想死病患者は花になる

怠惰

想いを宿す花

「……君の名前は?」


僕の問いに少女はほんの少しだけ微笑んだ。

けれどそれは、どこか諦めたような笑みで、胸が少しだけ苦しくなる。


「名前なんてとっくに忘れた…。

この世界では、想いを抱えすぎると、自分の事すら忘れてしまうの」


彼女の声は、まるで風の音みたいにすぐに消えてしまいそうだった。


「でもね。昔、誰かがこう呼んでくれた。

 ——“セレナ”って」


セレナ。

その名が僕の心の奥に、奇妙に深く響いた。

初めて会ったはずなのに、懐かしいような——


「君は……僕のことを知ってるの?」


彼女は答えなかった。ただ一歩近づいてきて、僕の胸にそっと触れた。


「あなたの中に、あの女の子の“想い”がある。

 彼女は最期の瞬間、あなたを想っていた。

想いを受けた貴方は奇しくも器を持っていた。

 だから——あなたは、この世界に来た」


“彼女”という言葉に、胸がどくりと鳴った。

僕の記憶の奥に、名前も顔も思い出せないのに、確かにあたたかく、けれど思い出せない悲しい感情があった。


「……セレナ。僕は、ここで何をすればいい?」


風が月明かりの中を駆ける。

セレナは瞼を伏せて、ゆっくりと言った。


「あなたの役目は、“花が咲かせすぎた人々”の想いを受け取ること。

 それができるのは、“想いの器”を持つ者だけ」


「――器…」


「想いは花になって咲き、その人の命を花弁にする。

 だから、あなたがその想いを引き受けてあげて——その人を、存在を忘れないで欲しい」


セレナが手を伸ばすと、白い花が舞い上がった。

それは小さな子供の手のひらほどの、儚く光る“想い”。


「けれど、気をつけて。あなたが想いを受けすぎると……器を持っていてもあなたも消えてしまう」


想いを繋げばその人の存在は忘れられない。

でも、繋ぎ続ければ、自分が消える。


——こんな優しくて切なくて儚い世界で、僕はどれだけの“想い”を抱えていけるんだろう。


そして、セレナがふとつぶやいた。


「もう……本当のことを言うとね。

 私はもう……あなたに“渡した”あとなの」


「え……?」


「あなたの中にある“彼女の想い”——

 それは、私の想いであり彼女の想いなの

 あなたが死んだ世界のとある女の子の想い」


そのとき、彼女の輪郭がふわりと揺らいだ。

白い光が、その身体から零れ落ちるように——


「お願い。……想いを咲かせすぎた誰かの分まで、生きて」


そう言って、セレナは微笑んだ。

はじめて、心からの笑顔で。


——そして、一枚の花びらとなって、夜空に消えた。

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