第10話 彼女がブチギレた

 ホームルームが終わると、夏希なつきがカバンを持って立ち上がった。

 俺はその背中に声をかけた。


「じゃあ、頑張れよ」

「えぇ。——あっ」


 軽くうなずいて歩き出そうとした夏希が、ふと振り返る。


ゆう先輩以外に、ちょっかいかけてくる人なんていないから。ポロシャツでも男子と間違えないでよね?」

「わ、わかってるよ」


 顔を赤くさせながらうなずくと、夏希はくすっと笑みをこぼして教室を出て行った。


「なにお前、女を男だと勘違いして、嫉妬とかしたの?」


 クラスメイトの山田やまだが、馬鹿にするように鼻を鳴らす。


「えっ、マジで? 女かどうかなんて、胸とかケツ見れば一発だろ」

「それなー」


 近くにいたはやし田所たどころも、嘲笑を浮かべた。

 彼らはいつも三人でつるんでいて、夏希と付き合った際に嫉妬の目線を向けてきた、少数派の一団だ。


「嫉妬深い男は嫌われるぜ? 許してもらえたのかよ?」

「あぁ」


 俺は視線を合わさないまま素っ気なく答え、支度を進める。

 会話する気がないことを示したつもりだったが、俺たちしかいない現状を好機と捉えているのか、彼らの嫌味は止まらない。


「にしても、幼馴染ってだけで、あんなかわいくてスタイル良い子を彼女にできるんだから、羨ましいよなー」

「つーか、不公平じゃね? 神崎かんざきくらいのイケメンなら、まだわかるけどさ」

「ほんとそれ。親ガチャならぬ、生まれガチャだろ」


 彼らは好き勝手なことを言いつつ、これ見よがしに笑みを向けてくる。

 それでも無反応を貫いていると、再び直接絡んできた。


「おい、白石しらいし。もう篠原しのはらとはヤったのかよ?」

「……それは、俺じゃなくて夏希に失礼だろ」

「うわっ、その言い方、絶対ヤってねーじゃん!」


 山田が嬉しそうに手を叩いた。


「お前、もしかしてアレ? 女の子は大切にすべき、みたいなタイプ?」

「いるよなー、そういうの。けどそれ、ただビビってるやつの言い訳だから」

「女なんて、押せばどうにかなるもんなー」

「「そうそう」」


 頭の後ろで手を組んでふんぞりかえる山田に、林と田所もしたり顔でうなずく。

 こいつらは経験豊富なんだろうか。女子としゃべっているのは、ほとんど見たことないが。


「足元すくわれないように、早めに唾つけとけよー?」

「ちなみに、俺だったら付き合った日にはヤるけどな」

「篠原みたいなタイプに限って、意外とそっちは押しに弱かったりするもんな!」

「おい、お前ら——」


 俺がさすがに声を荒げようとした、そのとき。


「——そうかもしれないわね。あなたたちに押し切られるなんて、ありえないけど」


 ふいに、冷たい声が響いた。

 振り向くと、夏希は腕を組み、険しい表情で山田たちを見下ろしていた。


「なっ、し、篠原⁉︎」

「なんでここに……⁉︎」

「ま、まさか、盗み聞きしてたのか⁉︎」

「はっ? するわけないでしょ。あなたたちに興味なんてないもの。水筒を取りに来たら、低俗な会話が聞こえてきただけよ」


 夏希の鋭い眼差しが、山田たちに突き刺さる。

 彼らは焦ったように立ち上がり、弁明を始めた。


「い、今のは別に、男同士の冗談だって」

「女同士でも、結構エグい話するんだろ? それと一緒だよっ」

「そんな、真に受けるなって。なっ?」

「……はぁ」


 夏希がため息を吐き、眉を寄せた。


「何を勘違いしているの? あなたたちが私をどう評そうが、別にどうでもいいわ。さっきも言ったけど、興味ないもの」

「「「っ……!」」」


 山田たちの顔が醜く歪むが、夏希は気にする様子もなく言葉を続ける。


「私が低俗と言ったのは、れいへの言葉よ」

「……はっ? ど、どういうことだよ?」

「『幼馴染っていうだけで私を彼女にできるんだから羨ましい』という発言、訂正して謝りなさい。それは、澪への侮辱よ」


 ここにきて、山田たちは夏希が何に対して怒っているのかを理解したようだ。

 彼らは引きつった笑みを浮かべて反論した。


「な、なんで訂正する必要があるんだよっ?」

「事実だろ?」

「幼馴染だから付き合ってるだけの話じゃねーか!」


 夏希はふっと鼻を鳴らした。


「どうやら、幼馴染に夢を見すぎているようね」

「な、なんだと?」


 憤る山田たちに、夏希はいっそ憐れむような視線を向けた。


「あなたたちは知らないでしょうけど、一緒にいるだけで好きになるほど、女はチョロくないわ。むしろ多くの場合は、時間が経つほど恋愛対象じゃなくなるものよ」

「そ、そんなの、ただの篠原の意見だろっ」

「そうね。でも、長く一緒にいるほど、相手のいいところも悪いところも全部見えてくるのは事実でしょうよ? もしも、澪が嫉妬でクラスメイトを馬鹿にするような人だったら、私は絶対に付き合ってないわね」

「「「っ……!」」」


 山田たちは、揃って息を詰まらせた。自分たちがどんなことをしているのか、一応自覚はあるんだろう。

 ただ、それを素直に認められるほど、大人じゃなかったようだ。


「わ、話題を逸らすなよ!」

「そ、そうだよ! 結局、幼馴染だったから付き合ってることには変わりねえじゃねーかっ」

「そうじゃなきゃ、関わってすらいねーだろ!」


 彼らは口々に喚いた。

 しかし、夏希は静かな口調を崩さない。


「そうかもしれないわね。でも、それが何?」

「な、なに?」

「仮定の話に意味はないわ。私たちは実際に幼馴染で、こうして付き合ってる。それが全てだと思うけど。でも、そうね。あえて、あなたたちの土俵に上がってあげるなら——」


 夏希は口の端を吊り上げて、


「——たとえ幼馴染でも、あなたたちと付き合うことなんてあり得ないわ」

「なっ……⁉︎ そ、そんなのわかんねーだろ!」

「そ、それに、白石みたいな地味なやつを好きになるお前に言われても、痛くも痒くもねーよ!」

「それな! 神崎みたいなイケメンだったらまだしも——」

「——勝手に人の名前を使うな」


 教室の外から声が割り込んでくるのは、本日二度目だった。

 山田たちの顔に動揺が走る。


「なっ……!」

「か、神崎……⁉︎」

「なんでここに……!」

「会長の仕事が終わったところだよ」


 神崎は吐き捨てるように答えると、山田たち三人を睨みつけた。


「途中からしか聞いてないけど、事情は大体わかる。人の名前じゃないと威張れないようなら、最初から突っかかんな。せめて、自分のほうが相応しいって断言できるくらいになってから言えよ」

「「「くっ……!」」」


 山田たちは言葉に詰まった。

 こいつらは俺を蹴落とすために、神崎を必要以上に持ち上げていた。その神崎から正論を言われれば、さすがにぐうの音も出ないだろう。


 夏希と神崎はそんな三人に冷ややかな眼差しを向けているし、俺も腹は立ってる。

 ——でも、これはたぶん、俺にしか言えないことだ。


「山田たちの気持ちも、わかるよ」

「「「っ……⁉︎」」」


 三人のみならず、夏希と神崎もハッとこちらを見る。

 夏希のこんな間抜けな表情は、初めてかもしれない。

 それだけでも収穫だが、もちろんここで終わらせるつもりはない。


「神崎は外見も内面もイケメンだし、それ以外にも俺より魅力的なやつはいっぱいいる。俺も正直、幼馴染じゃなかったら見向きもされなかったんじゃないかって、考えたことはあるよ」

「澪、それは——」


 夏希が思わずといった様子で声を上げた。

 それを目線で制して、語気を強める。


「でも、今はそんなふうには考えてない」

「っ……!」


 身じろぎをする夏希に笑みを向けてから、山田たちを見据えて続ける。


「俺がふさわしくないとか言ったら、選んでくれた夏希に失礼だからな。正直、まだ自信はないけど、堂々と彼氏だって名乗れるように、何より夏希がこれから先もずっと一緒にいたいと思ってくれるように、頑張るつもりだ」


 そう締めくくると、教室はシーンと静まり返った。

 呆然とする山田たちに、神崎が静かに告げる。


「とりあえず、お前らは帰って頭を冷やせ。……もし自分たちが白石だったらどう感じるか、少しは考えてみるんだな」


 神崎の言葉に答えないまま、三人はすごすごと教室を後にした。

 その直後——、


「じゃ、じゃあまた後で!」

「えっ? な、夏希?」


 呼び止める間もなく、夏希は一目散に教室を出て行ってしまった。


「……なんで?」

「そりゃそうだろ」


 神崎が呆れたように肩をすくめる。


「ほとんどプロポーズみたいなもんだったぞ」

「えっ? ……あっ」


 ……確かに、思い返せばそうかもしれない。

 顔がどんどん熱くなっていくのが、自分でもわかった。


「そういうところはなんというか、白石らしいけど……覚悟はあるんだろうな?」


 神崎が鋭い視線を向けてくる。


「——あぁ」


 俺は力強くうなずいた。

 勢い任せなところはあったし、このあと夏希にどんな顔をして会えばいいのかはわからないけど、決して口だけじゃない。

 さっきの言葉は、紛れもなく本心だ。


 俺の覚悟は伝わったのか、神崎は満足そうにうなずいた。


「ならいい。じゃあ、俺も部活に——」

「あっ、神崎」


 踵を返す神崎を呼び止める。


「なんだ?」

「図々しいのはわかってるけど……一つ頼んでいいか?」

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