第13話 小さな島の、小さな不思議

 玄関から、ティムがとぼとぼと重たい足取りで入ってきた。


 その顔は、いつもの明るさとはほど遠く、どこか沈んで見えた。

 アンはすぐに立ち上がり、心配そうに声をかける。


 「……どうしたの?」


 ティムは下を向いたまま、小さな声で呟いた。


 「……学校の帰りにね、昨日“アシェリラ様”のお話をしてくれたおじいさんを探してたんだけど……見つからなかった……」


 その言葉に、アンは優しくうなずいた。


 「そ……それは残念だったね」


 ティムは肩を落としたまま靴を脱ぎ、アンの隣に腰を下ろす。

 そのときだった。


 「ただいまーっ!……って、なんだか空気が重くないか?」


 リオンが勢いよく玄関から戻ってきた。

 目に入ったのは、浮かない顔をしたティムだった。


 「おいおい、ティム、どうしたんだ?そんな浮かない顔して」


 ティムは俯いたまま、昨日のおじいさんから聞いた話を繰り返し語り始めた。

 アシェリラ様が、島のどこかの“誰か”に宿って、人々を見守っているという話。

 そのおじいさんから話の続きを聞きたくて、ずっと探していたということを。


 それを聞いたリオンは、腕を組みながらふむふむと頷き――


 「そいつは面白い話だな。もしかしたら、そのおじいさん自身が、アシェリラ様の“遣い”だったりしてな」


 「……アシェリラ様の“遣い”?!」


 ティムが目を丸くして聞き返したそのとき、奥の部屋からマーサが現れた。

 手には糸くずが絡みついたままの手ぬぐい。少し疲れた表情を浮かべながらも、穏やかに笑っていた。


 「やっと……織物、終わったわ」


 その姿を見たリオンは、すぐさま駆け寄り、マーサの顔を覗き込む。


 「おい、マーサ!?目がちょっと腫れてないか!?まさか泣いてたのか!?……誰だ、俺の大切なマーサを泣かせたのは!」


 その慌てぶりに、セラが呆れたように声をあげた。


 「もうっ、お父さん!久しぶりにアンがクラヴィールを聴いてくれたから感動してただけよ。それより、土!土!服を手で払ってから入って!」


 「……す、すまん!」


 とあたふたするリオンに、リビングにいた皆がふっと笑った。


 「……風呂、入ってくるよ……そうだ、俺が風呂上がったら久しぶりに夕飯作っちゃおうかな!?」


 そう言いながら、どこか得意げに振り返るリオンに、セラはしっかりと釘を刺した。


 「お父さんの“ざくざく”切った野菜じゃ、アンが食べられないでしょ?大丈夫、私がやるから。ゆっくり入ってきて!」


 「うぅ……」


 リオンは肩を落としながら風呂場へ向かっていった。


 その背中を見て、アンの頬がふっと少し緩む。

 隣ではティムが、くくくっとこらえきれずに笑っていた。


 日が傾き、空が茜色に染まる頃。


 台所では、マーサとセラが並んで手際よく夕飯の支度を整えていた。

 香草の香り、焼きたてのパン、そして湯の中で柔らかく煮込まれたスープの香りが、家の中を包んでいる。


 やがて、食卓には昨日と同じ「キャベン」と「ナーシル」のスープ、丸いパン、香草を添えた蒸し鶏が並べられた。


 「ヤ……ヤクチーだ」


 ティムが香草のひとつを見て、顔をしかめながら呟く。

 この香草は「ヤクチー」と言うらしい。スパイスの利いたハーブの様な香りが立っている。


 「……ヤクチーも食べなさいよ?」


 マーサがすかさず言うと、リオンが風呂上がりのすっきりした顔で笑いながら口をはさむ。


 「ティムはまだ子供だからな~。この美味しさが分からないんだよな」


 「た、食べれるしっ!」


 ティムがきっっと、睨み返す。

 それを見た家族はみんな、くすくすと笑い合った。


 そして、四人が自然と手を合わせる。

 アンも慌ててそれに倣い、そっと目を閉じた。


「アシェリラ様の恵みに感謝し、この命を受け取ります。」


 静かで、あたたかな祈りの言葉が食卓に満ちた。

 器には次々にスープがよそわれ、パンがちぎられて配られていく。


 マーサが鶏肉を細かく丁寧に裂いてアンの器に盛りつけていると、アンはふと気になっていたことを尋ねた。


 「……『エルダの森』って……危ないの?」


 その言葉に、マーサは手を止めて小さく頷いた。


 「そうだったわね。ちゃんと、また教えておかないと」


 そう前置きしてから、やさしく語り始めた。


 「『エルダの森』は、アバロナ島の中央にある森なんだけど……途中までしか入ってはいけないの」


 「途中まで……?」


 アンが聞き返すと、マーサは静かに答えた。


 「ええ。詳しく言えば"森の外が見える範囲まで"。それより深く入り込んでしまうと――森から帰ってこられなくなるの」


 アンはその言葉に、ぞくりと背筋を撫でられたような感覚を覚えた。

 セラが隣で補足するように話す。


 「これはただの言い伝えじゃなくて、実際にそういう人がいるの。好奇心で深く入ったきり、戻ってこなかった人が何人も。だから、森の外が見えなくなる手前に柵が作られていて、そこから先は立入禁止なんだよ」


 アンは、今朝、マーサがティムに「森には気をつけてね」と声をかけていた理由を、ようやく理解した。


 そのとき、リオンがスプーンを置いてアンの方を見た。


 「……アンには、あまり関係ない話かもしれないがな。実は、アバロナ島の“海”も、似たようなもんでな――」


 その言葉に、食卓の空気がすっと引き締まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る