仮面舞踏会①

 元王城。その大広間。

 大広間の中央では、仮面舞踏会に相応しく国一番の楽団による穏やかな舞曲パヴァーヌから始まり、続けて速く盛り上がるガリアルド、サルタレッロが奏でられ、それに合わせて多くの仮面の男女が体を揺らしていた。

 それを壇上の、本来は玉座であった立派な椅子にスケラ大公が座り、仮面舞踏会の招待客を見守っていた。仮面をかぶっていても、スケラ大公は、その燃える黄金のような毛並みで全く正体を隠せていなかった。が、こういうのは様式を守るのが大事なのだろう。

 そんな仮面舞踏会の会場の端に、狼の仮面をつけた男──オーディールは腕組みをしながら壁に寄りかかっては、辺りに視線を張り巡らせていた。彼もまたスケラ大公とは別の角度から仮面舞踏会の招待客たちを見守っていた。

 仮面舞踏会の会場はダンスフロアを中心に、外縁には招待客をもてなす軽食が用意されていた。白いテーブルクロスの机が立ち並び、そこにさまざまな軽食が宝石のように、彩りを加えている。そこで踊り疲れた、もしくはこれから踊り相手を見繕おうとする男女が、仮面越しに相手の顔色を窺っている。

 グラス片手に、仮面を被り、談笑を交わしながら相手を値踏みする。そんな営みに、オーディールは辟易としていた。


「仮面舞踏会なぞ、呑気なものだ」


 貴族が殺される事件が続いているというのに。

 つい、心のため息を漏らしてしまう。


「案外、こういうことが大事だったりするのかもしれませんよ」


 すると、予想外の返事が返ってくるもので。

 オーディールが声に視線を向ければ、すぐ側に一人仮面をつけた女性が近くに佇んでいた。

 品のいいドレスだ。デコルテの出ていない露出が少ない黒のドレス。それに銀の刺繍が奥ゆかしさを醸し出していながらも、ただの地味なドレスじゃないことを知らしめている。仮面は、カラスを模したものだろうか。

 女性は、近くのテーブルに手に持っていたグラスを置いて、再度、口を開いた。


「一曲踊っていただけませんか?」


 どうやら目の前の貴婦人は、オーディールを仮面舞踏会の招待客だと勘違いしているのらしかった。


「申し訳ありませんが御婦人よ。私は警備のものでして」


 オーディールが、警備の者として懇切丁寧に誤解を解こうと口を開くと。

 目の前の貴婦人は口元に手を当てて、上品に笑った。


「あはは、この格好でしたらお前じゃなく御婦人と呼んでくださるのですね」


 それで、ようやくオーディールは目の前の貴婦人の正体が分かった。

 自分が、公爵の女性で関わりを持っている人物など、一人しか該当しない。


「お前……、公爵令嬢か」

「ここにいるのはみんな公爵ですよ、オーディールさん」


 そして、愉快そうに揚げ足を取られる。

 ミミングウェイ公爵家のご令嬢だった。

 俺が公爵令嬢かと言えば、自分のことを指しているだろうと分かるだろうに。

 

「はぁ……」


 お嬢さんになら遠慮することはないと、これ見よがしにため息を吐いたものだから、早速、それも指摘される。


「あら、外行モードはもう終わりですか?」

「ふん、お前に取り繕ってももう遅いだろう」

「かもですね」


 もう見知った仲なので、お互い気負わずに会話を交わす。

 オーディールは、さっきまで仮面舞踏会に窮屈な想いをしていたのだが、見知った相手と出会えたことで、幾分が気が抜けた。

 もっとも、警備の公務中であるから、完全に気が抜けた、というわけではないけれど。


「で、大事とはどういうことだ?」

「え?」


 なんの話か分からずに、ミミングウェイ嬢は首を傾げてしまう。


「お前が言ったんだろう、仮面舞踏会が大事だと」

「ああ」


 ミミングウェイ嬢は頷きながら、自分が言ったことを思い出した。


「この国は平和ですからね。こういった刺激がきっと必要なんでしょう」

「ここに来ることなどない平民の者は、日々仕事に勤しんでいるがな」

「それにしたって生活が苦しかったり演劇を楽しんだりするでしょう? 貴族だって政務が大変かもしれませんが飢えることはありませんから」

「だから、刺激が必要だと?」

「ええ」


 平和で刺激がないから、仮面舞踏会のような息抜きが必要。

 それは、分からなくもないが。

 だが、貴族どもというのは、裏で血みどろの足の引っ張り合いをしているものだ。

 今、近くにいる奴らだって、談笑しているが、仮面の裏ではどんな表情を浮かべているか分かったものじゃない。

 毎日、意図を隠して、腹芸をして、こいつらにとって、毎日が仮面舞踏会のようなものではないか。

 本当に必要があるのか?

 仮面舞踏会も、凄惨な政争も。

 あるわけが、なかった。少なくとも、オーディールには、あるとは思えなかった。


「この国は平和過ぎたのやもしれんな。だから貴族どもはくだらない政争に明け暮れて、必要もない敵を作っては血で血を洗う。そして、アイツらみたいなやつが産まれた」


 オーディールの脳裏にあるのは、つい先日。自分が相対した二人だった。

 王子と。それを守る銀狼。

 後ろに控える主君を守ろうと狡い真似だろうが、なんでも使うと覚悟して、その美しい姿を砂まみれにしてでも、懸命に戦い、王国騎士団、その団長、つまり、国の者として最強であるこの自分に一撃入れてきた。


『別に好きで亡霊をしてるわけじゃあないんですよ』

 

 銀狼は、そう言っていた。

 彼らは、目の前にいるような貴族どもが平和を持て余して、政争に明け暮れたりなどしなければ、人殺しに手を染めなかったのではないか。

 であるならば、本当に悪いのは誰なのか。そして、なぜそんな奴らが平気でこんな場に出向いて談笑できるというのか。

 笑えない。全くもって、こんな場所でオーディールは笑えなかった。

 オーディールが言葉に発しないながらも、静かな怒りを感じているのを気取ったのか、ミミングウェイ嬢は顔を伏せた。

 お嬢さんも、あの二人に思うところがあるのだろう。


「貴族はお嫌いですか」


 ミミングウェイ嬢の声を落とした言葉に、オーディールは深く頷いた。


「ああ、嫌いだね」


 と、言った後で、そう言えば一つ約束があったな、と、オーディールは思い出した。

 目の前のお嬢さんに自分が捜査の役に立ったなら、偏見を払拭してほしい、と。それに、自分は『お前に対しては』という含みを持たせた上でだったけれど、頷いたのだ。

 そして、目の前のお嬢さんはやってのけたのだ。

 その知恵と善性で持って。

 ……それぐらいは、伝えてやってもいいか。


「まあだが、スケラ大公以外にもお前のような善人もいるということは此度で分かった」

「!」


 お嬢さんは、オーディールの言葉に一度は伏せた顔をぱっと上げた。

 リップサービスではない。

 約束をわざわざ履行するまでもなく、とっくに、オーディールは気を許していた。

 それに、あの場では対立してしまったけれど、己が身を差し出してでも、誰かを庇えるその精神性は、決して嫌いではなかったのだ。

 そのまま、二人並んで、遠巻きに仮面舞踏会の会場を眺める。

 そうしていると、「あ」と、思い出したようにミミングウェイ嬢は声をあげた。なんだ? と、仮面の下で片眉を上げながら、オーディールが訝しんでいると、服の袖を小さく引っ張られる。


「一曲、踊ってくれません? 私貴方ぐらいしか誘える人いないんですよ」


 そう言えば、そうやって声をかけて来たなということをオーディールも思い出した。

 けれど、


「俺は公務中だぞ」


 そんなことをやってる暇なんてものは、オーディールにはない。


「でも、仮面つけてるじゃないですか」


 確かに、オーディールは狼の仮面をつけている。

 戦神アマビリスにあやかった意匠のものだ。

 だが、オーディールもつけたくてつけているわけではない。


「そりゃあ、そうでなければ仮面舞踏会の雰囲気をぶち壊しだろう」


 装備もその場に合わせて、戦闘向きでない仮面とタキシードだ。

 中に鎖帷子を着込み、腰に剣を吊ってはいるが、これではあのアマビリスの子孫である銀狼と渡り合うのには不足だと前回で知り得ている。

 本来の得物でなければ、アレには勝てない。

 それも含めて、オーディールは仮面舞踏会が嫌だったのだが。

 悲しき哉、オーディールも公務においては、それに見合った格好をしなければいけないのだった。

 そして、そういったしがらみというものは目の前のお嬢さんにもついて回っているようで。


「実は、しつこく求婚してくる人がいて困ってるんです。これでも、公爵の者ですから」

「仮面舞踏会なのに正体がバレたのか」


 それじゃあ、仮面舞踏会の意味がないだろうに。

 オーディールは、呆れと疑問が混じった声を漏らした。

 

「知り合いなら立ち振る舞いを見れば仮面をつけてたって、わかりますよ。私も貴方が腕組みして壁に寄りかかっているので、すぐに分かりました」


 確かに、このお嬢さんは自分を見分けて話しかけて来たな。

 ふむ。と、一度、辺りを軽く見渡せば、こちらをチラチラ見て様子を窺っている男どもがいた。

 求婚してくる相手というのは、アイツらか……。

 そして、一人かと思えば、複数人で。

 意外とこのお嬢さんはモテるんだな、と、オーディールは仮面の下で渋い顔をする。

 まぁ、気立てはいいし、知の一族ミミングウェイ公爵家のご令嬢ということで間違いなく教養もあるのだし、それに……。

 不躾ながら、オーディールはミミングウェイ嬢の全身に視線を走らせる。

 仮面を被り、派手ではないが、じっと見ていると静かな煌めきが漏れ出てくるような銀糸の刺繍で飾られた質の良い上品なドレスを身に纏ったその姿は、とても似合っていた。それは、いつもの芋っぽい雰囲気のお嬢さんからはかけ離れたもので、でも、知性あるものが見に纏う奥ゆかしさというものをよく表している。

 どうやら、あの男どもは見る目はあるのらしい。

 そして、そんな男どもに目をつけられ、お嬢さんが困っている。

 困っていると言うのなら、オーディールは助けるのもやぶさかではなかった。


「……分かった。一曲だけだぞ。後、俺はダンスなどやったことなぞないからな」

「でしょうね」

「おい」


 誘いに乗ってもらっておいてあんまりな物言いに、ついつっけんどんな口調で返してしまう。

 失礼だろうが。という意味が込められた二文字に。ミミングウェイ嬢はクスクスと仮面の下で笑みを溢して。それを見て、オーディールは「はぁ……」と、ため息を溢した。

 いつの間にか、お互いに素で話すようになっていることに二人はまだ気づいていなかった。

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