第32話 カラオケでの勉強会
その日の放課後。俺は夏鈴とカラオケに来ていた。
狭い部屋の中心に設置されたテーブルの上には2人分のノートと筆記用具が散乱していた。
なぜ俺はカラオケに来ているのか。それは遡ること約30分前、帰りのホームルームが終わってすぐの事だった──
◆
「隼人ー、勉強会するよ!」
宿題に使うものを選んで鞄に詰めていると、夏鈴に背後から話しかけられた。
「どこでだよ。俺の家は無理だぞ」
「美少女姉さんとの愛の巣に、私みたいな部外者を入れる訳にはいかないってか!?」
「ちげぇわ!お義母さんが今日夜勤だから、帰った時にはまだ寝てるんだよ」
「ほほ〜ん、優しいですのぅ。じゃあ私の部屋ね、行くぞー!」
「待て待て!」
夏鈴は男子が自分の部屋に入ることをどうも思わないのか?何されるか分からないだろ。
「どうかした?」
「俺達もう高校生だ。昔みたいに部屋で2人きりとは違うんだよ」
「えへへ〜〜〜〜っ。隼人ってば、私の事を女子として見てくれていたんだね!」
「夏鈴は生まれた時から女子だ」
「照れてるのかな〜〜〜〜?可愛いねぇ」
にまにまと嫌らしい笑みを浮かべながら夏鈴は頷く。本当にコイツといると調子が狂う。
「煽るなら帰る」
「ごめんなさい、私が悪かったです。一緒に勉強しましょう──いや、一緒に勉強したいです」
「なッ!?」
いきなりの手のひら返しに若干戸惑う。
その様子を見て、夏鈴はニコッと愛らしい笑みを浮かべ──
「勝負……隼人のせいで負けたらやだなぁ〜」
クッ……流石幼馴染。俺が1番嫌がる言葉をわかっていやがる。
俺は自分のせいで周りの人が傷つくのが大嫌いなんだよ。
「分かった、俺に勉強を教えてくれないか」
「んふふ〜〜〜〜っ。分かったよ!中学校でずっと学年1位を取り続けた私に任せて!そうと決まれば早速行くよ!」
「ちなみに……どこに?」
もう一度『私の部屋』だなんて言ったらすぐに帰ってやる。
うんと長い間ためてから言った。
「カラオケに行こう!」
◆
──そして今に至る。
夏鈴は教科書と俺の顔を交互に見ながら数学のたすきがけについて教えてくれているが、何度聞いても理解出来ず頭が痛くなってきた。
「すまん。休憩しよ」
もしかしたら、せっかく教えてるのに、と怒られるだろうか。
でも俺はこれ以上数学の話聞いていたら死んでしまうかもしれないんだ。
「いいよ」
「えっ……今なんて?」
「いいよ、って言ったの。私も疲れてたしー」
うーん、と大きく背伸びをすると、夏鈴は専用タブレットを取り出して操作しだした。
何か歌うのだろう。中学の頃何度も来たカラオケだが、3年になってからは受験勉強もあって一度も行けていない。
どんな歌声なのか正直楽しみだ。
「よしっ、と。私の歌声聴いて死なないでよ!」
誰が死ぬか。そんなに歌声に自信があるのか?
茶化されながらも部屋のモニターに映像が流れ、部屋は聞いた事のあるメロディーに包まれる。
ポップな音楽に合わせて夏鈴は元気に歌を歌い始めた──
◆
「ごめんってばー」
「うッ……」
曲が終わる頃には俺は気を失っていた。
原因は夏鈴の歌だ。普段は透き通った綺麗な声なので忘れていた。
夏鈴は俺の知る限り誰よりも音痴で、その歌声は聞く人を不快を通り越して瀕死にまで追い込むものだと。
小、中と校内で行われる合唱コンクールではいつも、口パクで歌って、と言われていたな。
中学生の頃はそんな夏鈴の歌声に慣れていた。しかし時間も経ち免疫は無くなり、その歌声は俺を殺しかけたのだ。
なんて恐ろしい。
目を覚ますなり俺は膝枕をされているが、なんの嬉しさも感じられない。
俺を殺しかけた人に心配をされるなんておかしいだろ。
うぅ、思い出すだけでも気が遠くなりそうだ。
「あ、あははー。最初に忠告はしたからね?」
「ああ、してたな。これは『感動して死ぬなよ』と勘違いした俺にも非がある。気にしないでくれ」
「でも……」
夏鈴は口を噤み、俺の目を真っ直ぐに覗く。その眼差しからは心配と罪悪感がひしひしと感じとれる。
責め立ててもお互いに嫌なだけなので、ここは勉強を教えてもらった事に免じて許す事にしよう。
「まあ、なんだ。これからはむやみやたらに色んな人とカラオケに行くのはやめておくよ」
「もうっ。女の子に恥をかかせたらダ〜メ!」
「いてッ」
こつんと優しくデコピンされ、間抜けな声を漏らす。
元から失敗を引きずらない性格の夏鈴なので、フォローはもう必要ないだろう。
勉強を再開したいところだが、頭が少しくらくらするのでもう少しだけ膝を借りるとしよう。
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