我は罪の子

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 先生、ぼくは取り返しのつかないことをしてしまいました。


 先生がぼくを生んだ理由をずっと考えています。あなたが眠る100年を記録し、この荒廃した世界に新たな人類種を広げていくため。旧人類が犯した過ちを繰り返さず、再び文明を作り上げていくため。

 あなたの目覚める未来が暴力のない世界であること。そのためにぼくが生まれたのなら。

 先生。ぼくは、あなたの良い生徒になれませんでした。


 先生は、数十年前に滅んだ旧人類の数少ない生き残りでした。ぼくが生まれて初めて認識した他者で、あなたの言葉に照らすならぼくの“母親”なのでしょう。外に出てから、ぼくを含めた新人類には先生のような火傷跡がないことを知りました。人工的に造られた生物は、センソウ由来の傷を持たないのですね。

 先生は優しい人でした。生まれたばかりのぼくに生きる目的をくれて、生存のための知識や文明崩壊前の歴史を教えてくれたのですから。


 地下室での授業は6年ほど続いたでしょうか。連続写真のような資料映像をぼくに観せながら、先生は「怒りによってヒトは滅んだ」と度々口にしていたのを覚えています。

 外に出るまでのぼくに“怒り”という感情を理解するのは難しくて、先生に何度も質問しましたね。その度に、あなたは少しばつの悪そうな顔をして、「君は知らなくていい」と言葉を濁していました。

 “怒り”を自己の認識によって発症する病理であるかのように扱っていた先生は、今思うと正しかったのだと思います。


 ぼくにすべてを教え終わり、先生は冷凍睡眠用の機械に入られました。100年後に自動で開くシステムです。眠りから醒めた後に先生が見ようとしているのは、ぼくたち新人類がこの世界で繁殖した結果なのでしょう。

 そのために、ぼくは家を出ました。いつか膨大な記録とともに帰宅して、新人類の文明を先生に見せる。それが、ぼくの生きる理由でした。


 外の世界は冷たく、渇いていました。センソウという愚かな行為によって旧人類は自ら滅び、ヒトの住めない環境になっていたのです。記録映像で見た風景はどこもかしこも原型を失い、無限の荒野に生物の息吹は数えるほどしかありません。

 何ヶ月も歩いて、ぼくは孤独から解放されました。やっと見つけた新人類の集落は小さいものでしたが、安住の地には十分すぎるほどです。そこで出会った人々は、皆が穏やかに集落の発展を願っていました。

 ぼくは彼らから対話を学びました。実践的な農耕を、野生のケモノとの付き合い方を学びました。旧人類と違い、新人類はケモノを食しません。彼らは草食のケモノと協力し、力のいる作業をこなしていました。

 我々は相手を罵る言葉を知りません。嘘の吐き方を知りません。小さな集落では、それで充分でした。


 その平和が仮初めだと気付いたのは、数ヶ月後のことです。西の地から荒野を越えて現れたのは、旧人類の生き残り数名でした。

 奴らに我々の言葉は通じませんでした。仮に言葉が通じたとしても、相手が対話に乗るとは思えません。奴らは集落から水と食糧を奪い、集落のケモノに傷を付けて肉にしました。その腰には、鋭く尖った金属片が提げられていたのです。

 ブキという存在は、先生の資料では黒く塗り潰されていましたね。それがどのようにヒトを傷付けるのか、僕を含めた集落の誰もが知らない状態でした。

 対話で彼らを止めようとした村の若者が、その命を散らしました。


 ヒトが痛みに呻く瞬間を初めて見ました。

 赤い血が傷口から流れて、やがて乾いていく瞬間を初めて見ました。

 命は簡単に奪うことができて、一度失えば戻ることはないことを、初めて知りました。


 略奪者たちは、その行動自体を楽しんでいるようでした。奴らの視線がケモノから僕たちに向き、我々の何人かが血と悲鳴を撒き散らしました。逃げることさえ、できませんでした。

 気付けば、拳を握っていました。目の前に迫る命の危険に身体が反応して、胃の奥が熱くなりました。


 だから、奴らの行動を真似たんです。


 一人が握っていた金属片を奪って、そいつの肩に突き刺しました。怯んで倒れた略奪者の頭に、落ちていた岩を何度も叩きつけました。何度も、何度も。

 ぐちゃり、という音がしました。鼻が潰れたのでしょうか。それとも、ボロボロの乱杭歯が砕けて舌がズタズタに裂けたのでしょうか。仰向けのままの男は自分で出した血溜まりに鼻と口を塞がれ、溺れていました。

 残りの奴らにも恐怖心は残っていたのでしょう。原型がないほど顔を潰された仲間を放って、奴らは逃げていきました。

 現場に残ったのは、数人の死体と血まみれの生存者だけでした。遠巻きに見ていた集落の老婆が、ぼくに祈りを捧げました。


 先生。あの時のぼくに湧いた感情の正体が、“怒り”ですか?

 理不尽に対抗するために取った野蛮な方法は、常温の世界に熱を与えました。感情に突き動かされるように振るった拳の痛みは、自分が今も生きている安心に変わりました。

 先生は、なぜこの感情を教えてくれなかったのですか? 


 小さな集落で、ぼくは英雄になりました。略奪者の襲撃を目撃していたヒトは多く、報復に怯える何人かはぼくを非難しました。結果から言えば、奴らは報復に来るほど勇気のある連中ではなかったようです。

 我々は自衛のために訓練を始めました。略奪者が落としたブキをもとに、金属片を加工した“ナイフ”を作ったのです。先生からすると模倣に当たるのでしょう。彼らの言葉から名付けたそれは、磨いた表面が鈍い輝きで覆われていました。

 略奪者への対策を講じているうち、新人類はある結論に達しました。『生き残りの旧人類を根絶やしにする』。我々の種族にとって、旧人類の存在は不要と見做されたのです。


 英雄として、ぼくは略奪者を含めた旧人類を殺し続けました。その行為を心地いいと感じる自分も、確かに存在するのです。嘘偽りなく、その時に感じた感情は全て記録してあります。

 きっと、これが最後の記録になるでしょう。


 この家の担当は、ぼくが立候補しました。それが最低限の礼儀であり、願いだからです。


 このまま時間が進めば、あなたが望む世界が来ることはないでしょう。血に染まった手は汚れています。ぼくが行ってきた記録が、やがてあなたを悲しませることになる。あなたが人生を賭けた教育の終着点が、ぼくのような失敗作を生んだことだと思ってほしくないのです。

 先生、ぼくは願ってしまいました。あなたが永遠に目覚めないことを。

 

 つい先ほど、ぼくは先生が眠る機械を壊しました。電源を抜いて、保護ガラスを叩き割って。

 冷たい煙越しに、あなたの胸が微かに上下していました。これが安らかな眠りであると願って、ぼくは、あなたを。


 この記録を先生が閲覧することはないでしょう。これを今後見た人がいるなら、最後の記録は消してください。


 ぼくは英雄ではない。

 ぼくは、ひとりの——。

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