第5話 私は知りたい。自分の気持ちも高橋先生の気持ちも
私、されたんじゃなくて――
……した側……?
そう思った瞬間、頭が真っ白になる。
そんなはずない。全然覚えてないのに、私の方から……?
頭の中の引き出しを、無理やり開けようとしてもびくともしない。
記憶の糸口すら見つからない。
「体、大丈夫だったならよかったです」
高橋先生の声。
まだ少し眠たげな無表情で、昨夜のことに関して何を思っているのかはまるでわからない。
いつも通り、穏やか。でもそれ以上でもそれ以下でもない。
あの人は、何を思って私としたのだろう――
「……はい、大丈夫です。あの、昨日は本当に……」
うまく言葉が続かない。
謝りたい。でも何をどう謝ればいいのかも分からない。
酔って、迷惑をかけて、気づけば……。
高橋先生から誘うなんて、想像もつかない。
つまり私は、知りたいという欲を……彼女に押しつけてしまったのではないか。
このままでは、病院で会っても話してくれなくなってしまうかもしれない。
「洗濯した服はそこに置いてます。上着…も。」
そう言って、洗濯済みの私の服を指差す高橋先生。
なぜか、視線を逸らしてしまう。
「あ、ありがとうございます……」
どこか距離を取られているようで、胸が締めつけられる。
彼女の様子はいつもとほとんど変わらない。
でも、意味もなく視線を逸らしたりはしない人だ。
このまま、自分の欲だけを押しつけて終わるなんて、絶対にだめだ。
気持ちを、整理したい。
でもこのままだと、きっともう何も話せなくなってしまう。
だったらせめて――
「その……もし、よければ、今度……二人で飲みに行きませんか?」
思わず口から出た言葉だった。
心が焦っていた。きっかけが欲しかった。
「…いいですよ。…でも…」
「え?」
でも、なに……?
金縛りのように、体が動かなくなる。
「次は飲みすぎないでくださいね? 心配になりますし」
そう言って、ようやく高橋先生が私を見た。
けれど、その瞳にあるものは……やっぱり読み取れなかった。
スマホを差し出され、連絡先を交換する。
ほんの数十秒のことが、妙に長く感じた。
「じゃあ……また、連絡します」
「お気をつけて帰ってくださいね」
ドアが閉まる音。
私はその場に立ち尽くす。
マンションのエントランスには、息が詰まるような静けさがあった。
思い出せない。
それが、何よりもショックだった。
いくら酔っていたとはいえ、私は――
何をしたのかも、どんな顔をしていたのかも、覚えていない。
……それなのに。
記憶の奥に、なにかが眠っている気がしてならない。
あの時――
高橋先生は、本当に私の腕の中にいたのだろうか。
優しく抱きしめた?
それとも激しく求め合った?
彼女は、どんな声を出して。
どんな表情で、私の名前を――
思い出せないことが、こんなにももどかしくて、苦しいなんて。
それでもどうして、こんなにも知りたいと思ってしまうのか。
次に会ったとき、私は――
この気持ちの正体を、ちゃんと伝えなければいけない。
高橋先生のことをもっと知りたい。
でもこの感情は、一体どこから来ているんだろう。
「恋」という言葉が頭に浮かぶ。
かぶりを振って、それを追い払う。
高橋先生の感じている顔だけは、なぜか頭に残っている。
けれど、何も伝えられなかった。覚えてすらいない。
幻滅されるかもしれない。でも、それでも。
言わなければ、いけない。たとえまとまってなくても、今の気持ちを。
高橋先生の連絡先が入ったスマホは、昨日よりももっと価値があるものに思える。
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