第08話 命令と、祈り

 ――命令書は、電子的な音と共に届いた。


 機密レベル:最上位

 分類コード:S9-E

 対象:灰原レン

 処理理由:精神領域異常活性化および再人格化の兆候


「対象個体に対し、再封印・凍結処理を優先とする。異常増大の際には、物理的停止処理を許可する」


 それは、“処分命令”だった。


 今のレンにとって、その意味はもう明確だった。

 兵器であることをやめようとする者は、この世界では“不要”なのだ。


     ▽


「……命令が、来たよ」


 部屋の壁を見つめながら、レンは独り言のように呟いた。


『……うん、知ってた。もう、時間の問題だったから』


 少し、間を置いた後、ネメシスの声は、淡々としていた。

 けれど、どこか“受け入れていない”響きが混じっていた。


『レン。私が、もう一度“君を兵器に戻す”よ。そうすれば、処分は回避できる。封印も、痛くないようにしてあげる』

「……戻らない」


 レンは短く答えた。


「俺はもう、“名前を呼ばれる側”でいたい」


 それは、ただの希望だった。

 けれど、それは“祈り”にも似ていた。


     ▽


 ──そして、その祈りに、ひとつの声が応えた。


「……あたしが、守るよ」


 空間が揺れた。

 白い光と共に、ミレアが現れる。

 彼女はまだ不安定な存在だ。

 身体は淡く、半ば霧のようで、目の奥にはまだ“影の記憶”が残っていた。


 それでも、彼女はレンの隣に立った。


「レンが……誰にも名前を消されないように。“存在”を、ちゃんと抱きしめたままでいられるように」


 そう言って、彼女の身体から黒い粒子が舞い始める。


『ミレア、なにを……! その出力、あなたの契約波形じゃ維持できない! 崩壊するよ!?』

「……それでも、いい」


 ミレアは笑った。


「“名前”をもらったの……だから、“その人を守る”って、ちゃんと選びたい」


 その言葉に、ネメシスが息を呑んだように沈黙する。


 彼女も知っていた。

 名前を持つということが、どれだけ“命”に近いかを。


     ▽


 空間が歪む。


 レンの周囲の空気が重くなり、背後に何かの気配が立ち上がる。

 軍の処理部隊が動き出した。

 おそらくもう、建物の外で“隔離プロトコル”が発動している。


『レン。逃げるなら今しかない。ミレアはまだ不安定、私も軍との同期解除が必要でも……いっそ、ふたりで逃げるなら――“私に名前をくれない?”』

「……え?」


『私も、名前が欲しかったんだ。ずっと。でも“兵器には名前はいらない”って、言われてきたから。でも、今……ようやくわかった。“名前”って、“選ばれること”なんだって』


 ネメシスの声が、震えていた。


『お願い。私にも、存在させて』


 ――レンは、ふたりの少女を見た。


 ミレアは“名を与えられた存在”として、今、命を懸けようとしている。ネメシスは“名を欲する存在”として、彼の選択を待っている。

 どちらも、“彼の名前”に引き寄せられていた。


 レンは、ゆっくりと息を吐いた。


「……わかった。なら、お前にも名前をあげる。ネメシス、お前は――」

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