第26話「陣凱町のちいさな殺戮者」
灰色のショートボブの髪を、路地裏の饐えた風が撫でる。
小柄な体格だった。
そんなノラのことを、ガラの悪い男たちが警戒するように睨んでいた。
彼らは『灰色のフリーター』。
匿名の闇バイトを専門とするゴロツキで、犯罪行為にも躊躇なく手を染める。そんな危険な連中が、なぜか小柄なノラを前にして、距離を詰めることに躊躇している。顔には脂汗が滲んでいた。
その原因が、地面に倒れている彼らの仲間たち。
ノラに近づこうとした奴から、気絶、痙攣、あるいは泡を吹いて倒れていったのだ。何が起きたのか理解できない連中は、例えようのない不安を抱えながら、ノラの乾いた笑みを見ていることしかできない。
「にゃはは? どうしたの、君たちを舐めたツケを払わせるんじゃなかったの?」
余裕綽々。
ノラは感情のない瞳で彼らを見据える。その手に武器として持っているのは、スマホだけだった。
「て、てめぇ。仲間に何をしやがった!?」
「仲間? へぇ、生きている価値のない社会の穀潰しのくせに、仲間意識なんて持っているんだ」
「なんだと? このクソガキ、ぶっ殺してやる!」
「あー、言ったね。この街で安直に言わないほうがいいよ。その言葉はね―」
ノラは、感情のない瞳でスマホを操作すると。
既に地面に倒れている男が、突如として痙攣を始める。
あがががっ!?
気絶していた男は目を覚まして、再び意識を失った。バチバチッとまるで感電したかのような音と一緒に、焦げ臭い匂いが辺りに立ち込める。
「……覚悟が必要だよ。殺してやる、なんて言葉を使われたら。こちらも殺す覚悟ができちゃうじゃないか」
安くないよ、その言葉は。
そう口にするノラの瞳には、感情が抜け落ちている。
まるで、空いたペットボトルのように。
無機質な空虚。人を傷つけることに何も感じていない、空っぽの心。闇よりも暗い深淵が、感情のない瞳を通して、灰色のフリーターたちを覗いている。
実際。
過去のノラは、人を傷つけることに何も感じていなかった。
空っぽの心。
空っぽの魂。
そんな渇いた人形に、温かい感情を注いでくれたのが―
「さて、ちゃんと話してもらうかなぁ。どうして、ボクやじろー達のことをリアルタイムで追えていたの? 情報提供者は誰?」
「……ちっ。喋るわけがねーだろうが!」
こっちも、てめぇみたいなガキに構っている暇はねーんだよ! そういって、男の一人がスマートフォンを取り出す。
「なんの手品か知らねーが、頭数を揃えちまえばこっちのもんだ! 俺たちの仲間が、この陣凱町に何人も来ているんだ! てめぇなんぞフクロにしてやるよ!」
男はスマートフォンを操作して、仲間と連絡を取ろうとする。だが、なぜか焦ったように何度も同じ操作をしている。そんな様子を、ノラが感情のない笑みで見ていた。
「にゃははー? どうしたのー?」
「くそ、なんでだ!? こんな街中なのに電波がねぇ! そんなことあるわけないのに、……熱っ!?」
突然、男が顔を歪める。
外見からではわからないが、男のスマホが異常な高熱を発していたのだ。
「にゃは? おたくら、お祭りやライブ会場に行ったことない? そうやって一か所に集まった人間が、同時にスマホを使おうとすると通信障害が起きるんだよ。それと似たようなものでさ〜」
ノラが、自分のスマホの画面を見せて。
得意げに言った。
「お前らのスマホに過負荷をかけて、回線をダウンさせた。ダメだよー。便利だからって、ブルートゥースやエアドロップをオンにしたままだと。ネット上に入口さえあれば、いくらでやりようはあるんだから」
もう、仲間を呼ぶことも、助けを呼ぶこともできないよ。
ノラの言葉に、他の男たちも慌ててスマホを操作する。
だが、彼らも同じく。
通信障害をかけられて、スマートフォンが全く機能していなかった。
「く、くそっ! そんなの関係ねぇ! てめぇをボコボコにすりゃ結果は同じことだろうが!」
いけ好かねぇガキが!
二度と、女の前に出れないくらい、その顔面をぐちゃぐちゃにしてやるぜ!
そして、先頭に立っていた男が。
格闘技のような構えをして、ノラに突進してきた。その動きは、素人ながら早く。まさに喧嘩慣れしている様子であった。……この街の外、での喧嘩だが。
「へべらげたたたててっ!?」
ノラが目を細めた、その直後。
男は全身を痙攣させると、その場に崩れ落ちた。
まだ、意識はあるようで。
睨めつけるように、ノラのことを見上げる。
その時、男が見たものは。
ノラの周囲に溶け込むように漂う小型のドローンであった。
「な、なんだと」
まさに陽炎。
輪郭はなく、向こうの景色も透き通って見える。
聞こえてくるのはモーターの駆動音だけ。
目には見えない。
光学迷彩のドローン兵器たち。
それが、野良猫ノラの。
喧嘩のスタイルだった。
「あ、見つかっちゃった? じゃあ、しょうがないか。ちゃちゃっと終わらせてあげるよ」
ノラがスマホを操作する。
すると、どこからともなく。
陽炎のドローンたちが集まっていく。
フィンフィンフィン、と静かなモーター音が合唱を始める。
数体。
いや、十数体。
明確な数がわからない見えないドローンたちが、男たちを囲っていく。
……え。
……これ、やばくね?
男たちが恐怖にビビり始める。
そんな彼らに対して。
ノラが感情のない瞳で言った。
「そういえば、なんだっけ。……そうそう、顔面をぐちゃぐちゃにしてやるぜ、だったね。そんなことを言われたんだったら、面倒だけど仕方ないよね」
見えないドローンたちが攻撃態勢に入る。
高圧電流を流すための電極が、彼らに向けて狙いを定める。テーザー銃。外国の警察では犯人を気絶させて確保するために使われる武装。
「じゃあ、二度と。女とベッドインできなくなるように、お前らの顔面をぐちゃぐちゃに焼き焦がしてやるよ。覚悟しな」
悲鳴が。
上がった。
男たちの。
感電しながら、痛みののたうち回る。
声にならない悲鳴が上がった。
臭い。
焦げ臭い匂いが。
人のいない裏路地から立ち込める。
男たちは静かになった。
あとに立っていたのは。
少年のような恰好をした少女の姿だけだった。
「さて、あとはカナリア狩りだね」
そして、野良猫ノラは。
男たちから聞いた情報提供者の人物、名前、連絡手段、誰から紹介してもらった等を聞くと。感情のない瞳でスマホを操作する。
それから、ほどなく。
遠く離れた都内のビルで火事が起きる。
デジタル庁管轄の末端企業。情報収集と管理をしている国の委託企業。そこで、情報の横流しをしていた人物のパソコンが。
過負荷によるオーバーヒートで、燃え始めた―
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