第10話

「そんなわけで、覚えてしまいましょう」

「分かった」


 キティに促されて、ラクスは特質魔法である魅了体質の三つをすべて埋めた。


 記されている魔法を解放するために使う魔力量には個人差がある。

 才と、種族特性。この二つが主な要因で、出てくる差はかなり大きい。

 たとえば淫魔であるラクスなら、魅了系の魔法を覚える魔力量は少なくて済む。代わりに種族的に不得意な魔法――竜族に代表される肉体強化系の魔法などは、解放に大量の魔力を使う。


 魔法を解放するために注ぐ魔力のことを、正確には『魔力許容量キャパシティ』と呼ぶ。休息をとれば回復する体内の保有魔力の総量が、この魔力許容量が限界値であることからそう呼ばれるのだ。

 魔力許容量は成長と共に増加するが、その増加量も才と種族に大きく左右される。種族持ちの貴族が強大な力を持ちやすく、権力を維持し続けているのはこのためだ。

 その点でも、種堕ちのエリシアは不利なのだ。


(だから、あいつの才覚は本当に珍しいし、それはすげーと思うんだが)


 人格が残念すぎた。

 今まで手を出していなかったラクスの覚醒の書に記されている魅了魔法は、いまだ淫魔にとっては初歩の初歩の魔法のみ。解放に使う魔力量など無きに等しい。

 基本の特質魔法を覚えた次に浮かび上がったのは、『強魅了ハイチャーム』。こちらも覚えておく。あとはキティの言う通り、属性魔法の基本攻撃魔法を覚えると、本に明滅する文字はなくなった。


「旦那様は光属性に弱いし苦手ですわね。苦手がバレないよう中級までは覚えるべきですが、それ以降は魔力許容量の無駄使いですわ。後に回しましょう」

「分かった」


 特に反対する理由もないので、キティの言葉にただうなずく。


「では、とりあえず今日の所はこれでおしまいに――」


 にこやかだったキティの表情が、一瞬で警戒を映したきついものに変わる。


「旦那様、お客様ですわ」

「……みたいだな」


 キティに遅れて近付いてくる魔力に気が付き、ラクスも表情を引き締め、立ち上がった。


「参りましょう」

「ああ。――って、え!?」


 ラクスに続いてすっと立ち上がったキティは、くるん、とターンをすると同時に姿を黒い仔猫に変え、身軽にラクスの肩に飛び乗った。


「さ。旦那様」


 果たしてどんな仕組みになっているのか、肩にかかる重さも仔猫のものだ。

 一体どんな魔法なのか、と純粋に興味が湧いた。いつか自分も獣化系統の体質魔法を覚えられたりするのだろうか、とか。

 まあそれは後でいい。


「なあ、お前が傷付くと俺、城失くすんだろ? 隠れててくれないか?」

「心配されなくても、キティはとても強いので大丈夫です。でもキティのことも守ってくださいましね、旦那様」


 後半、甘えた声を出してペロリと頬を舐めてくるが、猫なので流すことにした。それより侵入者の方が気がかりだ。


(建てたばかりの城を壊されちゃ、たまったもんじゃない)


 そんなことになってエリシアに知られれば、腹を抱えて盛大に笑うだろう。

 ――絶対にごめんだ。

 空恐ろしい想像にぶるりと身を震わせて、ラクスは足早にホールへと向かった。侵入者の魔力は本宮殿の入口大ホールで止まっている。暴れている感じもしない。


(まさか、出てくるのを待ってんのか?)


 そんな悠長な魔族がいるのかと不審に思いつつホールへ辿り着き、中へと入ると。


「たのもう!」


 凛っ、とした女の声が、鼓膜を大きく震わせた。

 女の年頃はラクスと同程度。雰囲気からして、少し上かもしれない。


 赤紫の髪は天然らしいウェーブを描いて、腰の先にまで毛先が届く。瞳は金で、爬虫類の形をした瞳孔は黒だ。

 ややきつめだが顔立ちは実に整っている。好みの差はあれ、彼女が美人であることは誰もが認めるだろう。


 ……しかしその格好はどうしたことか。

 胸筋に支えられてだろう。実際のサイズより更に一回りは大きく見えている気配のある、『豊かに』をやや超えて張り出した胸には申し訳程度の銀の鎧。

 下半身も最小箇所だけを僅かに被う、胸を被う物と同質の鎧。あとは首や上腕、太腿に填まる金のリング。靴は金属で爪先と靴底を補強したショートブーツ。


 すべてに強力な魔力を感じるので、もしかすれば急所を覆う密度だけを優先するあまりそうなったのかもしれない――と思わなくはなかったが、もう少し隠せ、と男のラクスでさえ言いたくなった。


 だが女にはラクスの微妙な表情を気に留める素振りさえない。

 腰に手を当て、ただでさえ豊かな胸をより強調する勢いでぐっと張り、ビシッ、とラクスへと指を突きつけ名乗りを上げる。


「我はバルヴァラ=スアーク=トゥールナ・ログヴェレカ! 貴様が城の主か」

「そうだ。――つーかお前、布買う金ねえほど切羽詰まってんのか。恵んでやるから出直してこい。気が散る。色々」

「我を侮辱するか? ふざけるな。我が竜族では今、このスタイルが流行りなのだ」

「マジでか!? どうなってんだ竜族! ただの変態じゃねえか! ……いや、俺も種族上あんま言えねーけど……」


 魔王からしてアレだったのが脳裏に過ってしまった。強く出られない。


「我等のどこが変態だ。そもそも、生まれた時は皆裸ではないか。なかったということは、我等には本来、不要な物なのだ。なぜ服を着る。我は正直、服を着るのが大嫌いだ。本来の姿のときは何も身に着けん!」

「でっけえトカゲが裸でも俺だって気にしねーよッ! 一生山下りねーでドラゴンのままで過ごせお前は!」


 竜族ファッションの基準が分かった気がした。どうでもいいが。


「で、何でわざわざ面倒な人の姿で嫌な服着てまで山から下りて来たんだ。こっちだってドラゴンのまま来訪してくれた方がはるかにやりやすかったわ」

「知らんのか。僅かでも政に関わるときは、すべてこの人間サイズでなくてはならんのだ。竜族が入るだけの城を作るのは他の種族が迷惑だとかで、我等が合わせることになっているではないか」

「ああ、そうだったな」


 自分たちが基準の人間サイズなので、忘れていた。

 魔族の種は多岐に渡る。生態系も大きく違う。全員に相応しい環境を用意しようとすると、大変なことになる。

 そのため何代か前の魔王の時代に、自分たちの領域外に出てくるときは人間サイズに合わせることに決まったのだ。

 人間サイズに合わせたのは、姿を変えられない人間との交渉の席に着くときに都合がいいからである。もうそれで統一してしまえ、ということだ。


「で、何の用だったか?」


 やっと本題に戻ったラクスの問いに、バルヴァラは素で赤く美しい唇を獰猛に笑みの形にした。


「貴様の城をいただきに来た!」


 それで宣戦布告は済んだとみなしたのか、バルヴァラはラクスの答えを待たずに床を蹴る。


「やっぱそういう用件か! キティ、離れてろ!」

「はいですわ」


 ぴょん、と軽やかにキティはラクスの肩から下りる。


「ふんッ!」


 そのやり取りの僅かな間に間を詰めていたバルヴァラは、右の拳を振り上げていた。


強硬盾ハイ・シールド!」


 何の変哲もない、素の拳の一撃。


 竜族が特質魔法により剛力無双を誇り、物理的にも魔力的にも硬い鱗を持ち、強力なブレスを広範囲に吐き、また魔力も決して低くない、種としての強さは五指に入る――と分かっていても、ラクスはまだ彼女を侮っていた。自身の魔力にうぬぼれていた、と言ってもいいかもしれない。


 盾一つで十分防げる。その間に夜魔の神封剣ナイトディヴァインを解呪しようとした、その目の前で。


「我が拳の一撃は、山を崩し、海を割る! 舐めるな!」


 ゴッ!


 魔力で作った、淡い光を放つ無属性の盾へと、バルヴァラはためらいなく拳を放った。衝突と同時に鈍い音を響かせ、砕け散ったのは盾の方。


「おいッ!?」


(何だそれ!?)


 盾を砕いた衝撃の余波が、後ろにいたラクスへと襲いかかる。全身に鋭い裂傷が走り、血が噴き出す。


「う……!」


 育ちもよく、強力な防御魔法を優先して覚えてきたおかげで、今まで怪我という怪我を負ったことのないラクスは痛みに弱かった。

 エリシアに焼かれたときのように、怒りの力が肉体の痛みを麻痺させる、などいう状況でもない。

 自身が初めて味わう肉の裂けた激痛に、愕然とする。思考が痛みに乗っ取られ真っ白になり、何も考えられない。


「旦那様!」

「砕けろッ!」

「っ!」


 キティの警告にはっとして顔を上げた先では、すでにバルヴァラがラクスの目の前で拳を振り上げていた。

 淫魔は、魔力は非常に高いが、肉体的強度は高くない。竜族の拳をまともにくらえば、文字通り砕けることになるだろう。

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