第30話 「みんなの前でスピーチ」


放課後のチャイムが鳴って、教室のざわめきがゆっくりと薄れていく。


俺は人目を避けるようにして、校舎裏のいつもの道を進む。草の匂いと静かな空気。誰にも見つからない抜け道を通って、校舎裏の倉庫――通称“物置”へ。


その扉を開けると、やっぱり彼女は先にいた。


段ボールの上に腰かけて、いつものジュースを片手に、どこか落ち着かない様子で足を揺らしている。千春先輩だ。


「お疲れ様です」


「よ、少年。来たな。お姉さんちょっと今、不安定モードだぞ」


 ……んん?正直だな先輩。


「え?珍しいですね、先輩がそんなテンション」


「だってよぉ……」


缶ジュースをテーブル代わりの箱に置いて、先輩は両手で顔を覆う。次に顔を上げた時には、口をへの字に曲げていた。


「次の全校集会で、あたし、生徒代表としてスピーチすることになったの」


「えっ、それって……全校生徒の前で?」


「うん。なんか新入生歓迎イベントで、在校生の代表からひとこと〜的な。先生たちは“千春なら余裕でしょ”ってノリだけど、めっちゃハードル高いじゃん〜」


普段は何事にも動じなさそうな先輩が、こんなふうにテンパってるの、珍しい。


「俺から見たら、先輩なら絶対平気って思いますけどね」


「そういうのが逆にプレッシャーなんだよなぁ……」


「なるほど……じゃあ、アドバイスしますよ」


「おっ、出たな少年の知恵袋。聞こうじゃないか」


何が『出たな』なのかは分からないがまぁいい。

 先輩が腕を組んで俺の方を見る。その目が、ほんの少しだけ頼ってるように見えた。


俺は少し考えて、口を開く。


「……あの、スピーチの途中で“この学校を、愛しています”とか言ったら、ウケますよ」


「…………え?」


「……“全校生徒の皆さん。僕はこの学校を、心から愛しています!”って」


「……ぷっ、はははっ!なにそれ!?ダサっ、超くさい!」


千春先輩が声を上げて笑い出す。段ボールの上でバランス崩しそうになって、あわてて手をついて体勢を立て直していた。


「えぇ……真面目に言ったのに……」


「いやごめん、面白すぎて無理だった。でも、ありがと。なんかちょっと緊張ほぐれた」


「え、まじですか?」


「うん。お姉さんのことちゃんと考えてくれてるなーって思ったら、なんかうれしくなった」


「……えへへ」


「えへへ、じゃない。ほら、あたしが“この学校を愛してます!”って言ったら、絶対笑うくせに」


「それは……すみません、笑います」


「だろー!?」


お互い、クスクス笑いながらジュースに手を伸ばす。くだらない会話だけど、先輩が少しでも楽になったならそれでいい。


「でも、ガチな話。人前で話すのって、苦手なんですか?」


「昔は全然平気だったんだけどさ。最近は逆に、“期待されてる自分”を裏切ったらって思うと、変に緊張しちゃってさ。たまには崩してみたくなるんだよねー、イメージってやつを」


「イメージ、ですか」


「ほら、あたしっていつもテンション高めで強気で、みたいなやつ。でもほんとは、たまにめっちゃビビるし、スピーチとか夜中に原稿読んで悩んでたりもするし」


「……先輩、それはもう十分“普通”ですよ」


「え、そっか?」


「はい。ちゃんと悩んで、ちゃんと準備して、ちょっと怖くなるのって、むしろ真面目ってことじゃないですか」


千春先輩は一瞬、口を閉じて黙る。


そのあと、ゆっくりと肩の力を抜いた。


「……真面目か。そうかもな。少年、たまにズレてるけど、ちゃんと人のこと見てんだな」


「え、褒めてます?」


「褒めてるとも。お姉さん、感動した!」


そう言って、千春先輩は俺の頭をぽんぽんと軽く叩いた。


「ありがとな、陽真くん。スピーチ、頑張ってみるよ」


「はい、楽しみにしてます。……愛してます、はやめた方がいいと思いますけど」


「……わかってるわっ!」


小さな物置の中、缶がぶつかるカシャンという音と、二人の笑い声が響いた。


誰もいない放課後の秘密基地で、俺たちはいつものように、少しずつ、でも確かに距離を縮めていく。

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