その男、王国騎士であるが故に。②
兵舎のオーディールの自室は、殺風景だった。
寝具に、鎧と、そして壁にかけられている大槍。
それが、オーディールの持つ全てだった。
オーディールは黙々と準備を進めていた。
ミミングウェイ嬢が見ている前だというのに、平然とタキシードを脱ぎ捨て、全身が傷だらけの、鍛え抜かれた鬼が浮かぶような背中を晒したかと思えば、鎧を身につけていく。
戦いに出ようとしていることは明白だった。
「なぜ彼の王が王権を手放したか知っていますか、オーディールさん」
「……奪われたのだろう? 今の公爵達に」
思いの外、話しかけてみれば、きちんと受け答えしてくれるもので。
ミミングウェイ嬢は、ギュッと襟元を掴みながら着替えを見守り、言った。
「いいえ、違うんですよ」
そこで、会話が途切れる。
だから、なんなのだ。と、オーディールは背中で語った。
ミミングウェイ嬢は、続ける。
「ところで、この国には昔から有名な戯曲がありますよね」
「戯曲? 劇のことか?」
急に話が変わったなと思いながら、オーディールはガントレットを身につける。手をワキワキさせ、きちんと装着できていることを確認した。
「ええ、その物語『落陽王』は──王が騎士を愛してしまったことから起こる悲劇、です」
「それが何の──、え?」
そこで、やっとオーディールはミミングウェイ嬢の方を見た。
装備を身につける手も止まってしまう。
今の会話の流れでは、まるで、それは──。
王が騎士を愛してしまったから、王権を手放したとでも言っているかのようで。
動きを止めてしまったオーディールに、ミミングウェイ嬢は頷いた。
「……史実なんですよ。
だから、歴史の闇に葬り去られたんです。
愛のために彼の落陽王──ボゴテンシスは全てを捨てた」
それは、オーディールも知らない事実であった。
国を守るための王国騎士には、ただ王が最後にこの国を守ることを己らに命じたことさえ知っていれば、それだけで事足りたからだ。それは国を守るのに必要のない情報だった。
そして、会場で周りの公爵どもがあいつらを見て、『ボゴテンシスと同じ……』と、騒めき立っていた理由も今になってわかった。
けれど、オーディールには腑に落ちないところがある。
「いやだがあいつらが、子息がいるだろう!?」
オーディールは王国騎士が故に、王国騎士団を創設したアマビリスが男なことも、そしてボゴテンシス王が、勿論、男なことも知っている。
その二人が愛し合っていたのなら、なぜあの二人が存在している?
「男同士で子供ができるわけが──」
「ええ、だからその後なんですよ」
吐き出すように、襟元をギュッと掴んで、それと一緒に顔もギュッと何かを痛みを堪えるように皺を寄せ、ミミングウェイ嬢は最後の真実を語る。
「王として、それに仕える騎士として、二人は子息を作り、けれど、愛を捨てることはできなかった。そして、二人は全てを捨て、愛に生き、その末に命を絶った。
国を建てた王が同性愛者だったなどと、認めるわけにはいかなかったんです。
だから、王国であったことさえも隠し、この国はコーレリア大公国となった」
それが、このコーレリア大公国が王国から大公国となった理由であり、原初の罪であり、黒塗りにしてでも隠したい、まさに黒歴史なのだった。
オーディールは、呆気に取られていた。
国を守った神話の建国の英傑二人が、ただその愛のためだけに身を滅ぼして、その一族も周りから追いやられ続けていた?
「俺にはわからん。
愛のために富も名誉も権力も全てを捨てるなぞ」
この男、武術以外全くの門外漢である。
だから、オーディールは色恋沙汰など経験したことがなかった。
自身が思慕のようなものを、自覚したことも。
そして、きっと、この人はそういう人なのだろうな、と、ミミングウェイ嬢も分かっていた。
「武だけを求めてきたオーディールさんには分からないのかもしれませんね」
それは、お嬢さんとしては馬鹿にしたつもりはなかったのだが、オーディールは頭を小突かれたような想いだった。
「あん? そういうお前はわかるのか?」
「さあ。でも、戯曲とは違う結末もあり得るのかもしれませんよ」
「ふん」
オーディールは不満げに鼻を鳴らしてみせた。
オーディールにとっては、歴史の隠された真実など、全くもって、くだらない話だった。
だって、そうだろう。
愛なんかのために命を絶った二人も、だが。
それよりも何よりも。
そんなことのために、自国を守った英傑を追いやった周りの奴らが、だ。
オーディールは、腹立たしかった。
そんなもののせいで、末裔であるアイツらは寄ってたかって命を狙われ人を殺さねばならなかったのか? くだらなすぎるだろう!
このままでは、オーディールは、今や、この国の全てにその義憤を向けかねなかった。
黙々と、準備を再開する。
装備の留め具が、外れてないか、確認する。うん、大丈夫そうだ。
「オーディールさん、二人を追うんですか?」
歴史の真実を聞いたというのに、準備を再開し、装備の確認の手を止める様子がないオーディールに、ミミングウェイ嬢は問いかける。
それでも、行くのですか、と。
「俺は責務を果たさなければならない」
その問いに、当然とでも言うかのように、オーディールは憮然と応えた。
「ですが、手出し無用と」
ミミングウェイ嬢が言っているのは、仮面舞踏会でのスケラ大公の発言のことだ。
「それはあくまであの場での話だ」
そもそも、オーディールを含めた王国騎士団は、スケラ大公の配下などではない。あの場で、スケラ大公に従い、手を引いたのは、あの場にいる公爵どもの命を優先したに過ぎない。
「俺は、王国騎士団団長だ。たとえ大公が許そうとも法までもが手放しで奴らを許すべきではない。俺は自分の信じた正義を執行する。
……それに、劇には敵役がいた方が盛り上がる、というものだろう?」
この話の流れでは、自分が『悪役』なのだと、オーディールにも分かっていた。
ミミングウェイ嬢が、自分を暗に止めようとしていることも。
「……違いない、ですね」
ミミングウェイ嬢も力無く頷く。
それでも、手放しで無批判で彼らを許すなんてことはあってはならないのだから。
王国騎士であるが故に。
影の法の守護者であるが故に。
オーディールは己を曲げるわけにはいかなかった。
「お前も俺を咎めるか」
きっと、また対立してしまうのだろうな、そんな自嘲が籠った言葉だった。
少し考えて、お嬢さんは口を開いた。
「……確かに私は、あの二人にどうか幸せになってほしいと思いますが……」
そして、寂しく笑う。
ミミングウェイ嬢のその表情を、ついこの前オーディールは見たことがあった。
確か、自らの血族と戦わねばならない事情を話した時で。
ああ、このお嬢さんは敵対したくない人と敵対してしまう時に寂しく笑うのだと、オーディールは理解した。
目の前のお嬢さんと対立してしまうことを、オーディールもまた寂しく思っていた。そんな自分が確かにここにいた。
けれど、ミミングウェイ嬢はオーディールにとって、予想外のことを言ってのけるのだった。
「貴方は私が二人を庇って逃した後、私は間違ってないって言ってくれましたね。
──なら、私も貴方にこの言葉を贈らせてください。貴方は貴方の正義を信じてください。貴方だって間違ってなどいないはずです」
そして、胸の前で手を組み。目を瞑り、傅いてみせる。
それは、祈りだった。
仮面を外し、メガネを掛けておらず、普段とは違って巻いた髪を後ろでまとめ、一心に祈るミミングウェイ嬢のその姿は、まるでどこぞの物語のお姫様のようで。姫が自分に仕える騎士の無事を祈る姿によく似ていた。
「──ご武運を」
「ミミングウェイ……」
自身とは対立する立場であるというのに、自らの無事を願うその姿は真剣そのものだった。
数日共に捜査し、仮面舞踏会の間ちょくちょく会話を交わす程度ではあったが、そこに確かに絆をオーディールは感じていた。
そして、それはきっと目の前のお嬢さんも同じだったのだ、と。
それだけで、オーディールは救われた心地だった。
胸に何かが満ちていく。
それを、不器用なオーディールには言語化ができなかったし、するつもりもなかった。オーディールは、ただ受け入れていた。
「……あいわかった。行ってくる」
もうすっかり、準備は整っていた。
最後に、アマビリスの起こした王国騎士団である証の、狼を模したヘルムを頭に被り、壁にかけられていた大槍を手に取った。
決意を胸に、大槍を携え、オーディールはその場を後にするのだった。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
オーディールが去ってしまって、何もない部屋にミミングウェイ嬢は一人取り残されていた。そして、誰も聞くものはない部屋の中で、独りごちる。
「非科学的な話ですが、もしも彼らが生まれ変わりだというのなら今生では──いえ、言っても詮無いことですね」
そして、誰も、他にはいない部屋で、ただ一人。
ミミングウェイ公爵家の、そのご令嬢は、そのまま騎士団長の部屋で傅いたまま、全ての者の無事を祈るのだった。
────────
────
──
アイツらを追ってひた走る。馬を駆けさせる。
きっとアイツらが目指すとすれば、一番近い国境線だろう。
このまま、アイツらを逃してもきっと誰も悲しまない。
それどころか、皆が皆、祝福するのだろう。
この世界が仮に物語だとするのならば、アイツらはきっと主人公側だ。
だが。
その、足元にどれだけの骸が転がっている?
それらを誰が慮ってやれる?
それを皆が皆、見ない振りをしていいとでも言うのか?
可哀想な奴らが幸せになるのなら?
頭を振って迷いをかき消す。
あいつらが可哀想なことぐらい分かっている!!
それでも、俺は──!!
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
私は最初、誰かを命を賭してでも守るということが嫌でなりませんでした。
剣の稽古の時も、父はずっと厳しく、幼い私に「お前が主人を命を賭してでも守るのだ」と、言い聞かせていたものですから。
そして、ついに現れた私の主人というのが、マーニ様で。
か弱くて、そして、誰かが傷つくことを本気で悲しむことができるマーニ様だから、いつの間にか、その感情は消えていて。
けれど、これまで私は命を賭すような場面など、本当の意味で出会(くわ)したことなどなかったのです。罪と罰を被って消えようとしていた私をマーニ様が引き留めてくださって以来、私はアマビリスの狼血として、戦神のように戦えたのですから。
だから、父のその言葉の意味を本当の意味では分かっていなかったのかもしれません。
今、この時までは。
──
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