(2)
商店街に響くのは、風の唸り声ばかりになっていた。かつては喧騒で満ちていたはずのアーケードは、今は沈黙に包まれている。昼間になっても、サラリーマンの集う夕刻になっても、今まで当たり前に行き交っていた人人はもう居ない。
慈実が夜陰に紛れて姿を消した後、彼女の喫茶店のシャッターは固く閉ざされたまま、埃にまみれている。ショーウィンドウに反射する街灯の光も、どこか寂しげに見えた。
シャッターがないショーウィンドウの中をのぞき込む者もいるが、彼らは一様に「何も変わっていない」「ホコリが積もっている」と語った。
その様子から、引っ越した訳では無い、営業再開するだろう、と希望的観測をする者もいるが、直ぐにそれは砕かれる。建物も銀行に差し押さえられ、今ではテナント募集の看板が風に吹かれ、倒れている。
個人店だけではなく、チェーン店にも過疎の影響は蝕んでゆく。
駅前にある大手スーパーマーケットは、閉店した八百屋に変わり、僅かな住人の買い物の場となっていた。鮮やかなロゴマークを掲げ、数ヶ月の間食生活を支えていたが、突然「閉店のお知らせ」を貼り出した。その日に買い物に来た主婦たちはざわめきあった。スーパーが閉まれば、隣町まで買い出しにゆかねばならない。
初めは改装や休業など様々な憶測が飛び交ったが、数日がたった日を境に、店内の商品棚はみるみるうちに空になり、搬出業者のトラックがひっきりなしに出入りし始めた。あっという間に空っぽになった店は、まるで巨大な抜け殻のように、そこにただ佇んでいた。八百屋二つとそのスーパーしか地域に食品店はない。
駅が全地域から割とちかく、車を持たない人も多い。この辺りでは、駅近の食材店はほとんどなく、電車でゆくしかない。
八百屋ふたつはバタバタと店主の夜逃げで閉店し、スーパーも閉店が近く、品物は少ない。隣町まで電車でゆき、そこから何十分も歩くような生活に、住人は疲弊してゆく。
まもなくスーパーマーケットは閉店した。建物は壊され、更地になるという。
ガラス張りの入り口から覗き込むと、埃が舞う暗い空間が広がり、人々の生活から切り離された現実を突きつける。
それだけでも人々は絶望したが、その閉店は、始まりに過ぎなかった。
ほどなくして、駅ビルに入っていた大手コーヒーチェーンが撤退を発表した。いつも賑わっていた店内のプラスチック製の椅子は積み重ねられ、シンプルな内装は剥がされ、壁にはコンクリートがむき出しになった。店先に掲げられていたはずのロゴは無残に剥がされ、そこには白い四角い跡が残るだけとなった。かつて漂っていたコーヒーの香ばしい匂いも、今は漂わない。代わりに、冷たい埃の匂いがする。学生たちがノートを広げ、主婦たちが談笑し、ビジネスマンが打ち合わせをしていた空間は、もはや存在しない。
カフェやコーヒーショップも、もう街にはない。便利なコンパクトタウンは過疎が進んだ村のようになっていた。都会的な建物が、異様に見えてしまう。
それに続くように、全国展開するファストフード店も撤退を表明した。人々の笑い声が響き、安価なハンバーガーを頬張る家族連れで溢れていたあの場所も、今は固く閉ざされたシャッターに覆われている。住人が減少しただけではなく、街に不協和音が響き始めてから、人々は経済的にも苦しめられで行ったからであろう。利用者の減少からの撤退だと、皆は薄々理解していた。
鮮やかな色の看板は色褪せ、錆が浮き出ていた。店の前に置かれていたはずのプラスチック製の椅子やテーブル撤去され、その跡には不自然な四角い跡が残る。街から活気が削り取られてゆく。
僅かに残された商店街の個人店も、次々と姿を消していった。精肉店も、鮮魚店も、老舗の和菓子屋も、業種に関係なく、ドミノ倒しのように潰れてゆく。
それぞれの店主が、諦めの表情を浮かべながら、シャッターを下ろしてゆく。シャッターが閉じられるたび、街の息遣いが一つずつ消えてゆく。移転もできるような状況の店も、そんな選択肢は思い浮かばないようで、夜逃げのように去ってゆく。
各店のシャッターには、消えないインキで書かれた
「長年のご愛顧に感謝」「閉店致します」という文字が、雨風に晒されて滲んでいる。そしてその文字は、もはや誰にも読まれない。シャッターが閉まっているだけで誰でも閉店だと理解する。
臨時休業した店も、閉店だと思われ、やがて本当に店をとざす。
街全体を覆うのは、人口減少という見えない影だった。過疎化が進むにつれて、学校は統廃合され、病院は閉鎖されていった。若い世代が街を離れ、高齢化してゆく。街の衰退が早送りされたかのように、秋に向かい衰退してゆく。逃げてゆくように街を出る彼らの顔には、諦めと疲弊が深く刻まれている。バスの本数は減り、駅のホームは閑散としている。かつては人で溢れていたはずの駅前広場も、今は数人だけがベンチに座り、遠くを眺めているだけだ。
活気に溢れていたことが嘘のように、風がふきぬけ、残った住人の心を冷やす。
各チェーン店の撤退発表も、街に住む人々の心を深く冷やしてゆき、町は凍てつくような、殺伐とした空気に包まれていた。
ただ店がなくなるという以上に住人は絶望する。自分の生活から、選択肢が、利便性が、そして何よりも未来が失われてゆくというような感覚に襲われる。閉塞感が、上下左右関係なく、全方位からジリジリと忍び寄ってくる。
撤退が決まった店舗のガラス窓には、内側から貼られた白い目隠しシートが、異様な白さを放っている。まるで街の死を宣告する死装束のようで白さが影を落としている。シートの隙間から、内部の骨組みが覗いている。かつて賑わいを見せた空間が、無機質な構造物へと還元されてゆく様がそこにある。
夜になると、街はさらに深い沈黙に包まれた。点滅する信号機だけが、虚しく光を放っている。車の往来はほとんどなく、街を歩く人の姿もまばらだ。吹き荒れる風が、ゴミを巻き上げ、誰もいなくなった歩道を転がしてゆく。
閉店した店のシャッターには、あっという間に落書きがされている。意味のない記号が、治安悪化を告げている。そして、街から失われた活気と、残された者たちの無力感を象徴しているようにもみえた。落書きの上から、雨水が筋となって流れ落ち、インクが滲んでゆく。
この街に、光は、もう差し込まない。人々は、互いに目を合わせようとしない。会話も生まれない。かつて存在したコミュニティの絆は、すでに深く寸断されている。人々は、それぞれが孤独な島のようになり、緩やかに暗い海へと沈んでゆく。
日毬が望んだ復讐は、彼女の意識の外で進んでゆく。個人の人間関係の崩壊に留まらず、街全体を巻き込み、社会の機能を停止させるような、より広範囲で深い破壊へ変質していた。
街のあちらこちらで、空き家が増えてゆく。窓ガラスこそは割れていないが、庭には雑草が生い茂る。夜には、その空き家を風がふきぬけ、不気味な物音が聞こえる。風の音だと正常に認識する者はいず、幽霊の声だというくだらないうわさが住人の間で蔓延し、恐怖に落ちいる。緊迫した雰囲気の街では肝試しなどという話しはわかず、誰も確かめようとはしない。誰もが、その音に耳を塞ぎ、ただ沈黙を貫く。
陽光も、死んだ街を照らすスポットライトのようで、希望の光とはならない。人々の顔には常に無気力が張り付いている。彼らは、ただ、今日という一日を、機械的に過ごしてゆくだけだ。
誰かの嘲笑が、街にうっすらと響いている。だが、誰もその声を聞き取れない。その影で笑い声は、街の隅々にまで染み渡り、人々の心の奥底に音もなく絶望の種を蒔きつけてゆく。
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