第15話「少年と費用と先達たち」
当たり前のことだが、決意の一つ二つ固めたところで、現実が変わったりはしない。
「……高ぇ」
放課後になって、ハルトはホビーショップのカウンターで、見積もりリストを見て頭を抱えていた。そこにはストライドを改造するのに必要なパーツと、その値段、そして最後に合計金額が刻まれていた。灯ったはずの胸の炎が、冷たい数字の羅列によって、あっという間に吹き消されそうだった。
「まぁ、最新のバッテリーとモーター、それに合わせたフレームまで揃えたら、こんなもんでしょ」
カズキが苦笑する。彼の言葉は正しい。レースに勝つための改造をするのだから、必要なパーツの値段も相応のものになる。流石に新しく機体を買うほどではないが、それでも高校生に過ぎないハルトには厳しい金額だった。レースへの決意は固まったはずなのに、金銭という生々しくて巨大な壁が、目の前に立ちふさがっていた。
「びた一文負からんぞ」
カウンターの向こうで、店長が渋い顔で言う。火をつけられてない咥え煙草が、口の端で上下に揺れていた。
「わかってるよ」
店長の言葉に、ハルトは肩を竦めて返した。流石に、そこまで甘えるつもりはない。とはいえ、どうしたものか。嘆息するハルトに、店長が続ける。
「びた一文負からん。負からんが……ツケは認めてやる」
「いや、それは――」
「どうせバイト代から引くだけだ。」
鼻を鳴らして、店長はぶっきらぼうにそう言った。
何でもないように言うが、ツケ払いなんて今時、それもホビーショップでやってるところなんて無いだろう。それが店長の、不器用な応援であることは、ハルトにも分かっていた。
昔から、店長には世話になりっぱなしだった。ハルトが、この店で働かせてもらっているのだってそうだ。そもそも、こんな小さな店にバイトなんていらないのだ。忙しいわけでも、手が足りていないわけでもないのだから。ハルトが働かせてもらっているのは、店長の厚意に過ぎない。
何て言葉を返せばいいのか、直ぐには分からなくて、ハルトは黙って頭を下げた。下げた頭の上で、店長の言葉を重ねる。
「それと……ウチとは別に、バイトを紹介してやる」
「バイト?」
ハルトが眉を上げたその時、店の扉が勢いよく開いた。
「おーい、ハル坊!」
どやどやと店内に入ってきたのは、年季の入ったジャンパーやキャップを身につけた老人たちだった。彼らの声と足音が、普段は静かなホビーショップの空間を一気に満たし、店の空気を塗り替えるようだった。
「爺さん達……」
見知った顔だった。懐かしい顔でもあった。彼らはハルトの祖父のラジコン仲間であり、かつてクラブで、ハルトやカズキの面倒を見てくれた人たちだった。
「なんで……」
さして大きな町でもない。顔を合わせることもあれば、話をすることもあった。だけどもう、昔のようにクラブに来ることは無くなっていたはずだった。
「店長から聞いたんだよ。お前がまたレースに出るってな」
「お前らがガキの頃は、よくここでラジコン飛ばしてたよなぁ。懐かしいわ」
「ほんと、でっかくなったなぁ……」
「お前は老けたな」
「抜かせ。お前ほどじゃないわ」
記憶よりも更に齢を重ねた先達たちが、わいわいと騒ぎ始める。ハルトが祖父やその友人たちに囲まれていた頃に、店内の時間が巻き戻ったかのようだった。
「で、パーツ代が足らないんだって?」
「ああ……正直、全然足らない」
ハルトが答えると、老人たちがにやりと笑った。
「そんじゃ小遣いやるから、俺たちの店や家の手伝いをしろ」
「……はぁ?」
予想外の言葉に、思わず声が漏れる。
「家の倉庫、最近整理してなくてな」
「庭もな、雑草がひどいんだ。草むしり頼むわ」
「わしの店の棚卸しも頼めるか?」
次々と飛び出す老人たちの「依頼」に、ハルトは唖然とした。それらが口実に過ぎないことは、ハルトにだって分かっていた。
「なに、クラブの仲間がレースに出るって言うんだ。カンパだよ、カンパ」
ハルトの顔を見て、老人たちは笑う。
「……長い間、顔を出してなかったしな。これくらいは、させてくれ」
誰かが零した呟きに、ハルトは言葉に詰まる。 それは負い目から来た言葉だったかもしれない。だけどクラブに顔を見せなくなった彼らが、もう去ったのだと思っていた人たちが、こうして戻ってきて、自分を気にかけてくれていたことが、ただ嬉しかった。
「おっと。それはそれとして、こき使うからな。覚悟しろよ」
冗談めかして、老人たちが言う。
「……ああ。ちゃんと働くから、よろしく頼む」
ハルトの言葉に、老人たちは満足そうに頷いた。
店内に満ちた温かいざわめきは、かつてのクラブの活気そのものだった。それは既に失われたものだったかもしれないが、取り戻すことができるものでもあった。
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