第10話 :工房の秘密と指揮者の影
重苦しい機械油と、微かに甘く金属的なクロノタイトの匂いが漂う「忘れられた工房」。カイとリリィは、資材の影に身を潜め、息を殺して内部の様子を窺っていた。オートマタ・サーカスのメンバーたちが、巨大な機械を操作し、黙々と作業を進めている。その数は、ざっと見ただけでも10人以上はいるだろうか。彼らの動きには一切の無駄がなく、まるでプログラムされた人形のようだ。
「……奥へ進んでみましょう。あの機械が何なのか、もっと近くで見たい」
カイが小声で囁くと、リリィは頷き、音もなく動き出した。二人は、壁際の影や巨大な装置の陰を利用し、見張りの視線を避けながら、工房のさらに奥へと進んでいく。
進むにつれて、工房の全貌が明らかになってきた。壁には、理解不能な数式や複雑な幾何学模様が描かれた設計図のようなものが何枚も貼られている。作業台の上には、加工途中のクロノタイト結晶や、見たこともない合金で作られた部品が無造作に置かれていた。そして、工房の中央には、ひときわ巨大で異様な装置が鎮座していた。複数のアームが取り付けられ、歯車とパイプが複雑に絡み合い、その中心部では青白い光が不安定に明滅している。まるで、巨大な機械仕掛けの心臓のようだ。
「あれは……一体……」
リリィが息を呑む。
カイもその光景に圧倒されていた。機工師としての知識を総動員しても、あの装置が何なのか、皆見当がつかない。ただ、本能的なレベルで、あれが途方もなく危険なものであることだけは理解できた。クロノタイト結晶から抽出したエネルギーを、無理やり凝縮・制御しようとしている? それがもし暴走したら……。
「設計図の一部が見えます……」
カイは視力を強化するスキルを使い、壁の設計図に焦点を合わせる。
「『境界位相変調器』……? それと、『クロノス・コア同期率』……『創発トリガー』……?」
断片的な単語。しかし、カイの計算生命科学の知識が、それらの言葉の危険な意味を直感させた。境界、つまり現実と仮想の境界を位相変調…歪める? クロノス・コアと同期し、創発現象を引き起こすトリガー? まさか、ブリード現象を意図的に、しかも大規模に引き起こすための装置なのか?
「まずい……これは想像以上に……」
カイがそう呟いた時、ふと、隅の方にある小部屋が目に入った。扉は少しだけ開いている。管理室だろうか? 手がかりがあるかもしれない。
「リリィさん、あそこへ」
二人は再び慎重に移動し、小部屋へと滑り込んだ。中は比較的整頓されており、壁にはモニターがいくつか設置され、テーブルの上にはデータ端末が置かれていた。誰かがここで作業の指揮を執っているのかもしれない。
カイはデータ端末に近づき、アクセスを試みる。幸い、ロックはかかっていなかった。おそらく、内部の人間しかアクセスしない前提なのだろう。端末には、作業日誌のようなファイルが残されていた。
『……第7次接続実験、失敗。クロノタイト結晶のエネルギー出力不安定。コアへの同期率3.7%どまり。許容レベルに達せず』
『被験体No.12(機工師ギルド出身)が精神混濁。これ以上の負荷は危険か。「指揮者」は計画の前倒しを指示。代わりの”部品”はいくらでもある、と』
『「境界融解」は想定以上に進行。クロノス(都市)各所で観測される小規模ブリードは、我々の実験の影響か、あるいはコア自体の変調か? 要観察』
『「灯守」による妨害工作の可能性を考慮。工房周辺の警備レベルを3に引き上げ』
「指揮者……やはりリーダーがいるんだ。それに、機工師ギルド出身の被験体って……やっぱり、攫われたプレイヤーたちが!」
カイは日誌の内容に戦慄した。彼らは、ブリード現象を加速させるような実験を行い、そのためにはプレイヤーすら「部品」として使い潰すことを厭わないらしい。そして、「灯守」は彼らの計画を妨害しようとしている?
「『境界融解は想定以上に進行』……どういう意味だ? あいつらの実験のせいだけじゃないってこと?」
リリィもモニターを覗き込み、険しい表情で呟く。
その時だった。
『侵入者警報! セクターC-4に未確認生体反応!』
部屋の外から、けたたましいアラーム音と、オートマタ・サーカスたちの声が響き渡った! データ端末を操作したことで、何らかのセキュリティに引っかかったらしい。
「まずい、見つかった!」リリィが叫ぶ。
「脱出します!」
二人は小部屋を飛び出し、来た道を引き返し始めた。しかし、すでに工房内は騒然となっており、複数のオートマタ・サーカスたちがこちらに向かってきていた!
「数は5…いや、もっと来るわ!」
リリィが蒸気銃を構え、牽制射撃を行う。パンパンッ!と乾いた音が響き、一体のオートマタの動きが鈍るが、すぐに他のメンバーが連携して壁を作ろうとする。
「カイ、援護!」
「はい!」
カイは準備していた『スモーク・グレネード』を足元に叩きつける。ブシュッ!という音と共に、濃い蒸気が瞬く間に周囲に充満し、視界を奪った。
「こっちです!」
カイはリリィの手を引き、煙に紛れて出口へと走る。背後からは、オートマタたちの怒声と、何かを発射するような金属音が聞こえてくる。
煙を抜け、出口の扉が見えた! しかし、そこにはすでに2体のオートマタが待ち構えていた。長大なランスのような武器を構えている。
「くっ…!」
リリィが連続で射撃するが、オートマタは巧みにランスで弾き、あるいはものともせずに突進してくる。その動きは、これまでに戦ったどのモンスターよりも速く、正確だった。
「下がって、リリィさん!」
カイはリリィの前に飛び出し、『エネルギー・シールド発生装置』を作動させた。バチッという音と共に、半透明の青いエネルギーの壁が展開される。ガキンッ! ランスの穂先がシールドに激突し、激しい火花を散らした。シールドは数秒しか持たないが、その一瞬が勝負を分ける。
「今です!」
カイが叫ぶと同時に、リリィはゼロ距離に近い位置から、オートマタの関節部、おそらく弱点であろう部分に徹甲弾を叩き込んだ! ギャリリッという嫌な音を立てて、一体のオートマタが体勢を崩す。もう一体も、カイのシールドが消える瞬間にリリィが放った麻痺弾を受け、動きが鈍った。
「今のうちに!」
二人はその隙を突き、重い金属製の扉を押し開け、工房の外へと転がり出た。すぐさま扉を閉め、背後でオートマタたちが扉を叩く激しい音が響く中、二人は地下通路を全力で疾走した。
どれくらい走っただろうか。幸い、追ってくる気配はない。二人は昇降機までたどり着き、地上へと戻ることができた。
クロノスの喧騒の中に戻り、ようやく人心地つく。二人とも息が上がり、服は汚れ、疲労困憊だった。しかし、その目には、危険を乗り越えた興奮と、得られた情報の重みに対する覚悟が宿っていた。
「……とんでもないものを見てしまったな」カイが、まだ荒い息をつきながら言った。
「ああ。あいつら、本気で世界を書き換えようとしてるのかもしれない……。『境界位相変調器』なんて、ろくなものじゃない」
リリィも頷く。
「それに、『指揮者』か……そいつを止めない限り、計画は止まらないだろうね」
オートマタ・サーカスの目的の一端。拉致された機工師たちの存在。そして、計画を指揮するリーダーの影。
得られた情報はあまりにも衝撃的で、危険すぎた。だが、同時に、自分たちが何をすべきか、その輪郭が少しだけ見えてきた気もした。
「次は、どうしますか?」カイが尋ねる。
「まずは、今日の情報を整理して、対策を練らないとね。それに、あいつらに顔を見られた(あるいは痕跡を残した)可能性もある。しばらくは、目立った行動は避けた方がいいかも」
リリィは冷静に答えた。
「でも、必ず、あいつらの計画を止める手は見つける」
二人の視線が交錯する。そこには、共有した秘密と、共に危険に立ち向かう覚悟があった。忘れられた工房での出来事は、彼らの関係を新たな段階へと進めたのかもしれない。
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第10話、お読みいただきありがとうございます!
ついにオートマタ・サーカスの活動拠点「忘れられた工房」に潜入! 彼らの計画の一端と、その危険な実態が明らかになりました。カイとリリィの連携と、いかがでしたか?
しかし、敵に気づかれた可能性もあり、状況はより緊迫してきました。「指揮者」とは何者なのか? 拉致された機工師たちは? そして「境界融解」は止められるのか?
物語は序盤のクライマックスに向けて加速していきます。
それではまた次回!
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