第18話 お風呂に入りたい
「…………」
ベルギアが一つの本をぼんやりと眺めていた。
内容は浴槽に浸かっている人々の絵。
「浴場に行きたいのかい?」
「浴場……ですか?」
「風呂に入っている絵を見ていたからね」
「お風呂…………とはどんなものですか?」
そこからか。
「風呂というのはだね……」
「あ、いえ知識としては存じているんです。ですが経験がないので……お湯に入るというのがよくわからず……気になったので」
あぁそうか。
私達は普段は家の裏手にある川で水を浴びている。ベルギアはそれの経験しかなかったか。
この時期はまだ暖かいので大丈夫だが、寒くなってくると浴場に行くことも考えていかなければならない。今のうちに経験しておくことも大事かな。
「じゃあ経験しに行こう。街に大浴場があるから出ようか」
「………………」
私としても浴場は久方ぶりな気がする。最近はもっぱら水浴びだったから。
私はいつものように外出をするための身支度を済ませていく。
「…………旦那様」
ベルギアが私を呼ぶ。
振り返るとベルギアは私の後ろで座ったままだった。
妙だ。ベルギアはいつも私の横で身支度をしている。風呂に入るだけなのだから用意はいらないと考えているのか?
「ベルギア? なんでまだ座っているんだい」
「…………この大浴場というものは……人前で肌を見せるのですか?」
「そう……だね。周囲の人と一緒に風呂に入るわけだ」
「行きません」
「…………!」
正直驚いた。ベルギアがこういう風に異を唱えるのは初めてだったから。
ベルギアが私に対して異を唱える際は、ベルギア自身が自分の価値を低く見積っての謙遜や卑下からなる理由が殆どである。
だからこそ、このように強い口調で明確に拒否を示したことに私は驚いてしまった。
「そう……か」
理由を聞くべきだろうか。しかし、ベルギアの目は伏せている訳ではなくむしろしっかりと見開いて、断固とした意志を感じさせる。
………………ここは聞かないべきかな。
「しかし、風呂に入るとなると浴場以外なら貴族が個人で所有しているものしかないからな……どうするべきか」
「……お風呂はベルギアが勝手に気になっていただけなので……お気になさらないでください」
そう言ってベルギアは本を閉じる。
私としてはベルギアがなにかに興味を持ったというのならそれは叶えてあげたい。
さてどうするか……。要はお湯に浸かることが出来ればいいわけだ。
……よし。
〜〜〜〜〜〜数日後〜〜〜〜〜〜
「旦那様。これは……?」
家の裏手に鎮座する目の前の円柱型の鉄の入れ物を見てベルギアは首を傾げる。
「市場で買ったものだね。
「かなり大きいですね……旦那様の胸ぐらいまである……。何にお使いなさるおつもりでしょうか」
「まぁ見ていなさい」
私は鉄の入れ物に水をくんでいき、入れ物の7割程にまで水を入れていく。
それを事前に作っておいた台に置き、台の下には着火材となる木を組んでいく。
「……?」
「ベルギア、この木に火をつけて欲しい」
「はい。『
着火材に火がつくことによって、上の鉄の入れ物内部の水が熱されていく。
「簡易的だがこれでお風呂になるんじゃないかな」
「なるほど…………しかし、これではお湯に浸かっている時には足が熱いのではないですか?」
「そこも大丈夫。これを作ったからね」
それは円柱の底に合わせた大きさの木の板。
「これを底に敷き、その上に経てば熱さが軽減されると思うよ」
「なるほど」
「あと、お湯に入る時には梯子も作ってるからそれを使って入ってね」
「おぉ……」
ベルギアが感嘆の声を上げ、パチパチと手で小さく拍手をする。
「発想もそうですけど、色々なものを作っている旦那様凄いと思います」
拍手はそっちか。
「作っていくうちにちょっと楽しくなってきてね……」
「そうなんですね」
「というか知っているだろう。作る時も隣で見ていたし、
「いえ、改めて凄いなと」
ベルギアは本当に感心した様子で私が作った梯子や木の板を眺めている。
……まぁいいか。
「で、どうかな。これでお風呂なわけだけど……ベルギアはこのお風呂でいいかい?」
「…………あ。もしかしてこれはベルギアが浴場の本を見ていたから……」
「そうだよ。もしかしてわかっていなかったのか……」
「お手を煩わせてすいません……」
気まずそうにベルギアはお辞儀をする。
「いいよいいよ。さっきも言ったけど結構楽しかったからね」
「ありがとうございます…………。せっかく旦那様が作ってくださったので……入らせていただこうかと思います」
「それは良かった」
「……ちょっと楽しみです」
ベルギアは照れくささを隠すように私にはにかんで見せる。
このような反応をされると、作った甲斐があるというものだ。
「じゃあごゆっくり。当然私以外だれも居ないから見られるってこともないよ」
「はい。ありがとうございます」
私はその場を後にし家へと戻る。
……とその前に。
「ベルギア。あまり長風呂にしてしまうとのぼせてしまうから程々にね」
「はーい」
……言っておいてなんだが、のぼせてしまうの意味がわかっているかな……?
経験は無いようだったし……。
しばらくしても顔を出さなければ声をかけるぐらいはした方がいいかもしれない。
家へと戻り足を伸ばしくつろいでいく。
夕日が窓から差し込んできて少し眩しい。
…………思えばベルギアが来てからしばらく経つな……。
初めは怯え、表情には常に陰りがあったが、最近では明るく感情も見せるようになった。
本当に成長を実感する毎日だ。
…………こう思うのも烏滸がましいかもしれないが、親というのはこのような気分になるものだろうか……。
少しずつ、本当に少しずつだがベルギアの物も増えていった。
家の中は一人で暮らしていた頃と比べ、少しだけ狭くなったように思う。
その狭さが心地いい。広い空間で一人でいることよりも、誰かと暮らす狭さの喜びを思い出す。
そうやって家の中を見回していると
「…………あ、しまった」
もう1つ、ベルギア用に作っていたものが目につく。
それは底に敷く用の木の踏み台。
ベルギアの背丈では、あの風呂に入った後出るのに一苦労するだろうと思い作ったものだった。
私はそれを手に取り、持っていく。
別にすぐに置いて戻るつもりだった。
「すまない。この踏み台を忘れ──」
「ッッッ!!」
服を脱ぎ湯に浸かろうとした所だったのだろう。
ベルギアの顔は私の声を聞き、不意をつかれたかのように振り向く。
私は思わず目を見開いた。見開いてしまった。
ベルギアの姿は綺麗だった。
透き通るような肌に長く白い髪。
その後ろ髪の間から見える鞭で打たれたかのように腫れた数多の傷の跡。
ベルギアの青ざめた表情。
地に沈んでいく夕焼けの光は、それら全てを残酷なまでに綺麗に照らしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます