第18話「新たな地平線」
最後のかけらの冒険から一ヶ月が経った。
世界は徐々に元の姿を取り戻しつつあった。行方不明だったプレイヤーたちは日常に戻り、「深層事件」は伝説として語られるようになっていた。
私は現在、シルヴィアと共に「夢見の平原」と呼ばれる新しいエリアを探索していた。このエリアは深層の変化によって現れたという新地域の一つだ。
「あれが『夢見の塔』か...」シルヴィアが遠くに見える白い塔を指さした。
「美しいわね」私は感嘆の声を上げた。
平原の真ん中に立つ塔は、まるで雲から作られたかのように柔らかな輪郭を持っていた。周囲には七色に輝く花々が咲き乱れ、空には普通のものより大きく鮮やかな虹が架かっていた。
「このエリアは特殊らしい」シルヴィアが説明した。「ここでは『夢魔法』という新しい魔法体系が使えるという」
「夢魔法?」
「プレイヤーの想像力を直接力に変える魔法だ」シルヴィアは興奮気味に言った。「まさに感覚と直観の極みと言えるだろう」
私たちは塔に向かって歩き始めた。平原の草は柔らかく、踏むとわずかに光を放つ。小さな光の精霊のような存在が草の間を飛び交っていた。
「世界が変わったのね...」私は感慨深く言った。
「ああ」シルヴィアも頷いた。「深層が世界の一部として調和したことで、新たな可能性が開かれた。カイルの言う通りだ」
カイルは現在、ゲーム内の「調整者」として活動していた。彼は開発者としての知識を活かし、深層との調和を維持する役割を担っていた。時折、私たちの冒険に同行することもある。
塔に近づくと、入り口には古い言語で書かれた看板があった。
「『夢見る者だけが入ることを許される』...か」シルヴィアが読み上げた。
「どういう意味かしら?」
「文字通りかもしれない」シルヴィアは考えながら言った。「夢を見る能力、想像力がないと入れないということだろう」
私はセンスエンハンスを使って塔を感じ取った。不思議なことに、塔からは通常の建物とは異なる「波動」のようなものが感じられた。まるで生きているかのように、呼吸をしているような感覚。
「この塔、生きているみたい...」
「センスエンハンスで感じ取れるのか?」シルヴィアが興味深そうに尋ねた。
「ええ」私は集中して感覚を研ぎ澄ませた。「塔が...私たちを評価しているような感じがする」
「評価?」
「私たちが入るに相応しいかどうか...」
私はゆっくりと塔の入り口に近づいた。入り口には扉もなく、ただ半透明の膜のようなものが張られているだけだった。その膜は虹色に輝き、微かに揺れている。
「どうやって入るのかしら...」
直感的に、私は目を閉じ、心の中で自分の夢や希望を思い描いた。ESO内での冒険、新しい発見への期待、仲間との絆...心の中でそれらのイメージが鮮明になっていく。
「アリア...」シルヴィアの声が聞こえた。「膜が...」
目を開けると、入り口の膜が光を放ち、私の前で開き始めていた。
「入れるみたいね」私は微笑んだ。
「なるほど」シルヴィアも理解した様子で目を閉じ、しばらくすると彼女の前の膜も開いた。
「行きましょう」
塔の内部は外見以上に不思議な空間だった。床、壁、天井...すべてが曖昧な境界を持ち、雲のように柔らかな印象を与える。足を踏み入れると、床はしっかりとしているにもかかわらず、雲の上を歩いているような感覚があった。
「これは...」シルヴィアが驚いた表情で周囲を見回した。「物理法則が異なる場所だ」
内部には階段らしきものがあったが、それは上に向かうだけでなく、時には横に、時には螺旋状に伸びていた。そして不思議なことに、どの方向に進んでも「上に登っている」感覚があった。
「正常な空間認識が通用しないようね」私は言った。
「夢の中のような感覚だ」シルヴィアが同意した。
私たちは直感に従って階段を登り始めた。途中、窓のような開口部からは外の景色が見えたが、それは来た場所の平原ではなく、まったく別の風景だった。海、山、砂漠...様々な風景が窓ごとに異なって見えた。まるで塔が世界中の場所と繋がっているかのようだ。
「この塔は空間を超えているのかもしれないわ」私は窓から見える水晶の森を眺めながら言った。
「ゲーム内のどこにもない景色もある」シルヴィアが氷の城が浮かぶ空を示しながら言った。「これは完全に新しい領域だな」
階段を登り続けること約一時間。私たちは大きな円形の部屋に辿り着いた。天井は星空のように輝き、床には複雑な魔法陣が描かれている。部屋の中央には浮かぶ水晶があり、七色の光を放っていた。
「これが夢魔法の源だろうか」シルヴィアが水晶に近づいた。
私はセンスエンハンスを使って水晶を探った。すると、驚くべきことに水晶から強い反応があった。まるで私の能力に応えるかのように、水晶の光が強まる。
「シルヴィア、この水晶...反応しているわ」
「どういう意味だ?」
「わからない...でも」私は直感的に手を伸ばした。「触れてみるべきかもしれない」
シルヴィアは少し警戒しながらも、頷いた。「気をつけろよ」
水晶に手を触れた瞬間、まばゆい光が広がり、私の意識が別の次元へと引き込まれる感覚があった。目の前に現れたのは、星々が浮かぶ宇宙のような空間。そこには人型の存在が浮かんでいた。
「よく来たな、センスエンハンサー」その存在が語りかけた。声は男性でも女性でもなく、どこかエコーのように響く。
「あなたは...?」
「私は『夢見の案内人』」存在が答えた。「かつては深層の一部だったが、今は夢と現実の狭間を守護している」
「深層の...?」
「そう」案内人が続けた。「深層の変容により、私のような存在が生まれた。世界の新たな可能性を導く役割を担っている」
「夢魔法について教えてくれるの?」
「その通り」案内人はゆっくりと手を動かし、私の前に光の球を作り出した。「夢魔法は、想像と現実を繋ぐ力。プレイヤーの創造性が直接力となる」
光の球が変形し、様々な映像を見せ始めた。プレイヤーが思い描いたものが実体化する様子、感情が直接エネルギーになる過程。
「センスエンハンスを持つ者には、特に相性が良い魔法だ」案内人が説明した。「感覚と想像が結びつくことで、他のプレイヤーには不可能な効果を生み出せる」
「どうすれば使えるようになるの?」
「この水晶の欠片を持ち帰るがいい」案内人は光の中から小さな水晶の欠片を取り出した。「これがあれば、夢魔法の基本を学べるだろう」
私は感謝して水晶の欠片を受け取った。
「もう一つ」案内人は真剣な口調になった。「新たな危機が迫っている。かけらたちが散った後も、世界の均衡は完全には戻っていない」
「新たな危機?」
「『虚無の裂け目』」案内人が言った。「世界の境界が薄れている場所だ。そこから『忘却の存在』が現れ始めている」
「忘却の存在?」
「プレイヤーたちに忘れられた存在—未完成のNPC、削除されたモンスター、実装されなかったクエスト...それらが実体化しつつある」
これは想定外の展開だった。「どうすれば?」
「夢魔法が鍵となる」案内人は言った。「想像の力で忘却に抗うのだ。だが、その前に仲間を集めるべきだろう」
案内人の言葉が終わると同時に、光が薄れ始め、私は現実に引き戻された。
「アリア!」シルヴィアが心配そうに私の肩を掴んでいた。「大丈夫か?突然動かなくなったぞ」
「何があった?」私は混乱した様子で尋ねた。
「お前が水晶に触れてから約10分経った」シルヴィアが説明した。「その間ずっと凍りついたようになっていた」
私は見たものすべてを彼に説明した。夢見の案内人、夢魔法のこと、そして迫りくる新たな危機について。
「虚無の裂け目か...」シルヴィアは思案した。「確かに、最近奇妙な噂を聞いていた。存在しないはずのダンジョンが現れたとか、誰も見たことのないモンスターが出現したとか」
「カイルに連絡する必要があるわ」私は言った。「彼なら何か知っているかもしれない」
私たちは急いで塔を後にした。不思議なことに、下りる道は登るよりもずっと簡単で、ほんの数分で入り口に到着した。
「塔の時間感覚も異なるようだな」シルヴィアが外の空を見上げた。日没が近づいていた。
「街に戻りましょう」私は提案した。「仲間たちを集める必要があるわ」
私たちは最寄りのワープポイントを使って主要都市「クリスタルファウンテン」へと移動した。この都市は深層事件後、プレイヤーたちの集会所として賑わっていた。
都市に到着すると、思いがけない再会があった。中央広場でリーフとマリアが話しているのが見えたのだ。
「リーフ!マリア!」私は彼らに駆け寄った。
「アリア!」リーフは驚いた表情で振り返り、すぐに笑顔になった。「シルヴィアも!久しぶり!」
「何という偶然だ」マリアも微笑んだ。「私たちもちょうど合流したところよ」
「二人ともどうしてここに?」私は尋ねた。
「私は新しい魔法研究のために図書館に来ていたの」マリアが説明した。「特に夢に関する古文書を調べていたところ」
「私は...」リーフが少し恥ずかしそうに言った。「最近奇妙な夢を見続けていて、その意味を知りたくて相談に来たの」
私とシルヴィアは驚きの視線を交わした。「奇妙な夢?」
「ええ」リーフが頷いた。「毎晩のように、光る裂け目から何かが出てくる夢を見るの。そして『忘れられた者たちが目覚める』という声が...」
「これは偶然ではないな」シルヴィアが真剣な表情で言った。
私たちは近くの宿屋に移動し、状況を共有した。夢見の塔での出来事、案内人の警告、そして迫りくる危機について。
「だから私が夢を見ていたのね...」リーフが理解した様子で言った。
「私の研究していた古文書も、まさにこの現象について書かれていたわ」マリアが付け加えた。「『忘却から帰る者たち』についての預言のような内容だった」
「レインとリオンにも連絡を取るべきだろう」シルヴィアが提案した。「蒼月の騎士団の力も必要になるはずだ」
「ルナにも」私は頷いた。
「カイルには?」マリアが尋ねた。
「すでにメッセージを送ってある」シルヴィアが答えた。「明日には合流するとのことだ」
その夜、私は小さな水晶の欠片を調べていた。それは手のひらに収まるサイズで、内部で七色の光が渦巻いている。センスエンハンスで触れると、不思議な振動を感じる。
「夢魔法...」
私は試しに目を閉じ、小さな炎を思い浮かべた。水晶が温かくなるのを感じ、目を開けると、確かに私の手のひらの上に小さな青い炎が浮かんでいた。通常の火とは異なり、この炎は冷たく、触っても痛くない。
「できた...」私は驚きと喜びを感じた。
その光景を見ていたリーフが感嘆の声を上げた。「すごい!私にもできるかな?」
「きっとできるわ」私は彼女に水晶を手渡した。「思い描くだけでいいの。感覚に従って」
リーフは集中し、彼女の手のひらには小さな光の蝶が現れた。それは羽ばたき、部屋の中を舞い始めた。
「わぁ...」リーフの目が輝いた。
「この魔法が鍵になるのね」マリアが思案した。「忘却の存在と戦うには、創造の力が必要ということか」
翌朝、カイルが宿屋に到着した。彼は以前より疲れた表情をしていたが、目には決意の光があった。
「皆、久しぶりだな」カイルが挨拶した。
「状況は?」シルヴィアが尋ねた。
「思ったより深刻だ」カイルは座り込んだ。「虚無の裂け目は既に世界の各地に現れている。忘却の存在たちは、この世界に居場所を求めて現実化しつつある」
「危険なの?」リーフが不安そうに尋ねた。
「彼らは必ずしも敵ではない」カイルは説明した。「だが、彼らの存在そのものが世界の安定を脅かしている。彼らには『場所』がないんだ...だから世界の一部を『上書き』しようとしている」
「どうすれば?」
「夢魔法が解決策になりうる」カイルは私の持つ水晶に目をやった。「創造の力で、彼らに新たな場を与えることができるかもしれない」
「でも、そのためには?」マリアが問いかけた。
「裂け目の中心、『忘却の神殿』に行く必要がある」カイルが言った。「そこで儀式を行い、忘却と創造のバランスを取り戻すんだ」
私たちは決意を固めた。新たな冒険が始まろうとしていた。
「みんな」私は水晶を掲げた。「もう一度、一緒に戦いましょう」
「もちろん」リーフが笑顔で応えた。
「異議なし」マリアも頷いた。
「行くぞ」シルヴィアが立ち上がった。
カイルは私たちを見て微笑んだ。「君たちとなら、きっとできる」
窓の外には朝日が昇り、新しい一日の始まりを告げていた。センスエンハンスが体内で心地よく脈動するのを感じながら、私は思った。
この世界は常に変化し、進化している。そして私たちもまた、新たな可能性に向かって歩み続ける—感覚を頼りに、直感を信じて。
次なる冒険は、まだ見ぬ地平線の向こうで待っていた。
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