エウレカ!2
男は激していた。
己の無知蒙昧に、凝り固まった意識の狭さに、挑戦者たらんとする勇気の欠如に。
"ダメ人間"、そんな言葉すら頭に浮かび、それが更に男を打ち据える。
この歳になるまで、これを……。
感情の激浪が男を苛んだあと、残ったのは空しさだけだった。
----------------------------------------------------------
それはほんの気まぐれからはじまった。
とある県のとある街。重要でもなければ華やかでもない。でも田舎でもない。鉄道くらい通っていて、昼でも1時間に5本くらい電車が来る。どことは言わないが、新◯戸とか、新◯戸とか。
男はダイエットのために自転車で訪れた、久しぶりの街角だった。もう少し頑張ろうよ、自分。
「そういえば、ちょうどこのあたりだったか?」
最近、とみに記憶力と体重をトレードしまくった男。あまり場所に自信がない。ぶつくさいいながらそれでもなんとかたどり着いた。
ちなみに、ここにたどり着く前に自転車のチューブがバーストして慌てて自転車屋に駆け込みチューブ交換してもらっている。犯人はピザ体型……。
ちょっと狭い入口に巨腹をねじ込んで中に入る。
薄暗い。
あえて照明を落としたと思われる細長い空間に、にこやかな笑みを浮かべたハンサムガイがいた。若く、スリムなのになぜか恵比寿さんを連想させる男。
男の横には、何に使うのか数本の容器が並べられていた。液体が満たされた黒っぽい容器。
「……お試しになりますか?」
――何を、いや分かりきっている。その容器の中身だ。
ハンサムガイの笑みが心持ち深くなる。おそらく自信があるのだろう。眼の前のタヌキ親父がカモだという認識に。タヌキなのにカモ。
はたまた、おすすめするお品物への絶対の自信か。
「いや、やめておくよ」
ハンサムガイの雰囲気に少し怯むタヌキ。まごうことなきチキン。某大佐のチェーン店に出荷されるレベル。
自信のない人間特有の卑屈な笑いを浮かべながら、薄暗がりを彷徨う。
そして、そして、出会ってしまった。美しい悪魔に。
薄暗がりに差した、神々しい一筋の光。その光を浴びて堕天使が微笑んでいる。
「お目が高い」
いつの間にか横に佇むハンサムガイが、囁くように告げる。堕天使と、悪魔と知りながら崇拝する狂信者の瞳がそこにあった。
ハンサムガイから悪魔を称える讃美歌が紡がれた。その歌は甘く、低く巨腹の意識を浸していく。
気がつけば男は、大切そうに、崇めるようにそれを懐に抱き、夕暮れの街に佇んでいた。無論、新◯戸とか、新◯戸とか。
そこから無我夢中でねぐらに戻る。間違ってもこの堕天使を損なうことのないように、奪われることのないようにキョドりながら。うーん、これまたチキン。
たどり着いたねぐらで、巨腹は辛抱という言葉を放り捨てた。160km/h。100マイル超え達成まであと少し。震える指先を堕天使に伸ばす。
行くんだな、オレ。後悔はないな、オレ。
今再びの覚醒の刻!
立てよオレ、オレよ立て!この衝動を祈りに変えて信仰を貫くのだ!
堕天使の御元にたどり着く扉は硬かった。巨腹は渾身の力を込め、爪を削りながらそれでもたどり着いた。
今こそ試飲!
――見える。稲穂が笑いさざめき、熟れた果実と手を取り合って踊る姿。豊穣の大地を司る女神。
「……エウレカ!神(悪魔)よ、私は今悔い改めました!」
淡麗辛口が日本酒の真髄よ、と知ったようなことをほざいていた男はもういなかった。
"b◯:”
それはダイエットの堕天使。優しい甘さと米のふくよかな旨味、そして人を惑わす酸味を兼ね備えた奇跡の雫。
男は濃醇な口当たりと己の見識の狭さにに咽びながら、堕天使を愛しげに抱きしめていた。
END
---------------------------------------------------
外◯酒造店様のb◯:雄町 純米大吟醸生原酒は濃醇甘口な衝撃のうまさでした。これを扱ってくれた酒屋さんに感謝。
これを手に取ったのは全くの偶然でした。たまには淡麗辛口以外もいってみるかと。
結果、打ちのめされました。果実の甘さ、米の甘さ、アルコールの粗さがなく、その飲み口はまさに堕天使。ダイエットの大敵。でも蓋が硬い……。
いやー、淡麗辛口だけという蒙昧を一撃で完全破壊。酒米愛山が検索マイブームになるほど。
なお、飲んだら自転車も飲酒運転ですよ。
飲酒運転、ダメ、絶対。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます