第28話 「ただいま」

 放課後。

 チャイムが鳴ると同時に、荷物をまとめながら、俺は机の上で少し悩んでいた。


(……今日は行くって言ったよな)


 いや――行くとは言ってない。

 でも、言葉にしなくても、あの空気は、そういうことだったと思う。

「また来てよ、少年」って。あれは、つまり――


「……よし」


 小さく呟いて立ち上がった。

 気持ちを整えるために、少しだけ深呼吸してから、教室を出た。


 向かうのは、あの物置。


 どこか懐かしくて、でも、久しぶりすぎてちょっと緊張する。

 階段を上り、裏手の渡り廊下を通り、扉の前に立つ。


「……」


 手をかけて、ゆっくり開けると――


「あー、遅いぞ、少年。あと5分で置き去りにするとこだった」


 そこには、いつも通りの白河先輩がいた。


 床に座って、お菓子を広げて、ペットボトルのお茶を片手に。

 まるで昨日も会ってたかのような、変わらない様子。


「……ただいま、とは言えないけど」


「言えよ。全然言っていいんだよ? なんなら“先輩が恋しくて戻ってきました”でも可」


「いやそれはハードル高すぎるんで……」


「むっ、少年、ノリが悪いぞ? この前泣きそうな顔してたのに?」


「それ言います? 今言います?」


「言うに決まってるじゃん。だってめちゃくちゃ可愛かっ――」


「やめて!続きは言わないで!てか何そのニヤニヤ!」


 先輩は手で口元を隠して笑っていた。

 その笑い方がいつも通りすぎて、俺の肩の力も自然と抜けていく。


「まぁでもさ、戻ってきてくれてうれしいよ。冗談抜きで」


「……俺も、戻ってこられて、よかったです」


「ふふん、だろー? 私のもとに帰ってきて当然だ、少年!」


 先輩はドヤ顔でお菓子の袋を差し出してくる。

 俺はありがたく受け取りながら、ふと隣に座った。


「……なんか、変な感じですね」


「ん?」


「つい昨日まで、ここに来るのが怖かったのに、今はここに来たら逆に落ち着くっていうか」


「おお、それは成長では?」


「いや、俺が勝手に拗らせてただけですけど」


「ま、それをちゃんと認められるのも成長ってやつだよ。

 自分のことって、一番分からないけど、君はちょっとずつ分かるようになってる気がするよ」


 なんか、こういうときの白河先輩って、無駄にかっこいいんだよな。

 ちゃんと見てくれてるっていうか。


 でも、本人は気づいてないっぽいのがまたズルい。


「……先輩も、あれですか。物置に来ない間、ちょっと寂しかったり?」


「うん、めっちゃした」


 即答だった。


「え、即答……」


「めっちゃ寂しかったし!なんか空気が違うし!“お菓子の減りが遅い……これは陽真がいないせい……”ってなったし!」


「俺、お菓子消費係みたいになってます?」


「いやでも実際そうだし。陽真いないと、なんか甘いの食べても味しないしなー。まぁ長持ちするって言う点では嬉しかったんだけどな!」


「それ、ちょっと嬉しいけど複雑です」


 ふたりして笑う。

 ほんとに――戻ってこられてよかった。


「にしてもさ、結局、噂の件って落ち着いたの?」


「ああ、まぁ……なんとなく。新しい話題も出てきて、そっちに流れていきましたし」


「なるほど。まぁでも気にしすぎなさんな、少年。私たち、何もやましいことしてないし」


「そうですね……むしろ、“物置でお菓子食って笑ってただけ”ってバレたら、それはそれでダサいですよね」


「それ言うな!夢を壊すな少年!」


 またふたりして笑う。


 ちょっと前の気まずさも、噂のモヤモヤも、こうやって笑って話せるようになっただけで、少し強くなれた気がした。


 まだ“ただいま”とは言えないけど。

 でも、きっとまた、ここで一緒に過ごせる。


 そんな予感が、ちゃんとするのだった。

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