第20話 異物
「それで、もう一つの用件なんだが——」
キャットが話題を変えると、空とリディはトラヴィスが用意してくれた椅子に座った。トラヴィス自身は少し離れたところで、壁にもたれて腕組みをしている。
「見て欲しいものがあるんだ」
キャットがデスクの上の大きなディスプレイを、三人にも見えるようにずりずりと回す。
画面には9枚の写真が表示されていた。
上段の3枚は、このクラブ棟の隣に建っている機械式立体駐車場の写真。離れたところからの建物全体と、近くから入庫口を写したもの。もう一枚は周囲の様子が今と少し違っていて、どうやら古いもののようだ。
中段は、今朝キャットが連射した車——バスケ部のキャプテンが乗る、濃いネイビーのプラド90。学園内の車道と、大学通りの桜並木を走っているのと、体育館の搬入口に駐車されているものの3枚。
下段の3枚はどれも、キャプテンとコーチが何やら話している様子を、遠くから盗撮したものだ。1枚だけもう一人、中年の男が写っている。
「どうだ、空?何か気付くことはないか?——ほら、瞬きでパチパチっと」
リディが、眉をしかめて睨んでいるのを無視して、キャットは空をじっと見ている。
空の視線は、相変わらずキャットの背後の窓の外へ向いているが、しばらく乗り出していた身体を、引いて椅子の背に預けた。キャットはそれを〝興味なし〟と受け取って、
「なあ、頼むよ。こいつら絶対、裏でコソコソやってるはずなんだよ」
だが、リディは空の様子を見て、
(あー、何か見つけたのね)
と感じた。これはキャットにはわからない。リディ以外でわかるのは、美咲とママ・陽子だけだ。
(ちょっとまずいものを見つけちゃった感じ?)
この感じは、キャットの求めているようなゴシップ・ネタではなさそうだ。ゴシップならば、ネタの提供にどんな条件を付けようかと、にやにやしながら思案しているだろう。
だが空は今、少し不安そうに見える。キャットに——おそらくリディやトラヴィスにも——話して良いものか、判断できずにいるようだ。だとすると——
リディは、俄然、興味が湧いてきてた。
キャットにも知られるのはちょっとシャクだけど、後で尋ねても誤魔化されてうやむやにされるだけだ。聞くなら今しかない。このタイミングを逃したら——
すると、空がちらっとリディを見た。リディが微笑んで頷くと、空は画面の一角を指差した。
「ん?なんだ?」
空が指差した写真を、キャットが画面いっぱいに拡大する。
それは下段の右にあった写真。画面中央に、バスケ部のキャプテン、コーチともう一人の中年男が写っている。場所は第一体育館の裏にある搬入口の外だ。搬入口に繋がる裏門も半分ほど写っている。路面が濡れているので雨の日だろう。よく見ると、うっすらぼんやりと緑色の大きな網目が写っているので、クラブ棟の裏にあるゴルフコースから、かなりの望遠で撮ったもののようだ。
空の指は話題の3人ではなく、ピントがボケている裏門の、さらに外の部分を差していた。
キャットは少し苛立ったように、
「いや、聞きたいのはこの3人のことなんだが?」
「——キャット、黙って」
リディが遮って、空を目を覗き込む。空もちらっと目を合わせ、リディがまた頷くと、
「よく見て。何かある」
と空がもう一度指を差した。トラヴィスも壁際を離れ、キャットの傍らにやってきて画面を覗き込む。
そのあたりはピントが合っておらず、ぼんやりした緑の網の線も写っていて、キャットたちには空の言う〝何か〟がどれだかもわからない。
キャットはマウスを操作して、その一角を限界まで拡大した。画質は大きく乱れ、画面いっぱいにぼんやりした画像が広がっている。だが——
空の指が、画面の上で大きく円——いや、正確には楕円を描いた。
?!——
空の言うとおり、そこには〝何か〟があった。空の指は、その〝何か〟の輪郭をなぞっていた。そうでなければ誰も気付かない程度の微かな違和感。その部分——立てたラグビーボールのような楕円の内側だけが、周囲と様子が違っている。陽炎のように揺らいでいて、小さな青白い稲妻のようなものもいくつか見える。
「なんだ、これは?——」
キャットは、別の画面に表示されている、黒いウィンドウを操作し始めた。
「空はやっぱすげーな。こんなの、誰も気付かないぜ?」
トラヴィスは感心しきりだが、キャットと同じく、リディの表情は硬い。何かのノイズにしては、リディにも人工的に見える。ノイズならもっとランダムなはずだ。同じ理由で、カメラやレンズの問題でもないだろう。リディにもそれなりに信仰心があるので、霊的なものでも不思議には思わないが、それにしては楕円の輪郭があまりにもくっきりしている。なんらかの超常現象とも思えない。
すると、
「前にも見たことがある」
と空。
「はあ?!なにそれ!私聞いてない!」
あまりに驚いて、リディは声が大きくなってしまった。空が怯えたように身を縮める。
「——あ、ごめん。——でも、それ、どういうこと?」
キャットも手を止めて空をじっと見つめている。トラヴィスは首をかしげて何か考えているようだ。
「少し前——
「どこで?」
「家の近所。調布飛行場で一度。立川で一度」
「調布?——私の飛行訓練の時?——立川は〈フェル〉?」
「調布はそう。立川は〈フェル〉じゃない。スヴェンの研究所の近く」
「え?ダッド?」
空はゆっくり頷いた。
画面では、キャットが何らかの画像処理をしているらしく、様々な色に変化したり、粗くなったり細かくなったりを繰り返している。
「——なんなの?これ」
空はひと呼吸おいて、
「わからない」
と目を伏せた。
沈黙——空気が重い。あの五月蠅いトラヴィスまでが黙り込んでいる。キャットはくるくる変わる画面に見入っていて、空はデスクの一点を見つめている。リディも自分の視線が泳いでいるのを自覚しながら、初めて覚える、〝感覚の焦点〟が定まらない気持ち悪さに、身をこわばらせていた。
「ああ、やっと思い出した」
と、何やら考え込んでいたトラヴィスが、静寂を破った。
「さっきから思い出せそうで思い出せなくて——」
「何よ、何なのよ」
リディは口調がキツくなるのを抑えられない。
「ほら、ハリー・ポッターの映画のやつだよ。〈賢者の石〉だったかな?——〝透明マント〟。あれみたいじゃない?」
(何を言ってるんだ、こいつは——)
リディはいらいらに任せて、暴言を投げつけようとした。だがその時——
「できたぞ」
キャットの言葉に、全員が画面へ見入る。
そこには、先ほどの楕円の部分が、半透明な立体として映っていた。ラグビーボールよりもっと丸みがあり、人が一人二人入るほどの大きさ。明らかに、人が中に入れるほどの、太ったラグビーボール状の物体が、そこにある。
——〝透明マント〟
全員がトラヴィスの言葉を反芻していた。
(これはいったい——)
キャットは立ち上がって、すたすたと冷蔵庫へ向かい、少し乱暴に開けて〈レッドブル〉を取り出した。振り向いて、
「おまえらも要るんじゃないか?」
それを合図に3人とも立ち上がって、それぞれに冷蔵庫の前に集まって、キャットから〈レッドブル〉を受け取る。
プシッ
一気に飲み干したのはキャットとリディ。
トラヴィスは近くの椅子に座り、二、三度に分けた。
初めて飲む空は、まずちびりちびりと味を確かめ、ひと呼吸置いてから一気に飲み干した。
そして沈黙。教室一つ分ほどもある新聞部室で、それぞれにぞれぞれの場所に散り——
キャットはさらに別の方法で画像処理を始めた。
トラヴィスはスマホで、ハリー・ポッターの映画を探している。
空は窓際に立って外を見つめている。
リディは後ろからその空の姿を見つめている。
4人のタブレットから、軽やかなメロディーが流れ始めた。3時限目が始まる合図だ。
それぞれが振り返り、歩み出す。それぞれにタブレットを手に取り、二人ずつ並んで入り口から出て行く。空とリディ。キャットとトラヴィス。
彼らが後にした新聞部室には、再び静寂が訪れた。
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