第26話「陣凱町のちいさな殺戮者」

 灰色のショートボブの髪を、路地裏の饐えた風が撫でる。


 小柄な体格だった。

 野良猫のらねノラの身長は155㎝。高校生になってから伸びるわけもなく、クラスの中でも背の低いほうだった。男子生徒の中では一番小さいし、女子生徒として見ても小柄だ。


 そんなノラのことを、ガラの悪い男たちが警戒するように睨んでいた。


 彼らは『灰色のフリーター』。

 匿名の闇バイトを専門とするゴロツキで、犯罪行為にも躊躇なく手を染める。そんな危険な連中が、なぜか小柄なノラを前にして、距離を詰めることに躊躇している。顔には脂汗が滲んでいた。


 その原因が、地面に倒れている彼らの仲間たち。

 ノラに近づこうとした奴から、気絶、痙攣、あるいは泡を吹いて倒れていったのだ。何が起きたのか理解できない連中は、例えようのない不安を抱えながら、ノラの乾いた笑みを見ていることしかできない。


「にゃはは? どうしたの、君たちを舐めたツケを払わせるんじゃなかったの?」


 余裕綽々。

 ノラは感情のない瞳で彼らを見据える。その手に武器として持っているのは、スマホだけだった。


「て、てめぇ。仲間に何をしやがった!?」


「仲間? へぇ、生きている価値のない社会の穀潰しのくせに、仲間意識なんて持っているんだ」


「なんだと? このクソガキ、!」


「あー、言ったね。この街で安直に言わないほうがいいよ。その言葉はね―」


 ノラは、感情のない瞳でスマホを操作すると。

 既に地面に倒れている男が、突如として痙攣を始める。


 あがががっ!?


 気絶していた男は目を覚まして、再び意識を失った。バチバチッとまるで感電したかのような音と一緒に、焦げ臭い匂いが辺りに立ち込める。


「……覚悟が必要だよ。殺してやる、なんて言葉を使われたら。こちらも殺す覚悟ができちゃうじゃないか」


 安くないよ、その言葉は。

 そう口にするノラの瞳には、感情が抜け落ちている。


 まるで、空いたペットボトルのように。


 無機質な空虚。人を傷つけることに何も感じていない、空っぽの心。闇よりも暗い深淵が、感情のない瞳を通して、灰色のフリーターたちを覗いている。


 実際。

 過去のノラは、人を傷つけることに何も感じていなかった。

 空っぽの心。

 空っぽの魂。

 そんな渇いた人形に、温かい感情を注いでくれたのが―


「さて、ちゃんと話してもらうかなぁ。どうして、ボクやじろー達のことをリアルタイムで追えていたの? 情報提供者は誰?」


「……ちっ。喋るわけがねーだろうが!」


 こっちも、てめぇみたいなガキに構っている暇はねーんだよ! そういって、男の一人がスマートフォンを取り出す。


「なんの手品か知らねーが、頭数を揃えちまえばこっちのもんだ! 俺たちの仲間が、この陣凱町に何人も来ているんだ! てめぇなんぞフクロにしてやるよ!」


 男はスマートフォンを操作して、仲間と連絡を取ろうとする。だが、なぜか焦ったように何度も同じ操作をしている。そんな様子を、ノラが感情のない笑みで見ていた。


「にゃははー? どうしたのー?」


「くそ、なんでだ!? こんな街中なのに電波がねぇ! そんなことあるわけないのに、……熱っ!?」


 突然、男が顔を歪める。

 外見からではわからないが、男のスマホが異常な高熱を発していたのだ。


「にゃは? おたくら、お祭りやライブ会場に行ったことない? そうやって一か所に集まった人間が、同時にスマホを使おうとすると通信障害が起きるんだよ。それと似たようなものでさ〜」


 ノラが、自分のスマホの画面を見せて。

 得意げに言った。


「お前らのスマホに過負荷をかけて、回線をダウンさせた。ダメだよー。便利だからって、ブルートゥースやエアドロップをオンにしたままだと。ネット上に入口さえあれば、いくらでやりようはあるんだから」


 もう、仲間を呼ぶことも、助けを呼ぶこともできないよ。

 ノラの言葉に、他の男たちも慌ててスマホを操作する。

 だが、彼らも同じく。

 通信障害をかけられて、スマートフォンが全く機能していなかった。


「く、くそっ! そんなの関係ねぇ! てめぇをボコボコにすりゃ結果は同じことだろうが!」


 いけ好かねぇガキが! 

 二度と、女の前に出れないくらい、その顔面をぐちゃぐちゃにしてやるぜ!


 そして、先頭に立っていた男が。

 格闘技のような構えをして、ノラに突進してきた。その動きは、素人ながら早く。まさに喧嘩慣れしている様子であった。……この街の外、での喧嘩だが。


「へべらげたたたててっ!?」


 ノラが目を細めた、その直後。

 男は全身を痙攣させると、その場に崩れ落ちた。


 まだ、意識はあるようで。

 睨めつけるように、ノラのことを見上げる。

 その時、男が見たものは。

 ノラの周囲に溶け込むように漂う小型のドローンであった。


「な、なんだと」


 まさに陽炎。

 輪郭はなく、向こうの景色も透き通って見える。

 聞こえてくるのはモーターの駆動音だけ。

 目には見えない。

 光学迷彩のドローン兵器たち。

 それが、野良猫ノラの。

 喧嘩のスタイルだった。


「あ、見つかっちゃった? じゃあ、しょうがないか。ちゃちゃっと終わらせてあげるよ」


 ノラがスマホを操作する。

 すると、どこからともなく。

 陽炎のドローンたちが集まっていく。

 フィンフィンフィン、と静かなモーター音が合唱を始める。


 数体。

 いや、十数体。

 明確な数がわからない見えないドローンたちが、男たちを囲っていく。


 ……え。

 ……これ、やばくね?


 男たちが恐怖にビビり始める。

 そんな彼らに対して。

 ノラが感情のない瞳で言った。


「そういえば、なんだっけ。……そうそう、顔面をぐちゃぐちゃにしてやるぜ、だったね。そんなことを言われたんだったら、


 見えないドローンたちが攻撃態勢に入る。

 高圧電流を流すための電極が、彼らに向けて狙いを定める。テーザー銃。外国の警察では犯人を気絶させて確保するために使われる武装。


「じゃあ、二度と。女とベッドインできなくなるように、お前らの顔面をぐちゃぐちゃに焼き焦がしてやるよ。覚悟しな」


 悲鳴が。

 上がった。

 男たちの。

 感電しながら、痛みののたうち回る。

 声にならない悲鳴が上がった。

 臭い。

 焦げ臭い匂いが。

 人のいない裏路地から立ち込める。

 男たちは静かになった。

 あとに立っていたのは。

 少年のような恰好をした少女の姿だけだった。


「さて、あとはカナリア狩りだね」


 そして、野良猫ノラは。

 男たちから聞いた情報提供者の人物、名前、連絡手段、誰から紹介してもらった等を聞くと。感情のない瞳でスマホを操作する。



 それから、ほどなく。

 遠く離れた都内のビルで火事が起きる。

 デジタル庁管轄の末端企業。情報収集と管理をしている国の委託企業。そこで、情報の横流しをしていた人物のパソコンが。


 過負荷によるオーバーヒートで、燃え始めた―

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