その男、王国騎士であるが故に。①


 仮面舞踏会の会場をハティとマーニは悠然と手を繋いで歩きながら去っていく。会場客の公爵達は、二人を避けるように道を譲った。その様は、まるである預言者が海を割って歩いたという伝承の様だ。

 けれど、それに待ったをかけるものが一人。

 アッシュグレイの髪の顎に傷を持つ目つきの鋭い男──オーディールだ。


「待て!」


 静止の声を張り上げ、果敢に飛び出して行こうとするオーディールだったが、その前を黄金の太陽──スケラ大公が遮った。


「よい! オーディール。行かせてやりなさい」

「ですが!」


 なおも食い下がるオーディールに、スケラ大公は再度言い聞かせる。


「先ほども言ったはずだ。この場で、これだけの客人を一人も死なせずに狼血から守り切れるというのか」

「……くっ」


 そう言われてしまえば、オーディールはこの場では歯噛みして去っていく二人の後ろ姿を目で追うことしかできなかった。確かに、この場において、不十分な装備で周りの人間をあの銀狼から守り切るなど不可能どころか、おそらく自分もあっという間に返り討ちにされるだろう。……その為の仮面舞踏会か。

 オーディールは悟った。

 おそらくこの爺様は全て計算づくだ。きっとあの晩もお嬢さんが自分を止めることを計算に入れていたのに違いないし、あの二人にとって最大の障害になりうるだろう自分を、弱体化しこの場に留めて、二人が国を出ていくまでの隙を作ったのだ。

 このままでは、初めてあの二人と遭遇し取り逃した晩と同じだった。

 オーディールの視界の先で、どんどん二人の後ろ姿が小さくなってゆく。

 視線で射殺す勢いで去っていくハティとマーニを睨みつけながらも、いまこの瞬間は二人を追うことを諦めたオーディールを、スケラ大公は横目で視界に入れながらも会場の公爵たちに向かって振り返り、声を張り上げた。老齢なその体にそぐわぬほどの凛と威厳のある大きな声が会場に轟いた。


「公爵の者達も、此れより彼らに手出しは無用だ。よいな!」


 腕を振って、命を下す。

 誰も異論を挟む者はいなかった。

 いるはずもなかった。

 スケラ大公は異論がないことを確認し、続けた。


「此度のことは我らにも責があろう! 我らが、彼らを追い詰めてしもうた。必要のない諍いを繰り返し、我らが最初の王が遺してくださった平穏から彼らを追い出してしもうた。彼らが罪人だというのなら、我らはなんだというのだ!」


 その声は、怒りとも悲しみともつかぬ感情で震えていた。

 それはソール・コルネリウスを守れなかった悲哀か自己嫌悪か。政争を止められなかった自身も含め、政争に明け暮れる公爵たちへ、スケラ大公は、感情を抑えながらも露わにし、懸命に訴えかけていた。

 この会場には、ミミングウェイ公爵家、そのご令嬢も未だ会場にいた。

 スケラ大公の言葉に心当たりのある幾人かが、顔をそっと伏せているのを、会場にいるミミングウェイ嬢は気づいていた。その中に仮面舞踏会中避けていた実の父であろう姿も、含まれていた。

 スケラ大公の訴えは続く。


「もはやこの国は彼の王の遺した楽園などではない!」


 平和だからと、刺激を求め、欲を掻いて他者を貶める謀略が行き交うこの国は、楽園であるはずもなかった。

 自身の手でそれを壊してしまったのだ。


「ゆめゆめ今日という日を忘れるな! われらこそが罪人であり、我らは王の子に見放されたのだ!」


 そして、スケラ大公の言葉は終わった。

 スケラ大公の一喝が終わってしまえば、会場はしんと静まり帰り、誰も言葉を発しようとする者はいなかった。ハティとマーニの二人の姿もとっくに見えなくなっていた。

 平和を持て余した貴族たちによる、仮面舞踏会は、これ以降、暗い沈黙に包まれるのだった。

 ならば、この場にオーディールがこれ以上とどまる必要もない。仮面舞踏会はこれでお開きなのだから。

 オーディールは、スケラ大公の一喝が終わると同時に仮面舞踏会の会場を飛び出していた。

 会場を出て、元王城の長い廊下を左右に見渡しても、二人の姿はもう見当たらなかった。

 オーディールは廊下を駆け出した。

 目指すは、兵舎の自室。先ずは、装備を取り替えなければならなかった。

 そんな男を追いすがる者が一人。ミミングウェイ公爵家、そのご令嬢であった。仮面を外し、ドレスの裾を持ち上げ、小走りでオーディールを追っている。オーディールは、気づいていたが、何も言わなかった。

 元王城の廊下を、階段を、その敷地を、通り抜け、オーディールは肩をいからせながら兵舎へとズンズンと向かっていく。

 そして、兵舎のオーディールの自室まで、ついぞ二人は言葉を交わすことはなかった。

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