えた犯人と話した場合、犯人は実に満足して人質を解放するのだ、と。
その様はまさにマジカルなテクニックといえよう。
僕は今完全に、敵の術中にはまっていた。
母さん、僕が生きて帰れなかったら、サボテンに水をあげるの、よろしく。
*****
せめてもの抵抗として『運転中はみだりに話し掛けないで下さい』というプレートをつけておいたのだが、さして効果はなかったようだ。
ダダ: 「あのね・・・、」
僕: 「なに?」
ダダ: 「今度友達に紹介してもいい_?」
嬉々としてダダ星人はそう尋ねた。
日本語というのは、3種類の文字(ひらがな・カタカナ・漢字)を用いる、世界でも珍しい言語の一つだ。
文法もヨーロッパの言語とは全く違う。
ラテン・ゲルマン系の言語は主語・述語・補語・目的語などの順番を守らないと文章にならないが、日本語は膠着語といって単語と単語を結ぶ助詞さえ合っていれば順番にはこたわらなくとも意味は通じる。
逆にいえば単語と単語を結ぶ助詞(が・は・を・に・の・・・)を間違えた場合にはその文章の意味は全く違ったものになってしまう。
僕: 「友達を紹介してくれるの?」
ダダ: 「ちがう!友達に紹介!!」
聞き間違いにわずかな期待を寄せたのだが、残念ながらやはり聞き違いではなかった。
僕: 「なんて?」
聞いてしまったと、ハッ!っと心臓が止まりそうになった。
いっそ止まってしまった方がラクだったかもしれない。
人間はなぜ闇を恐れるのか。
動物は深夜の闇を恐れることはない。
そしてまた、人間は闇に好奇心を持つ。肝試しをしたり怖い話を聞く、あるいはいわくつきの廃屋にあえて足を運ぶの人間だけだ。
これは人間に『想像力』が与えられてしまっているからに他ならない。
人間は闇に恐怖を感じるとともに好奇心を抱いてしまう点で動物とは違うのだ。
僕はそのとき、紛れもなく人間だった。
ダダ: 「え?それは当然、彼氏って」
ねえ、いつから?それっていつからなの?
僕: 「・・・」
知らないあいだに捕獲されてしまっていた。
僕: 「・・・ふ~ん」
ダダ: 「だって●くん、いつもそっけないやんか、一緒にいてもなんかつきあってる、ってカンジしいひんし」
付き合ってないから。
僕: 「・・・」
ダダ: 「いちゃいちゃするの、キライみたいなのはわかるけど・・・」
わかっていない。
僕は極度の甘えん坊なのだ。
ただ、相手を選ぶ。
湖岸道路は数十メートルおきに電柱が立っている。
あるいは、ガードレールでもいい。
このまま突っ込んでしまえば、この会話も終わるかもしれない。
やるか?
しかし、あの世に入った後でも一緒になるかと思うとそれもどうかと思ったので止めた。
言ってやらねばなるまい。
一度はっきりと言わねばなるまい。
「おれ、キミのことタイプじゃないから」
僕は少し大きめの声で言った。
心の中で。
やはりその声は届くことはなかった。
僕: 「僕が今考えてること、わかる?当ててみて?」
僕は修羅場恐怖症だった。
ダダ: 「ん~、あたしが好き(笑)?」
そして彼女は誇大妄想癖があった。
もし神さまがいるとするなら、一つ聞いてみたいことがある。
ここでダダ星人を殺しても天国へ行けますか?
心身ともにぐったりして市内へ戻ると、時刻はすでに午後6時をまわっていた。
かれこれすでに数時間、同じ空間にいたことになる。
僕の中ではギネス記録だ。
父さん、やったよ!
しかしその記録は二度と更新したくない記録だ。
ダダ: 「今日はありがとね。ちゃんと日記に書いておくし」
僕: 「日記?」
ダダ: 「うん。日記。今度見る?」
僕: 「見ない」
見たくはない。
ダダ: 「次はいつ?」
次はない。
僕: 「・・・。あ、ほら後ろのクルマにクラクション鳴らされちゃうから早く降りないと」
駅前でダダ星人を降ろすと、ドアの窓から身を乗り入れてきた。
セップンを欲しているように見えた。
もしそのとき僕に拳銃があれば間違いなくその厚めの口に銃口を突きつけていただろう。
僕: 「あのさ、一つだけいいかな。今日ずっとこうしててわかったけど、やっぱり苦手なんだよ、おれ」
いつも言えなかったことが、とうとう言えた!!
じいちゃん、おれ、言えたよ!!
この言葉こそが今の僕に必要な言葉なのだ。
ダダ: 「・・・。じゃあ次はドライブじゃなくて映画にする?」
違う。それじゃない。
心の中の叫びはしかし、通じることはなかった。
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