第2話

 『レトロゲームダイバー』の箱は、予想以上に大きかった。

 最新技術の塊だと思うと自然と胸が高鳴る。


 俺は説明書と格闘しながら、ベッドの周りにポールを立て、凝ったモジュールを取り付けていく。

 部屋の中にキャンプ用テントを張ったような、奇妙な光景が出来上がった。


「さて……いくか」


 深呼吸をしてヘッドセットを装着する。


 「テント」に入り、ベッドに仰向けになって目を閉じる。

 起動音が静かに響き、脳波のキャリブレーションが始まった。


 いくつかの疎通テストに脳内で答える。

 好きなゲーム、思い出のゲーム……俺は迷わず8bit、16bit時代のタイトルを挙げた。


 『セットアップ完了。フルダイブモードを開始します』


 無機質な音声ガイドと共に、意識が急速に現実から乖離していくような、不思議な感覚に襲われた。


 ……目を開けた瞬間、俺は「ゲームセンター」にいた。


 ヤニと芳香剤の臭い。

 薄暗い店内に過去の様々な名作のポスターが貼られている。

 ハイスコア表やコミュニケーションノートも見える。


 ゲームセンターの奥の扉を開けると、今度は「あの頃」のような部屋に、歴代のゲーム機が並べられていた。


 コントローラーを手にとってみる。

 大きさ、手触り、重さ、全て違和感がない。


 ハードを手に取ってみる。

 メガCDの重量感、ファミコンのコントローラケーブルの短さ、イジェクトレバーの引っかかり、全てを感じる事が出来た。


「やっぱすげぇな……」


 思わず声が漏れた。本当に仮想空間に入り込んでしまったような感覚だ。


 『チュートリアルを開始しますか?』


 音声ガイドに従い、俺はゲームセンターと「あの頃」のような部屋で、いくつかの基本的な操作を学んだ。


 ライブラリには既にかなりの数のゲームタイトルが並んでいた。その多くが、俺が青春時代に熱中したものばかりだ。


「まずは……これだな」


 俺は、迷わず一つのアーケードゲームを選んだ。

 かつて、駄菓子屋の隅で10円玉を積み上げてプレイした、横スクロールシューティングゲーム。


 ゲームスタート。


「まじかよ……すげぇ」


 シューティングゲームに似つかわしくない寂しげなBGM。

 コックピットの外に広がる宇宙。

 遠くに敵機が見えた。


 当時の粗いグラフィックとチープな電子音が、仮想空間の中で、驚くほどリアルな質感と情感を持って再現されていた。


「でも、どうすんだ、これ……」


 目の前にあるのは発射ボタンのついた操縦桿と複雑なコンソール。レバーでもコントローラーでもない。


 心配は無用だった。


 操縦桿を握る感覚が脳波と連動している!

 驚くことに、あの頃のレバー捌きが、リアルな操縦桿でも違和感なく再現できた。


 頭では横スクロールシューティングをプレイしているのに、五感で感じるのはリアルな映像と質感。


 ゲームと現実の境界が曖昧に溶ける不思議な感覚だった。


 敵弾をギリギリで避けるスリル、レーザーで敵を一斉掃射する爽快感。それらが、まるで現実の体験のように、五感を刺激してくる。


 BGMが変わり、鉄と肉が融合したグロテスクで巨大なステージボスが姿を現した。


「うおおおっ! なんだこれ!」


 俺は我を忘れて叫んでいた。

 四十過ぎのおっさんが、まるで子供に戻ったかのように。


 これは、ただの懐古趣味じゃない。

 ゲームが本来持っていた、純粋な「楽しさ」そのものだ。


 その後も俺は夢中になって様々なレトロゲームにダイブした。

 AVG。RPG。パズルゲーム。格闘ゲーム……。


* * *


 AIによる拡張機能『マインドウィーバー』をオンにすると、さらに驚きが待っていた。


 俺が8bitの世界から想像した「補完要素」。

 それをAIが学習し、仮想現実として再現しているのだ。


 ゲームに実装されていないオリジナルのシナリオやシーン、俺の頭の中にだけあったはずのイメージが、脳波を読み取って映し出してくれる。


 技術の進歩に感動すると同時に、少しだけ違和感と不安も覚えた。

 俺の「思い出」がアップデートされていく。

 リアルに。俺の中のが書き換えられていくような感覚を覚えた。


 だが、レトロゲームダイバーを手に入れてからというもの、俺はすっかりその虜になっていた。


 平日は相変わらず数字に追われる日々。

 休日にレトロゲームの世界へダイブすることが、何よりの楽しみであり、精神的な支えになっていった。


 そんなある休日、俺はクローゼットの奥にしまい込んでいた、古い段ボール箱を引っ張り出していた。


 (ここにアーカイブにはないレトロゲームが眠っていたはずだ)


 レトロゲームダイバーは、瞬く間にマニアの間で人気が急騰し、有志がゲームハードと直接接続できるモジュールを自主制作していた。

 各種ゲーム機に加え、レトロパソコン……すなわちフロッピーディスクやMO、テープにまで対応しているのには驚いた。


 ハードメーカーはユーザーの自己責任の元、それを黙認した。


 (権利元との今後のライセンシー契約を有利に進めようとするハードメーカーの計算か?)

 俺はつい邪推する。


 部下のプログラマのつてを辿って、俺は、その接続モジュールを手に入れた。


* * *


 段ボール箱を開けると、懐かしいゲームソフトのパッケージや、黄ばんだゲーム雑誌、攻略本などがぎっしりと詰まっていた。


 その一つ一つに、少年時代、青年時代の思い出が詰まっている。


「お、これ、まだ持ってのか……」


 手に取ったのは、高校時代に熱中したパソコンゲームのフロッピーディスクだった。

 当時、マニアの間で人気だった同人ソフト。

 これもレトロゲームダイバーでプレイできるだろうか。


 さらに箱の奥を探っていくと、ラベルも貼られていない、3.5インチのフロッピーディスクが出てきた。


 これは……。


 一瞬で記憶が鮮やかに戻ってきた。


 高校時代。

 俺には、長瀬雪乃(ながせゆきの)という友人がいた。


 彼女は少し内気だったけれど、物語を考えたり、当時、普及しはじめたDOS/Vパソコンでプログラミングをしたりするのが得意で、独自の世界観を持っていた。


 ゲームや漫画が好きという共通の趣味で、俺たちはいつしか親しくなった。


 そして、放課後のパソコン室や、どちらかの家で二人で集まって、オリジナルゲームを作ろうという事になったのだ。


『ラストメモリー・オブ・クリスタル』


 俺たちがつけた、少し気恥ずかしいタイトルのアクションゲーム。


 雪乃がプログラミングとシナリオを担当し、俺は彼女が生み出すキャラクターや世界感をドット絵で描き、ゲームバランスを調整する役割だった。


 あの頃、俺たちは確かに輝いていた。

 二人で一つのものを作り上げるという、純粋な熱中があった。


 ……そして俺は、雪乃のことが好きだった。

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